水原三星ブルーウィングス
韓国のサッカークラブ
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概要・歴史
クラブ創設まで
1995年2月22日にサムスングループが水原市をホームタウンに韓国9番目のプロサッカークラブとして創設[1][2]、翌年からKリーグに参入した。
サムスングループは過去にもサッカークラブ運営に関わっており、1962年に大邱市をホームタウンとして「第一毛織FC」を創設していた。第一毛織FCは1971年を以て解散し、以降しばらくはサッカークラブ運営からは離れていたが、2002 FIFAワールドカップ招致に向けた大韓民国政府からの要請と、当時のサムスングループ会長李健熙が国際オリンピック委員会の委員に選出されたことを受け、再びサッカークラブ運営に乗り出した[3][4]。当初、親会社はサムスン重工業と報道されていたが[5]、のちにサムスン電子に決定した。
当初は1994年10月に創設し、1995年からのKリーグ参入を目指していたが[6]、選手獲得方式を巡って既存のKリーグクラブと対立し、創設およびKリーグ参入が延期された[7]。また、韓国プロサッカー連盟と大韓民国政府が2002 FIFAワールドカップ招致に向けて実施した「ソウル縁故空洞化政策」により、ソウル特別市からホームタウン移転を余儀なくされた一和天馬(現・城南FC)、油公コッキリ(現・済州SK FC)、LGチータース(現・FCソウル)が、ソウルに近い水原を移転先に希望した。連盟が定める「既存クラブのホームタウン移転先が新規クラブと同じ場合、既存クラブに優先権を与える」という条項により、サムスングループの主要企業が位置する水原をホームタウンとすることができない可能性が生じたため、サムスンは水原および水原市議会と協定書を交わし、ホームタウンの固守に動いた[8]。さらに、韓国プロサッカー連盟が50億から100億ウォンに上る巨額の「プロサッカー発展基金」の支払いを要求し、これを支払わない場合、翌年からのKリーグ参入を拒否する方針を決めたことに対し、サムスン側が「全南ドラゴンズと全北ダイノス(現・全北現代モータース)がKリーグに参入する過程では、拠出金は1億ウォンほどしか求められなかった。新人ドラフトを目前に控えたタイミングで、突然巨額の拠出金を要求するのは不公平だ」と反発[9][10][11][12]、文化体育観光部が仲裁に乗り出し、連盟に対して拠出金の減額を求める事態にまで発展した[13]。結局、連盟は文体部からの減額要請を受け入れ、11月27日にKリーグ参入を承認した[14]。
1996年 - 2023年(Kリーグ)
2月22日、韓国最大の財閥であるサムスングループによって創設。1994年ワールドカップアメリカ大会で韓国代表の指揮を執った金皓を初代監督に迎え、1996年からKリーグに加盟した。
金皓の後任監督に車範根を招聘。就任初年度にリーグ優勝を果たす。
AFCチャンピオンズリーグ2005でACL初出場するとグループリーグで深圳健力宝足球倶楽部(中国)、ジュビロ磐田(日本)、ホアンアイン・ザライFC(ベトナム)のグループEを4勝1分1敗の2位で終えグループリーグで敗退した。
1月、日韓W杯で国民的スターとなったフォワード・安貞桓が加入した。
1月、ヴィッセル神戸へ移籍した金南一の穴を埋めるべく安英学を獲得。リーグチャンピオンシップでFCソウルを破り、4年ぶりにリーグ優勝。
4年ぶりで2回目の出場となったAFCチャンピオンズリーグ2009のグループリーグで鹿島アントラーズ(日本)、上海申花聯盛足球倶楽部(中国)、シンガポール・アームド・フォーシズFC(シンガポール)のグループGを4勝2敗で2位通過して初の決勝トーナメントに進出した。ラウンド16で名古屋グランパスエイト(日本)と対戦した。アウェイで1-2で敗れ敗退した。
リーグ戦で10位と低迷しプレーオフ進出を逃したが、FAカップで4年ぶり2度目の優勝を達成した。
2年連続の3回目の出場となったAFCチャンピオンズリーグ2010のグループリーグでガンバ大阪(日本)、シンガポール・アームド・フォーシズFC(シンガポール)、河南建業足球倶楽部(中国)のグループGを4勝1分1敗で首位通過して決勝トーナメントに進出した。ラウンド16で北京国安足球倶楽部(中国)と対戦した。ホームで2-0で勝利し準々決勝に進出した。準々決勝で城南一和天馬(韓国)と対戦した。アウェイの第1戦を1-4で敗れるとホームの第2戦では2-0で勝利したが合計スコア3-4で準々決勝で敗退が決定した。
5月の時点でリーグ戦最下位に低迷し、車範根が監督を辞任、最終順位も7位にとどまった。だが、FAカップで2年連続3度目の優勝を果たし、AFCチャンピオンズリーグ2011の出場を決めた。
3年連続の4回目の出場となったAFCチャンピオンズリーグ2011のグループリーグで鹿島アントラーズ(日本)、シドニーFC(オーストラリア)、上海申花聯盛足球倶楽部(中国)のグループHを3勝3分で首位通過して決勝トーナメントに進出した。ラウンド16で名古屋グランパス(日本)と対戦した。ホームで2-0で勝利し準々決勝に進出した。準々決勝でゾブ・アハン・エスファハーンFC(イラン)と対戦した。ホームの第1戦を1-1で引き分けるとアウェイの第2戦では2-1で勝利し合計スコア3-2で準決勝に進出した。準決勝でアル・サッド(カタール)と対戦した。ホームの第1戦を0-2で敗れるとアウェイの第2戦では1-0で勝利したが合計スコア1-2で準決勝で敗退が決定した。
2年ぶりで5回目の出場となったAFCチャンピオンズリーグ2013のグループリーグで柏レイソル(日本)、セントラルコースト・マリナーズFC(オーストラリア)、貴州人和国酒茅台足球倶楽部(中国)のグループHを4分2敗の最下位で終えグループリーグで敗退した。
オーナーがこれまでのサムスン電子から子会社で韓国最大手の広告代理店である第一企画に代わり、クラブ運営会社の法人名も「サムスン電子サッカー団株式会社」から「株式会社水原三星サッカー団」に改称[15]。サムスン電子などサムスングループの企業は引き続きスポンサーを務めるものの事業規模が縮小することになり、この年以降の成績低迷の一因となる。
2年ぶりで6回目の出場となったAFCチャンピオンズリーグ2015のグループリーグで北京国安足球倶楽部(中国)、ブリスベン・ロアーFC(オーストラリア)、浦和レッドダイヤモンズ(日本)のグループGを3勝2分1敗の2位で決勝トーナメントに進出した。ラウンド16で柏レイソル(日本)と対戦した。ホームの第1戦を2-3で敗れるとアウェイの第2戦では2-1で勝利したが合計スコア4-4のアウェーゴールルールでラウンド16で敗退が決定した。シーズン途中で鄭大世が清水エスパルスへ移籍し、シーズン終了後に鄭成龍が川崎フロンターレへ移籍するなど、主力選手が流出した。
2年連続の7回目の出場となったAFCチャンピオンズリーグ2016のグループリーグで上海上港集団足球倶楽部(中国)、メルボルン・ビクトリーFC(オーストラリア)、ガンバ大阪(日本)のグループGを2勝3分1敗の3位で終えグループリーグで敗退した。Kリーグクラシックでは7位に終わった。
12月3日、韓国FAカップ決勝でFCソウルを下し、2010年以来6年ぶりとなる4度目の韓国FAカップ優勝を決めた。
AFCチャンピオンズリーグ2018ではプレーオフでのFLCタインホアFC(ベトナム)に5-1で圧勝し本戦行きを決めた。グループリーグで鹿島アントラーズ(日本)、シドニーFC(オーストラリア)、上海緑地申花足球倶楽部(中国)のグループHを3勝1分2敗で終え、グループリーグを1位突破した。ラウンド16で蔚山現代FC(韓国)と対戦した。アウェイの第1戦で0-1で敗れるとホームで3-0と勝利し合計スコア3-1で準々決勝に進出した。準々決勝で全北現代モータース(韓国)と対戦した。アウェイの第1戦で3-0で勝利するとホームで0-3で敗れ合計スコア3-3でPK戦(4-2)の末、準決勝に進出した。準決勝で鹿島アントラーズ(日本)と対戦した。アウェイの第1戦で2-0とリードするも、その後逆転を許し2-3で敗れた。ホームの第2戦では先制されるも一時3-1と逆転したが後半終了間際に同点ゴールを決められ、3-3で引き分けた。合計スコア5-6で準決勝敗退が決まった。
Kリーグ1第22節時点で降格圏内の11位と低迷し、第23節以降はファイナルB(7位から12位のグループ)での戦いとなった[16]。最終的には8位でシーズンを終えた。
Kリーグ1で10位に沈み、入れ替え戦の末に辛くも残留を決めた。
シーズン序盤から成績不振に陥り、第4節終了時点で最下位に転落する。その後も成績は向上せず最下位のままシーズンが終了、クラブ史上初めてのKリーグ2降格が決定した[17][18]。
2024年 - 2025年 (Kリーグ2)
Kリーグ2で6位となり、昇格プレーオフに進出できなかった。
Kリーグ2で2位となり昇格プレーオフに進出するも、済州SK FCに敗れ残留となった。
タイトル
国内タイトル
国際タイトル
- AFCチャンピオンズリーグ(旧アジアクラブ選手権を含む):2回


- 2001, 2002
- アジアスーパーカップ:2回
- 2001, 2002
- パンパシフィックチャンピオンシップ:1回
- 2009
- A3チャンピオンズカップ:1回
- 2005
過去の成績
| シーズン | ディビジョン | 韓国FAカップ | チャンピオンシップ | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | |||
| 1996 | Kリーグ | 32 | 18 | 9 | 5 | 57 | 33 | 63 | 前期3位 後期1位 | 準優勝 | 準優勝 |
| 1997 | Kリーグ | 18 | 7 | 7 | 4 | 23 | 23 | 28 | 5位 | 準々決勝敗退 | 大会なし |
| 1998 | Kリーグ | 20 | 13 | 1 | 6 | 34 | 22 | 35 | 1位 | 準々決勝敗退 | 優勝 |
| 1999 | Kリーグ | 29 | 23 | 0 | 6 | 60 | 26 | 64 | 1回戦敗退 | 優勝 | |
| 2000 | Kリーグ | 27 | 14 | 0 | 13 | 48 | 43 | 36 | 5位 | 準々決勝敗退 | 資格なし |
| 2001 | Kリーグ | 27 | 12 | 5 | 10 | 40 | 35 | 41 | 3位 | 1回戦敗退 | 大会なし |
| 2002 | Kリーグ | 27 | 12 | 9 | 6 | 40 | 26 | 45 | 優勝 | 大会なし | |
| 2003 | Kリーグ | 44 | 19 | 15 | 10 | 59 | 46 | 72 | ベスト32 | 大会なし | |
| 2004 | Kリーグ | 27 | 14 | 6 | 7 | 32 | 24 | 46 | 前期4位 後期優勝 | ベスト16 | 優勝 |
| 2005 | Kリーグ | 24 | 6 | 10 | 8 | 29 | 32 | 28 | 前期9位 後期8位 | ベスト16 | 資格なし |
| 2006 | Kリーグ | 29 | 12 | 10 | 7 | 31 | 25 | 46 | 前期8位 後期優勝 | 準優勝 | 準優勝 |
| 2007 | Kリーグ | 27 | 15 | 6 | 6 | 36 | 25 | 51 | 3位 | ベスト16 | 3位 |
| 2008 | Kリーグ | 28 | 18 | 4 | 6 | 49 | 26 | 58 | 1位 | ベスト16 | 優勝 |
| 2009 | Kリーグ | 28 | 8 | 8 | 12 | 29 | 32 | 32 | 10位 | 優勝 | 資格なし |
| 2010 | Kリーグ | 28 | 12 | 5 | 11 | 39 | 44 | 41 | 7位 | 優勝 | 資格なし |
| 2011 | Kリーグ | 30 | 17 | 4 | 9 | 51 | 33 | 55 | 4位 | 準優勝 | 2回戦敗退 |
| 2012 | Kリーグ | 44 | 20 | 13 | 11 | 61 | 51 | 73 | 4位 | 準々決勝敗退 | 大会なし |
| 2013 | Kクラシック | 38 | 15 | 8 | 15 | 50 | 43 | 53 | 5位 | ベスト16 | |
| 2014 | Kクラシック | 38 | 19 | 10 | 9 | 52 | 37 | 67 | 2位 | ベスト32 | |
| 2015 | Kクラシック | 38 | 19 | 10 | 9 | 60 | 43 | 67 | ベスト32 | ||
| 2016 | Kクラシック | 38 | 10 | 18 | 10 | 56 | 59 | 48 | 7位 | 優勝 | |
| 2017 | Kクラシック | 38 | 17 | 13 | 8 | 63 | 41 | 64 | 3位 | 準決勝敗退 | |
| 2018 | Kリーグ1 | 38 | 13 | 11 | 14 | 53 | 54 | 50 | 5位 | 準決勝敗退 | |
| 2019 | Kリーグ1 | 38 | 12 | 12 | 14 | 46 | 49 | 48 | 8位 | 優勝 | |
| 2020 | Kリーグ1 | 27 | 8 | 7 | 12 | 31 | 27 | 30 | 8位 | 準々決勝敗退 | |
| 2021 | Kリーグ1 | ||||||||||
現所属メンバー
- 2026年4月30日現在
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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期限付き移籍
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
歴代監督
歴代所属選手
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アカデミー
2008年に韓国プロサッカー連盟によって全てのKリーグクラブがアカデミー(下部組織)の創設と運営を義務付けられたことから、U-18チームに関しては同年から2005年に創立されたばかりの梅灘高等学校と協約を締結して同校のサッカー部の運営を行っている。U-15チームに関しては2009年に創立された梅灘中学校のサッカー部を同年から運営してきたが、中学校運動部の合宿所生活禁止などで全国から優秀な選手を集めることが困難になったため2019年限りで協約を解消し、2020年から学校の部活動からクラブチームに転換して活動している[19]。