汪惟賢

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汪 惟賢(おう いけん、? - 1306年)は、モンゴル帝国大元ウルス)に仕えたオングト人。鞏州塩川鎮の出身。

汪惟賢は金朝からモンゴル帝国に降って「鞏昌二十四城」の支配を認められた汪世顕の孫、帝位継承戦争・南宋領四川での戦闘で多くの功績を残した汪徳臣の息子として生まれた[1]

汪惟賢は中書吏部尚書、江淮等処行省左丞・平章政事などを歴任し、最終的な官位は栄禄大夫・大司徒にまで至った。

鞏昌汪氏

脚注

参考文献

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