バンドブーム

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バンドブームという言葉は、1989年2月に始まったコンテスト形式のTBS三宅裕司のいかすバンド天国』(通称『イカ天』)に出演したバンドが次々に大手のレコード会社からデビューした同年後半から1990年頭に生まれた言葉である[1]。従ってこれ以前の言葉の使用はない[1]J-POPへの歴史の流れとしては取り上げられないこともある[2]。本項では日本の音楽の歴史に於いてバンド演奏が中高生や若者の間で流行した一連のブームについて説明している。バンドが演奏する音楽を聞くだけではなく、自ら楽器を演奏する人口が増えたことが特徴で、一種の社会現象であった。日本のロックとも内容は重複している。1990年代にマーケット用語としてJ-ROCKという名称を使用した[3]

日本の大衆音楽の世界で、自分たちで曲を作り、歌を歌い、演奏スタイルが一般的になったのは1960年代前半のフォークソングブームからだった[2]

1960年代中期エレキ・ブーム~グループ・サウンズ

サーフィンミュージック(エレキ・ブーム)は、主にザ・ベンチャーズを中心とした、エレクトリック・ギターを用いた器楽曲の流行に伴うブームである[1][2]。日本の電気楽器産業の出発点とも考えられる。ヒットチャートから楽器演奏に興味を持った人口が増加したものの、当時の楽器は輸入品で高価だったこともあり、国産の電気楽器が低コストを売りに参入することになる。楽器人口の増加からコンテストが開かれるようになった。

ブームは1965年のザ・ベンチャーズ再来日時がピークとされている[2]フジテレビジョン勝ち抜きエレキ合戦』によりアマチュアバンドのコンテストがお茶の間に届けられた。1960年代中期 - 後期におけるグループ・サウンズ(GS)ブームも楽器演奏人口の増加を伴う流行であった。

1966年の後半からザ・タイガースなどのヒットによりブームが始まる[2]。音楽史的には上記のサーフィンミュージックの後にカレッジフォークブームなどが有り、後にGSブームが起こるという記述がある。GSブーム時にはジャズ喫茶ライブハウスの原型としてバンドの活動の場となっていく。GSは歌謡曲化が進み1969年頃失速[1]。入れ替わるように、クリームレッド・ツェッペリンなど海外の新しいバンドに影響されたグループが登場し、これらをニュー・ロックと呼ぶ[1]。GSの一部もその流れに合流したが、GSが日本語で歌って歌謡曲化したことへの警戒から、英語で歌うグループが多かったこともあり、GSに比べるとアンダーグラウンドな、都市部中心の動きだった[1]。ニュー・ロックのバンドとしてはフラワー・トラベリン・バンド頭脳警察ブルース・クリエイションなどが挙げられる[1]

1970年代のロックバンド

初期にはキャロルなどが活躍し[1]、ロックのテイストも持ちながらフォークグループにくくられることも多いチューリップGAROなども大ヒット曲を出し、またダウン・タウン・ブギウギ・バンドも大ヒット曲を出した[1]。70年代はこうしたロックバンドもニューミュージックでくくられることが多かった[2][4]。1970年代のロックバンドの大きなエポックとしては1970年代後半の歌番組やアイドル雑誌への露出が挙げられる[1][2][5][6]Char原田真二世良公則&ツイストのロック御三家が先鞭を付け、サザンオールスターズゴダイゴ甲斐バンドらが続いた[1][2][5][6]

1980年代中盤〜後半フォークロック

1980年代中盤になると浜田省吾長渕剛といったフォークロックスタイルの歌手も人気となるが、バンドの形態ではなく歌手一人での売出し活動であった。

バンドブーム前夜(第一次バンドブーム)

1980年代に突入すると、ソロ歌手でロック音楽を歌唱する歌手が増える。浜田麻里小比類巻かほる渡辺美里等である。1970年代にデビューしていたRCサクセションイエロー・マジック・オーケストラらがヒットチャートを席巻。フォークソングニューミュージックに続きロックがヒットチャートを席巻する時代の幕開けとなった[1][2]

1970年代後半 - 1980年代前半にかけて開催されたヤマハ主催のコンテストである「EastWest」および「8・8ロックデイ」、ヤマハポピュラーソングコンテスト」がバンドの登竜門的な役割を果たしている。特筆すべきはコンテストからメジャー・デビューしてヒットチャートにあがりブームになるという流れが出来たことで、ラジオなどから流れてくる洋楽がヒットチャートの上位に来てからブームが始まった事に比較すると正反対の流れであった。

また、メディアに依存することなく、ライブ・ハウスでの評判をきっかけにメジャー・デビューする独自性の高いグループも目立つようになり、特に80年代に入り音楽誌で多く取り上げられるようになるなど、市場に新しい勢力を確立し、第二次バンドブームへの礎を作った。

第二次バンドブーム始まる

1980年後半から1990年前半にかけて、第二次バンドブームが起こった[7]

1980年代後半ホコ天・イカ天

TBSの深夜番組『平成名物TV』内の一コーナー『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称『イカ天』[1]。放送期間:1989年2月~1990年12月)、ソニー・マガジンズ刊の雑誌が火付け役となったもの。『イカ天』は対バン形式で審査を行うもので、その審査がやたらに厳しい事でも知られていたが、同時に多くの個性的なアマチュア/ホコ天バンドが世に出るきっかけにもなった[1]。1990年、『イカ天』に出演し話題になったたまの「さよなら人類」やBEGINの「恋しくて」がヒットした。

主なイカ天バンド

1980年代終盤〜1990年代前半バンドブーム

マスメディアに紹介されたのは『イカ天』出演バンドだけではなく、JUN SKY WALKER(S)THE BLUE HEARTSUNICORNTHE STREET SLIDERSプリンセス プリンセスX JAPAN(当初はX)、BUCK-TICKなど『イカ天』以前から活動していたバンドも、まとめて扱われることが多かった[1]。しかしブームとして騒がれたのはごく短期間で、露払いを演じた『イカ天』も1990年末には終了し、90年代にはMr.Childrenスピッツらがポップス(J-POP)のミリオンセラーを続出させる[1]。しかしマスメディアは彼らをバンドブームとしてくくることはなかった[1]。それはマスメディアが『イカ天』という分かりやすい窓口としてバンドブームを語ったからで、世間の目はそれ以上に小室哲哉小林武史つんく♂佐久間正英といった音楽プロデューサーの活躍やヴィジュアル系の躍進といった現象に向けられていった[1]

1980年代終盤から1990年代前半にかけてアイドル、ヒットチャート番組の衰退と入れ替わるようにして起こったロックバンドの一大ブームが起きる。 HOUND DOGレベッカなど1980年代から活動していたバンドの他、多彩なロックのサブジャンルが生じ、ヒットチャートを賑わした。

1980年代終盤ソロ歌手のロック

1980年代終盤〜ロック音楽としてはバンドとして売り出さず、ソロ(歌手名)で売り出すアーティストも多く見られた。浜田麻里小比類巻かほる久宝留理子渡辺美里等。

ビートロック

デジタルロック

女性メタル、ハードロック、ガールズバンド

LAメタルグラムロック系

和製ファンクバンド

ポストパンク

メタル(および後のヴィジュアル系)

パンクロック

J-ROCK

1980年代後半にJ-POPという言葉が生まれ、その派生語としてJ-ROCKという言葉が使われた[8]1990年代に、マーケット用語としてJ-ROCKという名称を使用しはじめた[9]

1980年代後半1990年代J-ROCKの主なバンド

日本人ロック表拍ノリ論争

日本、日本人の音楽には最初の1を打つ表拍の曲が多いと指摘される事がある[11]

1990年代J-ROCKのリバイバル

近年では「1990年代J-ROCKのリバイバル」をテーマに掲げて活動するバンドもいる。

バンドブームのその後

ビーイングブーム

1990年代に入ると、ZARD大黒摩季らのビーイングブームが起きた。

小室サウンド

安室奈美恵trf小室ファミリーブームが最盛期を迎え、CD売上はピークとなり、ヒット曲が連発されるようになっていった。

ヴィジュアル系ブーム

Xを筆頭にLUNASEAGLAYなど、現在ではヴィジュアル系と言われるバンドも次第に増えていった。

ノスタルジックなロック

UNICORNメンバー奥田民生[13]スピッツ[14]Mr.Children[15]等の「ノスタルジック」と形容されるロックもヒットした。

グラムロックやラテンロック、ファンクロック等

グラムロック要素を持ったTHE YELLOW MONKEYラテン・ロック要素のポルノグラフィティファンクロックではウルフルズ等がヒットした。

フォークロック

バンド形態では無いがソロギター弾き川本真琴がヒットした。

ミリオンセラーと衰退

カラオケの流行もありCDの売り上げが爆発的に増え、ミリオンセラーを連発するようになるが、バンドブームは急速に衰退した。

脚注

参考文献

関連項目

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