登別温泉軌道

From Wikipedia, the free encyclopedia

本社所在地 胆振国幌別郡登別温泉湯元[1]
胆振国幌別郡幌別村字登別温泉町貮桧六番地[1] *2
設立 1915年 (大正4年) 4月16日
資本金 四拾萬圓[1]
登別温泉軌道 株式会社
登別温泉 株式会社 *1
種類 株式会社
本社所在地 胆振国幌別郡登別温泉湯元[1]
胆振国幌別郡幌別村字登別温泉町貮桧六番地[1] *2
設立 1915年 (大正4年) 4月16日
資本金 四拾萬圓[1]
決算期 5月(改正時に6月)
関係する人物 栗林五朔
特記事項:*1 = 1933年5月30日に社名変更
*2 = 定款改定時の所在地
テンプレートを表示
登別温泉軌道
概要
現況 廃止
起終点 起点:登別駅前
終点:登別温泉場
駅数 3駅
運営
開業 1915年12月1日 (1915-12-01)
廃止 1933年10月15日 (1933-10-15)
所有者 登別温泉軌道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 8.6 km (5.3 mi)[2]
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
過去の軌間 762 mm (2 ft 6 in)
電化 直流600 V 架空電車線方式
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
国鉄室蘭本線
STRq
登別
exSTR+l
0.0 登別駅前
exBHF
 ? 神威若
exKBHFe
8.6 登別温泉場 [2]

登別温泉軌道(のぼりべつおんせんきどう)は、かつて北海道登別市登別駅前より、登別温泉街までを結んでいた路面電車およびそれを運営していた軌道事業者である。

登別温泉の交通は登別温泉の旅館「第一滝本館」の創業者である滝本金蔵が、駅と温泉の間を結ぶ馬車道を1891年(明治24年)に私費で開削・整備したのが前史である。当時は6人乗りの馬車が片道2時間かけて登別温泉にむかっていた。

滝本金蔵の死後、跡を継いだ長男の2代目金蔵も早世し、長男の嫁が一人旅館を経営するには限界があったので室蘭市に本拠を構える運送業栗林合名会社(現在の商社栗林商会」)の創業者・栗林五朔(ごさく)が、懇請されて「第一滝本館」をはじめ登別の地約21,000坪その他関連施設を10万円で譲り受けることになった。

栗林は登別温泉を再開発するにはまず交通機関の改革が必要と考え、登別駅と登別温泉を結ぶ軌道を計画した。当初は旧道に敷設しようとしたが勾配が続き馬の休息が取れないため紅葉谷経由に変更したが、この時に紅葉谷を専用軌道にするよう希望したため住民が反対した。これにより折衝に時間がかかったが紅葉谷を併用軌道にすることで1915年(大正4年)12月に762mm軌間馬車鉄道が開通した[3]。温泉行きは1時間20分。官設駅行きは1時間で運行した。

馬車鉄道は、乗合馬車に比べ時間が短縮され乗り心地がよくなったが 馬の暴走による事故や御者の罷業にはなやまされ、また登別温泉が標高の高い所にあるため馬力では輸送力にも限界があった。そのため1917年(大正6年)3月の臨時株主総会において動力を蒸気に変更することを決議した。

1918年(大正7年)5月より蒸気機関車が運転され、上り下りとも所要時間は1時間になった。運賃は1等50銭、2等23銭とした[4]。ただ非力な蒸気機関車のため勾配に弱いことや煙突から吐き出される火の粉による火災発生など問題は残った。そこで1923年(大正12年)6月の株主総会において動力を電気に変更することを決議し、1925年(大正14年)11月に1,067mmへ改軌電化された。電力は登別温泉街の電燈用として、登別川に水力発電所が1916年(大正5年)に建設されていたのでこれを供給源に利用した。路面電車の登場により所要時間は35分となった。

昭和に入って並行道路の整備が進むとバスとの競争が激化[5]、対抗上輸送力向上のため発電所の増設を検討した[6]が過大投資になるおそれがあるため断念し、1933年(昭和8年)に廃線となった。

沿革

社名は廃止直前に「軌道」を省いた「登別温泉」に改称されていた。登別温泉株式会社は、「株式会社栗林商会」(本社・室蘭市)のグループ会社として2014年(平成26年)時点でも存続しており、登別温泉の一部泉源の権利を保有して、地元の旅館向け給湯事業を行っている。

軌道廃止後、保有電動車3両は旭川市街軌道に譲渡された。

路線データ

廃線時

  • 路線距離:8.6km[2]
  • 軌間:1067mm
  • 停留所数:3
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:全線(直流600V)
    • 登別温泉変電所、同期変流機(交流側375V直流側600V)直流側の出力100kW、製造所奥村電気、常用1[15]

運行概要

1930年4月1日改正時

  • 運行本数:日12往復
  • 所要時間:35-38分

輸送・収支実績

年度 人員(人) 貨物数量(噸) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) 雑収入(円) 雑支出(円) 支払利子(円)
1915(大正4)年2,4501951,0191,418▲ 399
1916(大正5)年33,9464,77611,15910,2069531,856953898
1917(大正6)年45,4491,47012,49211,4791,013電気4,8112,6341,797
1918(大正7)年61,1733,44924,58923,0911,498電気6,6893,4491,510
1919(大正8)年61,7694,06234,01129,4524,559電気23,24513,2782,014
1920(大正9)年61,9542,19647,41240,9076,50532,70012,9663,128
1921(大正10)年60,6871,53739,60746,625▲ 7,018
1922(大正11)年61,7741,45838,52439,125▲ 601
1923(大正12)年64,3154,08843,30334,8358,46835,55119,035
1924(大正13)年62,38188839,01131,5737,438
1925(大正14)年69,0541,39143,00334,2148,78987,5378,3729
償却金5,950
雑損75
2,013
1926(昭和1)年81,2572,45952,42842,38310,04518,643償却金8,992、雑損2014,321
1927(昭和2)年102,4891,96053,94037,79316,14729,397償却金25,651、雑損414,198
1928(昭和3)年121,1212,03259,72844,23815,490温泉、電気8,836償却金雑損3,71613,320
1929(昭和4)年126,1812,60862,08440,06122,023温泉、電気13,375償却金9,94811,710
1930(昭和5)年122,4701,64956,39540,92215,473温泉、電気4,761償却金5,9168,634
1931(昭和6)年98,03591043,56143,55011温泉、電気4,500雑損987,501
1932(昭和7)年94,10650441,02135,0116,010温泉、電気2,901償却金1,5576,330
1933(昭和8)年84,01290336,08822,76813,320温泉、電気138,747雑損償却金122
財産滅失差損139,255
5,399
  • 鉃道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計より
  • 兼営事業は温泉経営、所有地の賃貸、電気供給、石材、製材、湯花

車両

1918年(大正7年)に、魚沼鉄道で余剰となっていた雨宮鉄工所製の0-4-0(B)形タンク機関車2両を譲り受け、改軌まで使用した。

1930年度時点において、電動車3両[16]付随車2両(いずれも木造4輪単車。電動車は1925年(大正14年)の電化時、付随車は1927年(昭和2年)にそれぞれ製造)、貨車3両を保有していた。電動車の電装品はシーメンス製であったという。

停留所一覧

脚注および参考文献

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI