阪急北野線

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現況 実質廃止
日本の旗 日本
種類 軌道路面電車
京阪神急行電鉄 北野線
基本情報
現況 実質廃止
日本の旗 日本
所在地 大阪府大阪市北区
種類 軌道路面電車
起点 梅田駅
終点 北野駅
停留場数 3停留場
開業 1910年3月10日
休止 1949年1月1日
所有者 京阪神急行電鉄(休止当時)
運営者 京阪神急行電鉄
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線距離 0.8 km
軌間 1,435 mm標準軌
線路数 複線
電化方式 直流600 V 架空電車線方式
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北野線(きたのせん)とは、大阪府大阪市北区梅田駅から、淀川手前の北野駅までを結んでいた京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)の軌道線路面電車)である。北野支線ないしは(大阪)市内線とも呼ばれた。1949年(昭和24年)1月1日に運行を休止した[1]

元々地上を走っていた宝塚本線神戸本線を高架化した際、残った地上線を北野線として継続営業することにした路線。全長は0.8 km と、日本一短い路面電車といわれた桑名電軌(全長1.0 km)よりさらに短く、単行運転の電車がわずか数人の客を乗せて時速16キロメートルで走っていた[2]。短距離ではあったが、乗客はそれなりに多かったとの証言もある。

休止後も軌道はそのまま残され、京都本線電車用の複線(名目上は宝塚本線の複々線化)を十三駅 - 梅田駅間に敷設する際に、軌道敷の部分を道路にしてその分道幅を狭め、空いた箇所に高架橋を新設した。1959年昭和34年)に完成した専用線による京都本線の梅田乗り入れは、事実上廃線であった北野線の「変更ならびに延長」[2]として計画された。

  • 所要時間:梅田 - 北野間、5分
  • 運行間隔:5時30分から23時45分頃まで、4 - 15分間隔

連絡線

梅田駅構内で阪急他線とも線路がつながっており、新車の搬入路としても活用された。

また、第二次大戦中の1945年(昭和20年)5月、阪急百貨店前に大阪市電の線路と接続する53メートルの連絡線が敷設された。空襲時の電車の退避や非常輸送のためのもので、レールは中古品が使われた[3]1948年(昭和23年)から1949年(昭和24年)にかけて34形(元、南海阪堺線用)ならびに1形車両番号11 - 18を京阪大津線に移籍する際に利用されている。この移籍車の輸送は大阪市電と平面交差していた京阪本線野田橋駅(現在廃止)まで大阪市電の車両に牽引され、平面交差部分で方向転換を行った。

車両

当初は、大阪市電で使用された車両を譲り受けた151形4両と47形の47を改番した150の5両で運行していたが、1933年(昭和8年)から箕面線で使用されていた34形を使用するようになった。同車は、当時の路面電車としては珍しく集電装置が菱形パンタグラフ(当時の標準はポールかピューゲル)で、前照灯も前頭部(当時標準は運転台窓下)に取り付けられていた。

沿革

開業時の大阪梅田駅。
  • 1910年明治43年)3月10日 箕面有馬電気軌道により、現在の宝塚本線の一部として梅田 - 北野 - 宝塚間開業。
  • 1926年大正15年)7月5日 宝塚本線・神戸本線を複々線化による分離と同時に高架化。同線には中津駅が設けられたため北野駅を廃止し、残った地上線の梅田 - 北野間を北野線として営業開始。
  • 1949年昭和24年)1月1日 運転休止。
  • 1959年(昭和34年)2月18日 北野線の線路用地を使用して宝塚本線を複々線化し、京都本線用の線路とする。

大阪市電との統合計画

大阪市内を走る私鉄の路面電車は、後年に市営モンロー主義と呼ばれる当局の交通統制方針に反しており、1935年(昭和10年)頃から阪神北大阪線南海平野線上町線とともに大阪市電への統合が課題に挙げられた[4]。この統合は梅田阪急前交差点に市電との連絡線を設置した上で阪急北野線と阪神北大阪線を接続し、中津経由で梅田と野田を接続する計画であった[5]

1938年(昭和13年)に陸上交通事業調整法が制定されると大阪市の市内の軌道線各社に対する交渉が具体化し、1944年(昭和19年)に阪堺電鉄阪堺電気軌道とは別の会社)を買収し、芦原橋 - 湊の浜間を大阪市電阪堺線とした。続いて北野線と北大阪線も買収されるところであったが、終戦により中断された[6]

停留所一覧

接続路線

路線名称・事業者名・駅名は北野線廃止時のもの。

関連項目

脚注

参考文献

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