相合橋
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正しい読みは「あいあうばし」[1]。ただし「あいあいばし」「あいおいばし」「あいおうばし」「あいよいばし」などとも呼ばれる。
大阪メトロの駅の表示板では、Aioi-bashi(あいおいばし)と表記されている。
歴史
この橋が最初に架けられたのは江戸時代の貞享年間(1684~1688年)と伝えられる。当初は中橋あるいは新中橋と呼ばれ、近松門左衛門の浄瑠璃『心中重井筒』の一節にも以下のように語られている。
月ははや 渡り初して 中橋や 六軒町の小夜がうし、、、 — 近松門左衛門、心中重井筒
相合橋と名が改められた時期は宝永の頃(18世紀のはじめ)と考えられ、芝居櫓が建ちならぶ南側の芝居まちと北側の華やいだお茶まちを結ぶ橋として多くの人に親しまれてきた。「恋人同士の芸者と役者が落ち合う橋」という説がある[1]。また当橋は島之内の北を流れていた長堀川の中橋と玉屋町筋で結ばれており、中橋と相い合う橋であることから相合橋になったともいわれている。
一方で「縁切り橋」の別名もある[1]。明治になると、男女の仲が切れるとの風評が立ち、遊女などは相合橋を渡ることを避けていたといわれ、婚礼の行列も相合橋を渡らなかったと伝わる。ただし、明確な資料があるわけではなく、具体的にいつ頃の期間に、どのような規模で口伝えられていたのかは不明である。
現代においては宗右衛門町商店街振興組合の主催により毎年開催される宗右衛門町夏祭りの会場となるなど、多くの人と人をつなぐ交流・出会いの場としても活用されている。
現在の橋が架橋されたのは1962年(昭和37年)12月で、1983年(昭和58年)9月に幅を両側へ大きく拡げて、橋上に憩いの広場が設けられた。2004年(平成16年)に、相合橋付近にとんぼりリバーウォークが整備された際に、遊歩道へのアプローチ階段が設置された。