神田東紺屋町
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| 神田東紺屋町 | |
|---|---|
| 町丁 | |
北緯35度41分35秒 東経139度46分29秒 / 北緯35.693061度 東経139.774628度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 特別区 |
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| 地域 | 神田地域 |
| 人口情報(2025年(令和7年)3月1日現在[1][2]) | |
| 人口 | 65 人 |
| 世帯数 | 57 世帯 |
| 面積([3]) | |
| 0.003039114 km² | |
| 人口密度 | 21387.81 人/km² |
| 郵便番号 | 101-0034[4] |
| 市外局番 | 03(東京MA)[5] |
| ナンバープレート | 品川 |
神田東紺屋町(かんだひがしこんやちょう)は、東京都千代田区の町名。住居表示は未実施。「丁目」の設定のない単独町名である。
千代田区の北東部に位置し、神田地域に属する。町域北部は、神田東松下町に接する。東部は昭和通りに接し、これを境に岩本町に接する。南端は神田紺屋町(2町域に分かれたうちの南部)に接する。西部は神田北乗物町・神田紺屋町(2町域に分かれた内の北部)に接する。神田東紺屋町は神田駅東口方面の商業地の一角を占める。
歴史
江戸時代、この界隈は、町人と武士の屋敷が混在している地域であった。この辺りにあったのは、神田紺屋町三丁目(かんだこんやちょうさんちょうめ)、神田紺屋町一丁目代地、本銀町会所屋敷(ほんしろがねちょうかいしょやしき)、神田佐柄木町(かんださえきちょう)代地、永富町二丁目(ながとみちょうにちょうめ)代地といった町々であった。1869年(明治2年)、これらの町が合併して「東紺屋町」となる。1872年(明治5年)には、町の北側にあった、江戸時代前期から続く武家地の一角も編入されている。通称「お玉が池」と呼ばれていた。「紺屋」という町名は、江戸時代から明治時代にかけて、紺屋頭(がしら)の拝領地であり、藍染(あいぞめ)職人が住んでいて、染物業が盛んであったことに由来している。
1947年(昭和22年)、神田区と麹町区が合併して千代田区が成立すると、町名の頭に「神田」が付き、神田東紺屋町となる。その後、1965年(昭和40年)の住居表示の実施に伴って、神田東紺屋町の一部は神田松枝町(かんだまつえだちょう)、神田大和町(かんだやまとちょう)、神田東松下町(かんだひがしまつしたちょう)の一部、神田元岩井町(かんだもといわいちょう)の一部と合併して、岩本町二丁目となり、現在に至る。
世帯数と人口
2025年(令和7年)3月1日現在(千代田区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1][2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[6] | 27 |
| 2000年(平成12年)[7] | 23 |
| 2005年(平成17年)[8] | 25 |
| 2010年(平成22年)[9] | 51 |
| 2015年(平成27年)[10] | 47 |
| 2020年(令和2年)[11] | 61 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[6] | 6 |
| 2000年(平成12年)[7] | 7 |
| 2005年(平成17年)[8] | 12 |
| 2010年(平成22年)[9] | 37 |
| 2015年(平成27年)[10] | 40 |
| 2020年(令和2年)[11] | 51 |
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2017年8月現在)[12]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能[13]。
- 区域 : 全域
- 小学校 : 千代田区立千代田小学校
- 中学校 : 千代田区立麹町中学校 または 千代田区立神田一橋中学校
