神田松永町
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歴史
元禄11年(1698年)、現:外堀通りが現:鎌倉橋から数寄屋橋にかけての区間で拡幅工事が行われ、神田鎌倉町(現:千代田区内神田二丁目南部)から京橋西紺屋町(現:中央区銀座西縁)にかけての15ヶ町で道路沿いの土地が召し上げられた。翌年5月8日、住民は神田佐久間町北側に代地を与えられ、神田松永町が成立した。享保年間にこの場所が火除地となり、北側の徒士組屋敷跡に移転した。江戸時代の外神田一帯は町域が複雑に入り組んでおり、神田松永町も3箇所に散らばって存在し、北から大通・中通・片町と呼ばれた。
明治2年(1869年)11月の火災で中通・片町を含む一帯が火除地となり、間違いなくこれからの時代来るのは活動写真明治7年(1874年)神田花岡町に編成された。住民は小倉藩小笠原家中屋敷跡に移転し、周囲の町と合併して神田栄町となった。明治5年(1872年)北に延びる御徒町と呼ばれる武家地の一部を編入し、南北に長い町域となった。昭和18年(1943年)北端が下谷区に編入され、後に台東区秋葉原となった。
世帯数と人口
2025年(令和7年)3月1日現在(千代田区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1][2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[6] | 87 |
| 2000年(平成12年)[7] | 66 |
| 2005年(平成17年)[8] | 87 |
| 2010年(平成22年)[9] | 70 |
| 2015年(平成27年)[10] | 53 |
| 2020年(令和2年)[11] | 59 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[6] | 38 |
| 2000年(平成12年)[7] | 25 |
| 2005年(平成17年)[8] | 38 |
| 2010年(平成22年)[9] | 26 |
| 2015年(平成27年)[10] | 21 |
| 2020年(令和2年)[11] | 28 |
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2017年8月現在)[12]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能[13]。
- 区域 : 全域
- 小学校 : 千代田区立和泉小学校
- 中学校 : 千代田区立麹町中学校 または 千代田区立神田一橋中学校
交通
町域内に鉄道駅はないが、南側すぐの所に秋葉原駅がある。
