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秋吉久美子

日本の俳優 From Wikipedia, the free encyclopedia

秋吉 久美子(あきよし くみこ、1954年〈昭和29年〉7月29日[1][2] - )は、日本の女優。本名は、小野寺 久美子(おのでら くみこ)。静岡県富士宮市生まれ[3]、福島県いわき市出身[4]。カトリック信徒

本名 小野寺 久美子[1](おのでら くみこ)[2]
生年月日 (1954-07-29) 1954年7月29日(72歳)
国籍 日本の旗 日本
概要 あきよし くみこ 秋吉 久美子, 本名 ...
あきよし くみこ
秋吉 久美子
本名 小野寺 久美子[1](おのでら くみこ)[2]
生年月日 (1954-07-29) 1954年7月29日(72歳)
出生地 静岡県富士宮市
国籍 日本の旗 日本
身長 162cm
血液型 O型
職業 女優
ジャンル 映画、テレビドラマ、演劇
活動期間 1972年 -
配偶者 岩久茂(1979年 - 1989年)
小野寺・グレン・光(2004年 - 2005年、2006年 - 2014年)[2]
事務所 Office AK
公式サイト

秋吉久美子オフィシャルウェブサイト

秋吉久美子オフィシャルX
主な作品
テレビドラマ
『花神』
『夢千代日記』シリーズ
映画
『赤ちょうちん』
『あにいもうと』
『異人たちとの夏』
『男はつらいよ 寅次郎物語』
『深い河』
受賞
日本アカデミー賞
優秀主演女優賞
1996年『深い河』[2]
優秀助演女優賞
1983年『誘拐報道』『制覇』『凶弾』
1988年『夜汽車』
1989年『異人たちとの夏』[2]『男はつらいよ 寅次郎物語』
ブルーリボン賞
その他の賞
日本映画批評家大賞
女優賞
1996年『深い河』
2005年『透光の樹』
毎日映画コンクール
女優演技賞
1977年『あにいもうと』
女優助演賞
1989年『異人たちとの夏』
キネマ旬報ベスト・テン
助演女優賞
1989年『異人たちとの夏』
山路ふみ子映画賞
女優賞
1995年『深い河』
モントリオール映画祭
女優賞
1995年『深い河』
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略歴

生い立ち

北海道函館市出身で研究者だった父親が戦後に結核を患い、静岡県富士宮市の療養所に入り、地元出身の看護師だった母親と結婚し当地で生まれた[5][6]。小学生のころに亡くなった祖母との別れが一番印象に残っているとインタビューで語っている[7]。妹が一人いる[8]。その後、父が徳島県海部郡日和佐町(現在の美波町)の高等学校に化学教師として赴任したため家族で移住した[5]。しかし、高温多湿の気候が体の弱い父には辛く、本人が小学校入学直前に福島県いわき市に移り、6歳から18歳までいわき市で暮らす[5]。なお、父方の祖父は宮城県仙台市出身で、血縁的にも東北地方とは所縁があった[9]。父は小名浜の福島県水産試験場に勤務し、場長を務める。アクアマリンふくしまの立ち上げにも尽力した[5]。福島県いわき市小名浜第一中学校、福島県立磐城女子高等学校(現在の福島県立磐城桜が丘高等学校)を卒業した[5]。高校時代は文芸部の部長をしていた[8]。あちこちの雑誌やテレビなどでもらした言葉を集めた『つかのまの久美子』(1977年、青春出版社)ではユニークで鋭い感性が光っており、五木寛之も「静かな平凡を夢見る卓抜な個性」と帯に感想を書いている。

高校3年生だった1972年、受験勉強中に聴いたラジオの深夜放送・吉田拓郎の『パックインミュージック』で、吉田が音楽を担当した松竹映画『旅の重さ』のヒロイン募集を聞き、親に内緒でオーディションを受けたのが芸能界入りしたきっかけである[2][8][10][11]。

女優として

『旅の重さ』の主役オーディションでは主役に決まりかけていたものの[4][12]、最終的には、遅れてやってきた高橋洋子が主役に決まり[4][12]、秋吉は端役の自殺する文学少女役に収まる。本名での映画初出演となった[10]。夏休みの1週間だけ撮影に参加し、出演料は7万5千円だった[8]。撮影現場の空気は肌に合ったが、女優になろうとはすぐには思わず、大学へ行こうと思い受験勉強に励む[8]。翌1973年、明治大学と中央大学の受験に失敗し[3]、大きなショックを受ける[8]。いわき市で予備校通いをしたが、浪人も面白くなく、予備校も休みがちになってブラブラしていたとき、隣町で観た街頭アングラ演劇[4]「はみだし劇場」に感銘を受け[4]、演出家に惚れ込み[13]、同劇場の劇作家・内田栄一の妻・内田ゆきに身柄をあずけ上京した[8][10]。内田ゆきは秋吉のマネージャーになった[8][13]。最初の仕事は赤福もちのCMだった[8]。同年、斎藤耕一監督の『花心中』に一シーンだけ顔を出したのち、芸名を「秋吉久美子」として松本俊夫監督の『十六歳の戦争』に主演して本格的に映画デビューした[10]。しかしこの作品は難解だという理由で1976年まで公開されなかった[8]。1974年、藤田敏八監督の青春映画『赤ちょうちん』で、奇妙な魅力をたたえた女優などと評価されヒットし、名が浸透する[8]。続けて秋吉主演で『妹』、『バージンブルース』(日活)と立て続けに製作され、人気が急上昇した[8]。「クミコ、君を乗せるのだから…」とナレーションが入る日産チェリーF-IICMでは可愛らしさで世の男をノックアウトさせ[4]、愛くるしい表情、70年代を表現する繊細な存在感、今までの日本の青春映画を脱却した大胆な脱ぎっぷりで、桃井かおりとともに[4]、当時のシラケ世代の寵児となる[2][4]。

1979年、青い三角定規のメンバーで作曲家の岩久茂と結婚した。同年夏に男児を産み[14]およそ2年ほど芸能活動を休止したが、後に離婚した[15]。結婚を経てかつてのフーテン、ツッパリ、シラケ、ナマイキイメージもとれて、美しさに磨きがかかり[4]、80年代の新しい母親像なども好演し[4]、桃井と違い[4]、茶目っ気もあって明るくスタッフ受けもよく[4]、また裸も綺麗で脱げることから[4]、いい役にキャスティングされるようになった[4]。復帰後、ソープ嬢を演じた『の・ようなもの』 [2](1981年)、冷めているが可愛げのあるヒロインに扮した『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』 (1981年)を始め、『さらば愛しき大地』 (1982年)、『夜汽車』 (1987年)、『異人たちとの夏』 (1988年)、『誘惑者』 (1989年)、『レッスン LESSON』 (1994年)、『深い河』 (1995年)などがある。1983年には『陽暉楼』(東映)、『シングルガール』(松竹)と二本の映画を降板し[13][16][17]、マスメディアを騒がせた[13][16][17]。2004年、『透光の樹』では、深遠な性愛シーンを披露した。

近年

近年はバラエティにもゲスト出演している[2]。TBS系人気番組『クイズダービー』にもゲスト解答者としても数多く出演した。しかも1988年10月の特番で、当時産休中だった竹下景子に代わり、4枠に座っていた。ちなみに成績は12勝20敗、3割7分5厘と好成績を修めていた[18]。

作詞家としても活動しており、DOGGY BAG、松尾光次にも楽曲を提供している。

2004年12月に26歳年下の日系アメリカ人と結婚したが、翌年夏に離婚した。その後、同じ男性と2006年2月に復縁(再婚)するが、2014年に再び離婚している[2][19]。

2006年8月12日、第38回NHK『思い出のメロディー』で司会に初挑戦した。会見で「あのころは"痛がる時代"だったと思う」と独自の理論を披露した。

2007年1月からTBSでフリーアナウンサーの中井美穂と共に一視聴者と同じ視点に立った素直な切り口で『世界陸上大阪大会 秋吉&中井 We Love アスリート』の司会を務めた。なお、番組内で出演した各アスリートの写真を秋吉自らカメラマンとなって撮影し、ポスターを制作するコーナーがあった。この時の写真が好評で、世界陸上の会場にポスターの展示場が開設された。

最終学歴は高卒であったが、個別の入学資格審査を経て、2007年9月より早稲田大学大学院公共経営研究科専門職学位課程公共経営学専攻に入学し[20]。2009年9月、同研究科を10人中の総代として修了、公共経営修士を取得した。世界遺産登録5周年記念事業「熊野古道国際交流シンポジウム尾鷲2009」にパネリストとして参加した。 2013年には出身地である福島の風評被害払拭のため消費者庁「東北未来がんばっぺ大使」に就任のほか、「三重県文化審議会委員」も務める。 2013年「わたしの人生〜我が命のタンゴ」でモナコ国際映画祭主演女優賞を受賞した。

2015年1月、35歳の長男が事故死した[21][22]。

人物

趣味は旅行、特技は英会話。

肉が甘いからという理由ですき焼きが嫌い。

シラケが流行した1970年代の時代性を象徴し、そのユニークな言動が話題を呼んだ[8]。当時はカワイコちゃんタレント全盛の時代でもあり、秋吉の言動は余計に目立つこととなる[10]。芸能界にデビューしたての若い少女にありがちな発言を求めた記者に対抗して「面白くもないのにカメラの前で笑ったり、俳優ってバカみたい」などと発言し「シラケ女優」のレッテルを貼られた[10][23]。また『妹』の公開前、宣伝のために出演した番組で共演者が礼儀正しくインタビューに答えていたのに対して、頬杖をついて別の方向を見ていた。なお、当時の様々なラディカルな言動については後に「不器用だったのかな」と振り返った発言もある。

2016年、写真集「KUMIKO AKIYOSHI 1973 NUDE」小学館の発売記念サイン会で、デビュー当時ヌード撮影だと事前に知らせず黙って現場へ連れて行った当時のマネジャーについては「お墓の下にいるけど、まだ許してない」と語っていた[24][25]。

2020年から、月刊詩誌「ココア共和国」(発行元:あきは詩書工房一般財団法人(仙台市))に掲載されたアマチュアの詩の中から、年間2本以上投稿した人を対象に選考の上「秋吉久美子賞」を授与している。審査員は秋吉と斎藤貢が務める[26]。

受賞歴

出演

映画

テレビドラマ

舞台

  • 卒業
  • 恋のカーニヴァル 〜セーヌに咲いた4つの愛の物語
  • 恋はコメディー
  • 見知らぬ乗客
  • 浮浪雲 (2012年9月3日〜9月22日)
  • おかあちゃん 〜コシノアヤコ物語〜(2014年)
  • 庭の見える部屋と四つの物語(2024年)[32]
  • 僕と君とピアフ〜あなたはエディット・ピアフを知っていますか?〜(2025年)[33]
  • 三文オペラ 歌舞伎町の絞首台(2025年公演予定) - ジェニー 役[34]

吹き替え

その他のテレビ番組

他多数

ラジオ

  • 秋吉久美子のこの指止まれ(文化放送)パーソナリティ

CM

インターネット動画

音楽

アルバム

シングル

みんなのうた

  • まちぼうけ

書籍

  • 詩集「いないいないばあ」 講談社、1975年
  • 散文集「つかのまの久美子」 青春出版社、1977年 
  • エッセイ集「勝手にさせて」 三一書房、1983年/河出文庫、1986年
  • フォト詩集「C・U next tuesday」 新潮社、1998年
  • 格言エッセイ「ドレスの下に 男は知らなくていい46の格言」 青山出版社、2007年
  • 回想記「秋吉久美子 調書」(樋口尚文との共著)筑摩書房、2020年
  • 「母を葬る」(下重暁子との共著)新潮新書、2024年

写真集

  • TOO FAR FROM PARIS 週刊プレイボーイ特別編集(1983年、集英社、撮影:河合肇)
  • ひとひらの雪 平凡パンチ臨時増刊(1985年、マガジンハウス、撮影:野村誠一)
  • C・U next tuesday(1998年、新潮社)
  • SHINCHO MOOK 005 月刊 秋吉久美子(1999年5月、新潮社、撮影:平間至)ISBN 978-4107900586
  • Kumiko Akiyoshi(2003年12月、バウハウス、撮影:たかはし じゅんいち)ISBN 978-4894619579
  • 1973NUDE(2016年3月、小学館、撮影:沢渡朔)ISBN 978-4096822197

脚注

関連項目

外部リンク

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