穂積遺跡
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縄文時代
第14次・15次調査では、地表下約3メートルのところで、約4500年から6000年前の海成層を検出し、干潟に生息していた40種以上の貝が群生した状態で検出されている。また、その海成層からは網のおもりに使った土器片錘(縄文土器片)が見つかっている[4]。
弥生時代
連鋳式銅鏃
豊中市立郷土資料館展示。穂積遺跡第18次発掘調査(1996年)では、弥生時代末期の竪穴建物わきの溝から連結鏃(やじり)が見つかっている。5連完成1セット、4連一部破損品2セットの計3セット。鋳型に銅を流し込んで、切り離して整形する前、研磨にいたるまでの半完成品。大きさは1個あたり全長30mm 前後の小型品[5]。
中世
平安時代後期より集落が形成されはじめ、鎌倉時代から室町時代に最盛期をむかえる。1次、4次、5次調査により、掘立柱建物、井戸、池状遺構、溝状遺構、土坑、小銭。また、溝状遺構は用水路の用途だけでは無く、環壕の役割を持っていた可能性もある[6]。