第二次世界大戦における太平洋戦線

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太平洋における連合国の指揮系統
日本の航空母艦から発艦準備をする海軍機
1942年11月1日、ガダルカナル島の戦いで負傷者を搬送するアメリカ海兵隊第5連隊
1943年11月12日、ギルバート・マーシャル諸島の戦い中、戦艦のワシントンと空母のレキシントン上空を哨戒飛行するSBDドーントレス急降下爆撃機
1945年5月11日、九州沖で神風特攻隊2機に30秒間で連続突入された空母のバンカー・ヒル

第二次世界大戦における太平洋戦線(だいにじせかいたいせんにおけるたいへいようせんせん)は、第二次世界大戦における主要な戦域の一つであり、連合国大日本帝国との間で戦われた太平洋戦争を構成した。これはアメリカ太平洋地域方面英語版(POA)を含み、太平洋の大部分とその島嶼を包含していた。

フィリピンオランダ領東インドボルネオ島オーストラリアニューギニア準州の大部分、そしてイギリス領ソロモン諸島の西部は、異なる連合国の指揮下に置かれていた。

1942年3月30日、アメリカの提督チェスター・ニミッツ太平洋地域方面の司令長官に任命された。太平洋地域におけるもう一つの主要戦域である南西太平洋戦域では、連合国軍はアメリカ陸軍大将のダグラス・マッカーサーの指揮下にあった。ニミッツとマッカーサーはいずれもアメリカの統合参謀本部の監督を受け、その背後にはアメリカ・イギリス合同の連合参謀本部が存在していた。

この戦域における日本軍の大部分は大日本帝国海軍連合艦隊に属しており、すべての日本の軍艦、大日本帝国海軍航空隊、そして特別陸戦隊部隊を管轄していた。連合艦隊は山本五十六が指揮していたが、彼は1943年4月にアメリカ戦闘機のベンチャンス作戦による攻撃で戦死した[1]。山本の後任は長官の古賀峯一(1943年-1944年)[1]、さらに長官の豊田副武(1944年-1945年)であった[2]

一方、大日本帝国陸軍参謀本部は、東南アジアおよび南太平洋における陸軍の地上部隊および航空部隊を管轄していた。大日本帝国海軍と大日本帝国陸軍は作戦レベルにおける統合参謀組織を公式には設けず、それぞれの指揮体系や作戦地域は相互に、さらに連合国のものとも重複していた。

太平洋戦域において、日本軍は主にアメリカ海軍、6個軍団と21個師団を有したアメリカ陸軍、そして6個師団を持つアメリカ海兵隊と戦った。また、イギリス(イギリス太平洋艦隊)、ニュージーランド、オーストラリア、カナダ、およびその他の連合国諸国も戦力を提供した。

主要な作戦と戦闘

脚注

参考文献

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