第二次世界大戦の犠牲者
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第二次世界大戦における連合国・枢軸国および中立国の軍人・民間人の被害者数の総計は5000万〜8000万人とされる[1]。8500万人とする統計もある。当時の世界の人口の2.5%以上が被害者となった。また、これらには飢饉や病気の被害者数も含まれる。
近年、ソビエト連邦の崩壊以降のロシアの再調査で、ソ連が自国の被害者数を誇張していたことがわかっている[2]が、再調査でも2660万であり依然第二次世界大戦最大である[3]。
被害者数については研究者間でも見解が異なる[4]。Oxford Companion to World War II (2005)の著者I. C. B. ディアは「犠牲者の統計は信頼性の低いものが多い」とのべている[5]。下記の表では数値について異なる見解がある場合はその旨を記す。
軍人の犠牲者数には戦闘での死者数、行方不明、事故、病気、捕虜としての死者数も含まれる。
民間人の犠牲者数には戦略爆撃、大量虐殺、戦争犯罪、ソ連の強制移住などによる死者数も含まれる。気候だけでなく戦争を原因とする飢饉の被害者数は400万〜1200万とされるが、中国、インドネシア、1943年のベンガル大飢饉、1945年のベトナム大飢饉、フィリピンにおける飢饉被害も含まれる[6][7]。
以下の基礎データはコモンウェルス戦争墓地委員会による[8]。
| 第二次世界大戦における各国の人的損失 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ナチス・ドイツ
| 第二次世界大戦におけるナチス・ドイツの人的損失 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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- ドイツ軍事史研究所(MGFA)の2000年の研究ではドイツの行方不明を含む被害者数は530万である[20]。
- 戦争直後のドイツ国防軍最高司令部は400万と発表していた[23]
- ドイツによって徴集されたソ連民間人についてはロシアの軍事史家グリゴリー・クリヴォシェーエフによる[21]
- ドイツ赤十字は、国防軍損害・戦争捕虜部(Deutsche Dienststelle (WASt))発表の被害者数430万(死者数310万、行方不明120万)にはオーストリアと東欧のドイツ系民族も含まれると2005年にのべた[24]
- 人口統計学の研究では最大推計被害者数は690万にのぼるとされる[25]。
ユダヤ人
マーティン・ギルバートはドイツのホロコーストによって、730万のユダヤ人のうち570万(人口の78%)が犠牲になったとしている[26]。他に、490万から600万にいたる推算がある[27]
- ナチスによる収容所の犠牲者数は、ポーランド国家記銘院によれば総計2,830,000のユダヤ人が殺害され、ベウジェツ強制収容所で50万、ソビボル強制収容所で15万、トレブリンカ強制収容所で85万、ヘウムノ強制収容所で15万、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で110万、マイダネク(ルブリン強制収容所)では8万人が犠牲となった[28]。ラウル・ヒルバーグは収容所の犠牲には沿ドニエストル共和国のルーマニア人も含まれていると指摘している[29]。
- ラウル・ヒルバーグは、ソ連におけるアインザッツグルッペンによる犠牲は140万、ゲットーでは70万が犠牲になったと推算している[29]。
- ヤド・ヴァシェムは400万が犠牲になったとしている[30]
以下の基礎データは The Columbia Guide to the Holocaust[31]による。
| 国別 | 戦前のユダヤ人人口 | 最小被害者数 | 最大被害者数[31] |
|---|---|---|---|
| オーストリア | 191,000 | 50,000 | 65,000 |
| ベルギー | 60,000 | 25,000 | 29,000 |
| チェコ[注 4] | 92,000 | 77,000 | 78,300 |
| デンマーク | 8,000 | 60 | 116 |
| エストニア | 4,600 | 1,500 | 2,000 |
| フランス | 260,000 | 75,000 | 77,000 |
| ドイツ | 566,000 | 135,000 | 142,000 |
| ギリシャ | 73,000 | 59,000 | 67,000 |
| ハンガリー [注 5] | 725,000 | 502,000 | 569,000 |
| イタリア | 48,000 | 6,500 | 9,000 |
| ラトビア | 95,000 | 70,000 | 72,000 |
| リトアニア | 155,000 | 130,000 | 143,000 |
| ルクセンブルク | 3,500 | 1,000 | 2,000 |
| オランダ | 112,000 | 100,000 | 105,000 |
| ノルウェー | 1,700 | 800 | 800 |
| ポーランド | 3,250,000 | 2,700,000 | 3,000,000 |
| ルーマニア | 441,000 | 121,000 | 287,000 |
| スロバキア | 89,000 | 60,000 | 71,000 |
| ソビエト連邦 | 2,825,000 | 700,000 | 1,100,000 |
| ユーゴスラビア | 68,000 | 56,000 | 65,000 |
| 合計 | 9,067,000 | 4,869,860 | 5,894,716 |
- ハンガリーのユダヤ人の犠牲者数は200,000人[32]。
- ルーマニアのユダヤ人の犠牲者数は469,000人で、1940年にソ連に占領されたベッサラビアとブコビナにおける30万がこれに含まれる[32][17]。
ユダヤ人以外の被害者
ナチスによる大量虐殺には非ユダヤ人の犠牲者が含まれるので、これを考慮すべきとする見解もある[33][34]。非ユダヤ人の犠牲者数は100万単位で異なるが、それはDonald Niewykによればユダヤ人のホロコーストに付随して起こったロマや身体障害者の虐殺、またナチスによる人種憎悪にソ連人や政治犯、同性愛者を含めてホロコーストとして定義するのかによって被害者数は1100〜1700万となると指摘している[35]。南フロリダ大学教育カレッジは、ナチスのジェノサイド政策によって1100万の人間が殺害されたとしている[36]。R・J・ラムルはナチスの民衆殺戮の犠牲者は2090万人とした[37]。ティモシー・スナイダーはナチスの大量虐殺計画によって計画的な飢饉や収容所での殺戮も実行され、結果として1040万人が殺害され、そのうちユダヤ人は540万人の犠牲であるとした[38]。ヘルムート・アウエルバッハはナチス時代に600万のユダヤ人と、700万の他の被害者がいると指摘している[39]。ディーター・ポールはナチス時代に1200-1400万が被害者となり、ユダヤ人は560-570万の被害とした[40]
- ロマ の最大推定被害者数は13万〜50万である[35][41][42]。イアン・ハンコックは50万から150万が被害となったとしている[43]。ハンコックはユダヤ人の犠牲と同様にロマの犠牲は「ほぼ確実に限界を超えた犠牲」とし[44]、2010年にはロマの犠牲はこれまでに過小に評価されてきたと述べている[45]。
- 身体障害者、精神障害者はT4作戦によって20万から25万が犠牲となった[46]。ドイツ連邦公文書館の2003年の報告ではT4作戦および、強制収容された者に対する14f13作戦の犠牲は20万人としている[47][48]
- 捕虜のナチスによる犠牲は、R. J. ラメルによれば310万[49]で、ソ連兵捕虜は260万から300万が犠牲となった[50]
- ポーランド人ポーランド民間人は180-190万人が犠牲となった[51]
- ロシア人, ウクライナ人, ベラルーシ人についてはナチスはスラヴ人を下等人種(ウンターメンシュ)とみなし、ソ連の多数の民間人が殺害されたり、餓死、強制労働の被害者となった[52]。Cambridge History of Russiaによればナチス占領のソ連地域では137万(そのうちユダヤ人は200万)、ソ連地域では260万が犠牲となり、戦時中にはソ連のグラグ収容所や強制移住で少なくとも100万が犠牲となり、著者のモーリン・ペリーは「スターリンとヒトラーは双方ともこの被害に責任がある」と指摘している[53]。Bohdan Wytwyckyはウクライナの民間人300万、ベラルーシ人140万が人種的な理由で犠牲となったとしている[54][55]。P.R.Magocsiもウクライナ人300万と非ユダヤ人がナチスの犠牲となったとしている[56]。ディーター・ポールは、ソ連においてナチスはパルチザン弾圧で50万を殺害、飢餓計画で100万、ソ連兵捕虜300万、ユダヤ人100万が犠牲になったとしている[57]。ゲオルギー・クマネフ(Georgiy A. Kumanev)は、ナチス占領のソ連では総計820万が犠牲となった(内訳はウクライナ人400万、ベラルーシ人250万、ロシア人170万)とした[58]。
1995年のロシア科学アカデミー報告ではナチスの占領によって1370万の民間人(ナチスのジェノサイドによって740万、強制労働で220万、飢饉と病気で410万)が犠牲になったとした[59]。また赤軍パルチザンによる報復でも多数の民間人の犠牲が出た[60]
- 同性愛者の収容所での被害は10万–15万といわれる[61]
- その他の犠牲: ローマ・カトリックの聖職者1,000 - 2,000人[62]。エホバの証人1,000人[63]。またフリーメイソン会員も被害にあっている[64]。アフリカ系ドイツ人(Rhineland Bastard)も隔離政策や去勢、人体実験、殺害の犠牲となった[65]。その他、共産主義者、社会主義者も犠牲になった[66]
- セルビア人: クロアチアのウスタシャ(チェトニックも参照のこと)による被害は50万以上が殺害、25万が追放、20万がローマ・カトリックへの改宗を強制された[67]。 アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館はウスタシャによって320,000 - 340,000のセルビア人が被害になり、 ヤセノヴァツ強制収容所では 45,000 - 52,000 が犠牲になったとしている[68]。
ロマ
| 国 | 戦前のロマ人口 | 最少被害者数 | 最大被害者数 |
|---|---|---|---|
| オーストリア | 11,200 | 6,800 | 8,250 |
| ベルギー | 600 | 350 | 500 |
| チェコ[注 4] | 13,000 | 5,000 | 6,500 |
| エストニア | 1,000 | 500 | 1,000 |
| フランス | 40,000 | 15,150 | 15,150 |
| ドイツ | 20,000 | 15,000 | 15,000 |
| ギリシャ | ? | 50 | 50 |
| ハンガリー | 100,000 | 1,000 | 28,000 |
| イタリア | 25,000 | 1,000 | 1,000 |
| ラトビア | 5,000 | 1,500 | 2,500 |
| リトアニア | 1,000 | 500 | 1,000 |
| ルクセンブルク | 200 | 100 | 200 |
| オランダ | 500 | 215 | 500 |
| ポーランド | 50,000 | 8,000 | 35,000 |
| ルーマニア | 300,000 | 19,000 | 36,000 |
| スロバキア | 80,000 | 400 | 10,000 |
| ソビエト連邦 | 200,000 | 30,000 | 35,000 |
| ユーゴスラビア | 100,000 | 26,000 | 90,000 |
| 合計 | 947,500 | 130,565 | 285,650 |
ソビエト連邦
| 第二次世界大戦におけるソビエト連邦の人的損失 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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- ソビエト連邦各国別[86]
| ソビエト連邦 | 人口 (1940年) | 軍人 | 民間人 | 合計 | 人口に占める被害者数の割合 |
|---|---|---|---|---|---|
| アゼルバイジャン | 3,270,000 | 210,000 | 90,000 | 300,000 | 9.1% |
| アルメニア | 1,320,000 | 150,000 | 30,000 | 180,000 | 13.6% |
| ベラルーシ | 9,050,000 | 620,000 | 1,670,000 | 2,290,000 | 25.3% |
| エストニア | 1,050,000 | 30,000 | 50,000 | 80,000 | 7.6% |
| グルジア | 3,610,000 | 190,000 [87] | 110,000 [87] | 300,000 | 8.3% |
| カザフスタン | 6,150,000 | 310,000 | 350,000 | 660,000 | 10.7% |
| キルギスタン | 1,530,000 | 70,000 | 50,000 | 120,000 | 7.8% |
| ラトビア | 1,890,000 | 30,000 | 230,000 | 260,000 | 13.7% |
| リトアニア | 2,930,000 | 25,000 | 350,000 | 375,000 | 12.7% |
| モルドバ | 2,470,000 | 50,000 | 120,000 | 170,000 | 6.9% |
| ロシア | 110,100,000 | 6,750,000 | 7,200,000 | 13,950,000 | 12.7% |
| タジキスタン | 1,530,000 | 50,000 | 70,000 | 120,000 | 7.8% |
| トルクメニスタン | 1,300,000 | 70,000 | 30,000 | 100,000 | 7.7% |
| ウズベキスタン | 6,550,000 | 330,000 | 220,000 | 550,000 | 8.4% |
| ウクライナ | 41,340,000 | 1,650,000 | 5,200,000 | 6,850,000 | 16.3% |
| 不明 | – | 165,000 | 130,000 | 295,000 | |
| ソ連合計 | 194,090,000 | 10,700,000 | 15,900,000 | 26,600,000 | 13.7% |
- 国有通信社RIAノーボスチはタジキスタンの死亡数は9万と発表している[88]
- グルジアは戦時中は占領されず、11万の民間人の死亡数は飢饉と病気による。
- ソ連の総計にはソ連国内での弾圧による犠牲も含まれ、グラグ(内務人民委員部管轄の強制収容所)の犠牲者数は史料発掘のたびに増加している[89][90][91][92]。ビクトル・ゼムスコフ (Viktor Zemskov)は1941年から1945年にかけて100万の死亡数が確認できたとした[93]。
- スティーブン・ローズフィールドによれば、ソ連時代の史料公開はKGBの偽情報であり[94]、またデータは不十分でたとえばカティンの森事件の22,000人の犠牲者数も含まれていない[95]。ローズフィールドは人口統計学の手法にもとづき、ソ連の政策による犠牲者数は1939年から1940年にかけて2,183,000人、1941年から1945年にかけて5,458,000人とした[96]。マイケル・ヘインズとルミー・フサンはソ連の情報はスターリンの犠牲についての計算としてはかなり正確で、また、強制収容所による犠牲よりも未熟な経済政策と戦死による被害を重視すべきとしている[97]
ポーランド国家記銘院の2009年調査ではソ連の弾圧で15万のポーランド人が犠牲になったとした[80]。Andrzej Paczkowskiはソ連によって100万の強制移住者のうち9-10万が犠牲になり、3万人が処刑されたとした[98]。2005年には Tadeusz Piotrowskiがソ連による被害は35万と推定した[99]。エストニアの政府調査委員会では、ソ連によるエストニア民間人の1940–1941年の犠牲は33,900人で、内訳は逮捕後の死者7,800、抑留流刑の死者6,000、行方不明1,100、強制労働14,000人。1944–45年のソ連占領後は5000人が犠牲になったとした[100]
ソビエトアーカイブの資料では、1939–1945年の死者は1,187,783人。内訳は処刑46,350、グラグにおける死者718,804、強制労働と囚人の死者422,629人であった[101]。
ソ連による強制移住の被害者は
- 1940–41年で38-39万におよび、ポーランドから309,000から312,000、リトアニアから17,500、ラトビアから17,000、エストニアから6,000、モルドバから22,842であった[102]。(1941年夏、ポーランド人1941, 243,106人が特赦で解放された[103])
- 1941–1945年では総計230万が強制移住の被害者となり、内訳はソ連に占領された地域のドイツ人1,209,000、フィンランド人9,000、カラチャイ人69,000、カルムイク人92,000、チェチェン人とイングーシ人で479,000、バルカル人37,000、クリミア・タタール人191,014、メスヘティア・トルコ人91,000、クリミア半島のギリシア人・ブルガリア人・アルメニア人42,000、ウクライナ民族主義者組織(OUN)からは10万、ポーランド人3万であった[104]
1945年10月時点で総計2,230,500人の生存者が収容所で発見された[105]。1941–1948年の間での死亡者数は309,100 であった[106]
枢軸国の捕虜のソ連における死者数は580,589で、内訳はドイツ人381,067、日本人62,069、ハンガリー人54,755、ルーマニア人54,612、イタリア人27,683、フィンランド人403であった[107]。ただし、実際には総計170万〜230万人が犠牲になったともいわれる[108]
日本
- 戦没者の総数
- 日本政府は1963(昭和38年)5月14日の閣議決定「戦没者追悼式の実施に関する件」において「戦没者」について「支那事変以降の戦争による死没者(軍人・軍属及び準軍属のほか、外地において非命にたおれた者、内地における戦災死没者等をも含む者とする。)」であると決定し[109]、戦没者の数を約310万人としている[109]。
- 厚生労働省は戦没者の概数を240万としている[110]。
- 日中戦争における犠牲
- 日中戦争での日本軍の犠牲者数総計44万6500人(陸軍38万4900人、海軍7600人、終戦後の死亡5万4000人)[111]——70万人とも[112]。また関東軍はソ連軍に降伏し、60万がシベリアなどに抑留、6万人が犠牲になった[111]。
- 日中戦争での中国の犠牲者は以下の通り。当時の中国大陸では、日本軍・南京中華民国政府軍・蔣介石国民革命軍・八路軍(共産党軍)・その他馬賊や抗日武装勢力などが割拠していた。また国共内戦は国共合作以降も断続しており、第二次世界大戦後に再開している。中国の民衆は農業や商業、工業、運輸などの生活基盤を破壊されると共に各勢力の戦闘に巻き込まれたり、各勢力からの食糧徴発や焦土作戦の影響で飢餓に陥る人も大勢いた。また在留外国人も戦闘に巻き込まれた。(第二次上海事変を参照)。日本軍による三光政策や南京事件など非武装住民に対する意図的な虐殺が頻発したとされる[113]。
| 発表年 | 中国の死傷人数 | 調査機関 | 補足 |
| 1946年 | 軍人作戰死亡132万8501 | 中華民國國防部・発表[114] | 国民革命軍のみ[115] |
| 1947年 | 平民死亡439万7504 | 中華民國行政院賠償委員會[116][117] | 国民党統治区域に限る[117]。 |
| 1947年 | 軍民死傷1278万4974 | 中華民國行政院賠償委員會[116][117] | 国民党統治区域・軍人死傷365万405・平民死傷913万4569[115] |
| 1985年 | 軍民死亡2100万 | 共産党政権発表(抗日勝利40周年) | 軍隊戦死100万、民間人約2000万。 |
| 1995年 | 軍民死傷約3500万 | 江沢民発表[118]、解放軍軍事科学院軍歴史研究部[119] | 軍人戦死380万、民間人死亡2000万。軍民死傷者総数3500万は国共両軍、民間人の死傷人数の合計数であり[119]、また概算統計であるため、国共内戦の犠牲者との区別は不明[注 6]。 |
- 日本軍に協力した各国の軍事・準軍事組織
- 上記表の他、朝鮮人日本兵、台湾人日本兵・高砂義勇隊がいる[120]。
- このほか、日本軍に協力または日本軍によって組織された軍事組織は以下の通り。
- 南京中華民国政府軍 (汪兆銘)
- 満州国軍
- 内蒙軍・チャハル守備隊。
- インド国民軍の総兵力は約45,000人、インパール作戦で戦死400人、餓死および戦病死1500人。
- インドネシア郷土防衛義勇軍の兵力は66大団、約3万6千人。(インドネシア独立戦争では80万が犠牲になった)
- バリ郷土防衛義勇軍(3大団、約1600名)
- ラスカル・ラヤット(スマトラ義勇軍)数万[121]
- ビルマ独立義勇軍 1941年年末からのビルマ侵攻作戦では戦死642人、負傷400人[122]。兵力は1942年5月には27,000人[122]。
- ビルマ防衛軍(BDA)1942年結成。兵力8000[123]、翌年、ビルマ独立とともにビルマ国民軍(BNA)へ改称、兵力15,000[124]となったが1944年インパール作戦失敗による日本軍の劣勢に応じて抗日運動を開始した[125]。
- カレン民族解放軍
- 民間人の犠牲
- R. J. Rummelは日本軍による民衆殺戮によって総計5,424,000人が犠牲となった(内訳:中国人3,695,000、インドシナ人457,000、朝鮮人378,000、インドネシア人375,000、マレー・シンガポール人283,000、フィリピン人 119,000,ビルマ人 60,000、太平洋諸島57,000人)としている[7][126]。
- ヴェルナー・グリュール(Werner Gruhl)は日本軍による民間人犠牲者は総計20,365,000人(内訳:中国人12,392,000、インドシナ150万、朝鮮人50万、オランダ領東インド300万、マレーシンガポール10万、フィリピン50万、ビルマ17万、東南アジアでの強制労働7万、非アジア人の抑留民間人3万、チィモール人6万、タイと太平洋諸島6万)[127]。
- チャルマーズ・ジョンソンは、フィリピン人、英領マレー人、ベトナム人、カンボジア人、インドネシア人、ビルマ人の3000万人が日本軍の犠牲となり、華僑は2300万人が日本軍の犠牲になったとした[128]。
- 捕虜の犠牲
- シンガポール陥落で英領インド軍6万が捕虜となり、11000人が死亡した[129]。
- ヴァン・ウォーターフォードやバーニス・アーチャーらによれば日本軍の捕虜収容所では民間人130,895が収容され、飢えと病気で14,657人が死亡した[130][131]。
- グリュールは日本軍による捕虜殺害を総計331,584(内訳:中国人27万、オランダ人8,500、イギリス人12,433、カナダ人273、フィリピン人2万、オーストラリア人7,412、ニュージーランド人31人、アメリカ合衆国人12,935)としている[127]。
- R. J. Rummelは日本軍による捕虜殺害は総計539,000人(内訳:中国人40万、フランスインドシナ3万、フィリピン27,300、オランダ25,000、フランス14,000、イギリス13,000、イギリス植民地11,000、アメリカ合衆国10,700、オーストラリア8,000人)であるとしている[7][126]
- 資料
軍種別の死者数
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