第二次世界大戦の犠牲者

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第二次世界大戦の犠牲者(だいにじせかいたいせんのぎせいしゃ)では、第二次世界大戦における軍人民間人の犠牲者数の統計について記述する。

なお、以下に記述する「被害者数」、「犠牲者数」、「人的損失数」とは、特記しない限り、「死者数」を意味しており、傷病者数を含まない数字である。

第二次世界大戦における連合国枢軸国および中立国軍人民間人の被害者数の総計は5000万〜8000万人とされる[1]。8500万人とする統計もある。当時の世界の人口の2.5%以上が被害者となった。また、これらには飢饉病気の被害者数も含まれる。

  • 民間人の被害者数:3800万〜5500万(飢饉病気によるものは1300万〜2000万)。
  • 軍人の被害者数:2200万〜2500万。捕虜としての死者数も含む。

近年、ソビエト連邦の崩壊以降のロシアの再調査で、ソ連が自国の被害者数を誇張していたことがわかっている[2]が、再調査でも2660万であり依然第二次世界大戦最大である[3]

被害者数については研究者間でも見解が異なる[4]。Oxford Companion to World War II (2005)の著者I. C. B. ディアは「犠牲者の統計は信頼性の低いものが多い」とのべている[5]。下記の表では数値について異なる見解がある場合はその旨を記す。

軍人の犠牲者数には戦闘での死者数、行方不明、事故、病気、捕虜としての死者数も含まれる。

民間人の犠牲者数には戦略爆撃大量虐殺戦争犯罪ソ連の強制移住などによる死者数も含まれる。気候だけでなく戦争を原因とする飢饉の被害者数は400万〜1200万とされるが、中国インドネシア、1943年のベンガル大飢饉、1945年のベトナム大飢饉フィリピンにおける飢饉被害も含まれる[6][7]

以下の基礎データはコモンウェルス戦争墓地委員会による[8]

第二次世界大戦における各国の人的損失
国名 全人口(1939年1月1日時点[9]

軍人

民間人 合計 人口(1939年)における犠牲者数の割合
アルバニアの旗 アルバニアA1,073,00030,00030,0002.81
オーストラリアの旗 オーストラリアB6,998,00039,80070040,5000.57
オーストリアの旗 オーストリア (ドイツによる併合(独墺合邦))C6,650,000ドイツ軍に含む120,000120,000

(後述)

ベルギーの旗 ベルギーD8,387,00012,10075,90088,0001.05
ブラジルの旗 ブラジルE40,289,0001,0001,0002,0000.02
ブルガリアの旗 ブルガリアF6,458,00022,0003,00025,0000.38
ビルマ (イギリス領インド帝国の一州)G16,119,00022,000250,000272,0001.69
カナダの旗 カナダH11,267,00045,40045,4000.40
中華民国の旗 中華民国 I517,568,0003,000,000
〜 4,000,000
7,000,000
〜 16,000,000
10,000,000
〜 20,000,000

(1.93 〜 3.86)

キューバの旗 キューバJ4,235,0001001000.00
チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア (1938年以降の領域)K10,400,000 25,000300,000325,0003.15
デンマークの旗 デンマークL3,795,0002,1001,1003,2000.08
オランダの旗 オランダ領東インドM  69,435,0003,000,000
〜 4,000,000
3,000,000
〜 4,000,000

(4.3 〜 5.76)

エストニアの旗 エストニア N1,122,000ソ連、ドイツ、フィンランド軍も含む50,00050,0004.44
エチオピアO17,700,0005,00095,000100,0000.6
フィンランドの旗 フィンランドP3,700,00095,0002,00097,0002.62
フランスの旗 フランス[注 1]Q41,700,000200,000
帝国植民地も含む
350,000550,0001.35
フランス領インドシナR24,600,0001,000,000
〜 1,500,000
1,000,000
〜 1,500,000

(4.07 〜 6.1)

ナチス・ドイツの旗 ドイツS69,850,0004,300,000
〜 5,500,000
1,500,000
〜 3,500,000
7,000,000
〜 9,000,000

(後述)

ギリシャ(1941-1944)T 7,222,00020,000
〜 35,100
300,000320,000
〜 335,100
4.5
ハンガリーの旗 ハンガリーU9,129,000300,000280,000580,0006.35
アイスランドV119,0002002000.17
イギリス領インド帝国の旗 英領インドW378,000,00087,0001,500,000
〜 2,500,000
1,587,000
〜 2,587,000

(0.42 〜 0.68)

イランX14,340,0002002000.00
イラクY3,698,0005005000.01
アイルランドの旗 アイルランドZ2,960,0002002000.00
イタリア王国の旗イタリアAA44,394,000301,400 (アフリカ人徴集 10,000人も含む)153,200454,6001.03
日本の旗 日本AB71,380,0002,120,000[注 2][注 3]500,000
〜 1,000,000
2,620,000 〜 3,120,000

(3.67 〜 4.37)

大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮AC24,326,32722,18222,182
ラトビアの旗 ラトビア AD1,951,000ソ連軍・ドイツ軍含む230,000230,00011.78
リトアニア AE2,442,000ソ連軍・ドイツ軍含む350,000350,00014.33
ルクセンブルクの旗 ルクセンブルクAF295,0002,0002,0000.68
マラヤ連邦の旗 マラヤ連邦 (イギリス領)AG4,391,000100,000100,0002.28
マルタ (イギリス領)AH269,0001,5001,5000.56
メキシコの旗 メキシコAI19,320,0001001000.00
モンゴル国の旗 モンゴルAJ819,0003003000.04
オーストラリアの旗 ナウル (オーストラリア領)AK3,40050050014.7
ネパールの旗 ネパール BG6,000,000英領インド帝国軍含む
オランダの旗 オランダAL8,729,00017,000284,000301,0003.45
ニューファンドランド AM300,000イギリス軍に含む1001000.03
ニュージーランドの旗 ニュージーランドAN1,629,00011,90011,9000.73
ノルウェーの旗 ノルウェーAO2,945,0003,0006,5009,5000.32
オーストラリアの旗 オーストラリア領パプア及びニューギニアAP1,292,00015,00015,0001.17
フィリピンAQ16,000,00057,000500,000
〜 1,000,000
557,000
〜 1,057,000

(3.48 〜 6.6)

ポーランドの旗 ポーランドAR34,849,000240,0005,380,000
〜 5,580,000
5,620,000
〜 5,820,000

(16.1 〜 16.7)

ポルトガルの旗 ポルトガル領ティモールAS 500,00040,000
〜 70,000
40,000
〜 70,000

(8.00 〜 14.00)

ルーマニア王国の旗 ルーマニア AT19,934,000300,000500,000800,0004.01
ベルギーの旗 ベルギールアンダ=ウルンディ AU4,200,0000 〜 300,0000 〜 300,000

(0.00 〜 7.1)

シンガポールの旗 シンガポール (イギリス領)AV728,00050,00050,0006.87
南アフリカAW10,160,00011,90011,9000.12
日本の旗 日本領南洋諸島 AX1,900,00057,00057,0003.00
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 AY168,524,0008,700,000
〜 13,850,000
13,000,000
〜 18,000,000
21,800,000
〜 28,000,000
(後述)
スペインの旗 スペインAZ25,637,000ドイツ軍に含める
スウェーデンの旗 スウェーデンBA6,341,0006006000.01
スイスの旗 スイスBB4,210,0001001000.00
タイ王国の旗 タイBC15,023,0005,6002,0007,6000.04
トルコの旗 トルコBD17,370,0002002000.00
イギリスの旗 イギリスBE47,760,000383,800 植民地も含む[10]67,100450,9000.94
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国BF131,028,000416,800 (商船員 (9,500)及び沿岸警備隊 (1,900)も含む)1,700418,5000.32
ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビアBG15,400,000446,000581,0001,027,0006.67
2,000,000,00022,000,000
〜 30,000,000
38,000,000
〜 55,000,000
60,000,000
〜 85,000,000

(3.17 〜 4.00)

  • ソ連[11][12]では2660万が犠牲となった(全人口1億9670万の13.5%)[13]
  • ポーランド[12]の被害は440万で、全人口2320万の19.0%[14][15]ポーランド国家記銘院2009年調査は被害者数は560〜580万とした[16]
  • ルーマニア[17]の被害は50万で、全人口1590万の3.1%[18]
  • チェコスロバキアの被害者総計は250,000で、全人口1460万の1.7%[19]

ナチス・ドイツ

第二次世界大戦におけるナチス・ドイツの人的損失

国名

総人口
1939
軍人 民間人 合計 人口に占める被害者数の割合
オーストリア6,650,000260,000[20]120,000380,0005.7
ドイツ69,300,0004,400,000[20]1,100,000
〜 2,500,000
5,500,000
〜 6,900,000
7.9
〜 10.0
他の国におけるドイツ人6,700,000600,000[20]200,000
〜 900,000
800,000
〜 1,500,000
9.7
〜 19.4
ドイツ軍におけるソ連民間人800,000200,000[21]200,00027.5
合計83,500,0004,300,000[22]〜 5,500,000 [20][21]1,500,000
〜 3,500,000
7,000,000
〜 9,000,000
8.0
〜 10.5

ユダヤ人

マーティン・ギルバートはドイツのホロコーストによって、730万のユダヤ人のうち570万(人口の78%)が犠牲になったとしている[26]。他に、490万から600万にいたる推算がある[27]

以下の基礎データは The Columbia Guide to the Holocaust[31]による。

国別 戦前のユダヤ人人口 最小被害者数 最大被害者数[31]
オーストリア 191,000 50,000 65,000
ベルギー 60,000 25,000 29,000
チェコ[注 4] 92,000 77,000 78,300
デンマーク 8,000 60 116
エストニア 4,600 1,500 2,000
フランス 260,000 75,000 77,000
ドイツ 566,000 135,000 142,000
ギリシャ 73,000 59,000 67,000
ハンガリー [注 5] 725,000 502,000 569,000
イタリア 48,000 6,500 9,000
ラトビア 95,000 70,000 72,000
リトアニア 155,000 130,000 143,000
ルクセンブルク 3,500 1,000 2,000
オランダ 112,000 100,000 105,000
ノルウェー 1,700 800 800
ポーランド 3,250,000 2,700,000 3,000,000
ルーマニア 441,000 121,000 287,000
スロバキア 89,000 60,000 71,000
ソビエト連邦 2,825,000 700,000 1,100,000
ユーゴスラビア 68,000 56,000 65,000
合計 9,067,000 4,869,860 5,894,716
  • ハンガリーのユダヤ人の犠牲者数は200,000人[32]
  • ルーマニアのユダヤ人の犠牲者数は469,000人で、1940年にソ連に占領されたベッサラビアブコビナにおける30万がこれに含まれる[32][17]

ユダヤ人以外の被害者

ナチスによる大量虐殺には非ユダヤ人の犠牲者が含まれるので、これを考慮すべきとする見解もある[33][34]。非ユダヤ人の犠牲者数は100万単位で異なるが、それはDonald Niewykによればユダヤ人のホロコーストに付随して起こったロマや身体障害者の虐殺、またナチスによる人種憎悪にソ連人や政治犯、同性愛者を含めてホロコーストとして定義するのかによって被害者数は1100〜1700万となると指摘している[35]。南フロリダ大学教育カレッジは、ナチスのジェノサイド政策によって1100万の人間が殺害されたとしている[36]。R・J・ラムルはナチスの民衆殺戮の犠牲者は2090万人とした[37]。ティモシー・スナイダーはナチスの大量虐殺計画によって計画的な飢饉や収容所での殺戮も実行され、結果として1040万人が殺害され、そのうちユダヤ人は540万人の犠牲であるとした[38]。ヘルムート・アウエルバッハはナチス時代に600万のユダヤ人と、700万の他の被害者がいると指摘している[39]。ディーター・ポールはナチス時代に1200-1400万が被害者となり、ユダヤ人は560-570万の被害とした[40]

  • ロマ の最大推定被害者数は13万〜50万である[35][41][42]。イアン・ハンコックは50万から150万が被害となったとしている[43]。ハンコックはユダヤ人の犠牲と同様にロマの犠牲は「ほぼ確実に限界を超えた犠牲」とし[44]、2010年にはロマの犠牲はこれまでに過小に評価されてきたと述べている[45]
  • 身体障害精神障害T4作戦によって20万から25万が犠牲となった[46]。ドイツ連邦公文書館の2003年の報告ではT4作戦および、強制収容された者に対する14f13作戦の犠牲は20万人としている[47][48]
  • 捕虜のナチスによる犠牲は、R. J. ラメルによれば310万[49]で、ソ連兵捕虜は260万から300万が犠牲となった[50]
  • ポーランド人ポーランド民間人は180-190万人が犠牲となった[51]
  • ロシア人, ウクライナ人, ベラルーシ人についてはナチスはスラヴ人を下等人種(ウンターメンシュ)とみなし、ソ連の多数の民間人が殺害されたり、餓死、強制労働の被害者となった[52]Cambridge History of Russiaによればナチス占領のソ連地域では137万(そのうちユダヤ人は200万)、ソ連地域では260万が犠牲となり、戦時中にはソ連のグラグ収容所や強制移住で少なくとも100万が犠牲となり、著者のモーリン・ペリーは「スターリンとヒトラーは双方ともこの被害に責任がある」と指摘している[53]。Bohdan Wytwyckyはウクライナの民間人300万、ベラルーシ人140万が人種的な理由で犠牲となったとしている[54][55]。P.R.Magocsiもウクライナ人300万と非ユダヤ人がナチスの犠牲となったとしている[56]。ディーター・ポールは、ソ連においてナチスはパルチザン弾圧で50万を殺害、飢餓計画英語版で100万、ソ連兵捕虜300万、ユダヤ人100万が犠牲になったとしている[57]。ゲオルギー・クマネフ(Georgiy A. Kumanev)は、ナチス占領のソ連では総計820万が犠牲となった(内訳はウクライナ人400万、ベラルーシ人250万、ロシア人170万)とした[58]

1995年のロシア科学アカデミー報告ではナチスの占領によって1370万の民間人(ナチスのジェノサイドによって740万、強制労働で220万、飢饉と病気で410万)が犠牲になったとした[59]。また赤軍パルチザンによる報復でも多数の民間人の犠牲が出た[60]

ロマ

ロマの被害者数[69]

戦前のロマ人口 最少被害者数 最大被害者数
オーストリア 11,200 6,800 8,250
ベルギー 600 350 500
チェコ[注 4] 13,000 5,000 6,500
エストニア 1,000 500 1,000
フランス 40,000 15,150 15,150
ドイツ 20,000 15,000 15,000
ギリシャ ? 50 50
ハンガリー 100,000 1,000 28,000
イタリア 25,000 1,000 1,000
ラトビア 5,000 1,500 2,500
リトアニア 1,000 500 1,000
ルクセンブルク 200 100 200
オランダ 500 215 500
ポーランド 50,000 8,000 35,000
ルーマニア 300,000 19,000 36,000
スロバキア 80,000 400 10,000
ソビエト連邦 200,000 30,000 35,000
ユーゴスラビア 100,000 26,000 90,000
合計 947,500 130,565 285,650

ソビエト連邦

第二次世界大戦におけるソビエト連邦の人的損失

国名

人口 軍人 民間人 合計 人口に占める被害者数の割合
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦168,500,000 [70]8,700,000
〜 13,850,000
10,000,000
〜 15,000,000
18,000,000
〜 24,000,000
13.6 〜 14.2
エストニアの旗 エストニア1,100,000[71][72]50,00050,0004.5
ラトビアの旗 ラトビア1,900,000[71][72]230,000230,00011.6
リトアニアの旗 リトアニア[73][74])2,500,000[71][72]350,000350,00014.5
ポーランドの旗 ポーランド,ソ連が占領した東部11,500,000[72][75][76]2,000,0002,000,00017.2
ルーマニアの旗 ルーマニア3,700,000 [71]300,000300,0008.1
ドイツ系民族の移動1939-1941(400,000)[77]
人口増加 1939-19417,900,000[70]
ドイツ軍におけるソ連人220,000[78]220,000
総計196,700,000[70]8,700,000
〜 13,850,000
13,000,000
〜 18,000,000
21,800,000
〜 28,000,000
11.0 〜 14.2
  • 1939年のソ連によるポーランド併合には西ウクライナ、西ベラルーシ、ヴィリニュス地域を含み、人口は1300万であった。これには戦後返還されたビャウィストクen:Zakerzoniaも含まれる。1941年にポーランド亡命政府は併合された地域の人口を13,299,000人と主張した[79]。ポーランドの研究者は併合地域の200万が犠牲になったとしている[80]。ポーランド、ルーマニア、バルト諸国、チェコの併合地域の人口については League of Nations' Yearbook 1942–1944に基づいた[71]
  • グラスノスチ以降出された史料によれば、2180万〜4600万が死亡した[81]。ロシア科学アカデミーは1993年に2660万と発表、これがロシアの公式数値でもある[70][82]
  • 1993年にロシア国防省のG. I. Krivosheevの発表では、ソ連軍の死者数は8,668,400人であった[83]。S. N. Mikhalevはこの公式発表は不十分な計算で、ソ連軍死者数10,922,000人であると述べている[84]
  • ロシア国防省中央資料館のS. A. Il'enkovは、ソ連軍死者数は1385万とした[85]
ソビエト連邦各国別[86]
ソビエト連邦人口 (1940年)軍人民間人合計人口に占める被害者数の割合
アゼルバイジャン3,270,000210,00090,000300,0009.1%
アルメニア1,320,000150,00030,000180,00013.6%
ベラルーシ9,050,000620,0001,670,0002,290,00025.3%
エストニア1,050,00030,00050,00080,0007.6%
グルジア3,610,000190,000 [87]110,000 [87]300,0008.3%
カザフスタン6,150,000310,000350,000660,00010.7%
キルギスタン1,530,00070,00050,000120,0007.8%
ラトビア1,890,00030,000230,000260,00013.7%
リトアニア2,930,00025,000350,000375,00012.7%
モルドバ2,470,00050,000120,000170,0006.9%
ロシア110,100,0006,750,0007,200,00013,950,00012.7%
タジキスタン1,530,00050,00070,000120,0007.8%
トルクメニスタン1,300,00070,00030,000100,0007.7%
ウズベキスタン6,550,000330,000220,000550,0008.4%
ウクライナ41,340,0001,650,0005,200,0006,850,00016.3%
不明165,000130,000295,000
ソ連合計194,090,00010,700,00015,900,00026,600,00013.7%
  • 国有通信社RIAノーボスチタジキスタンの死亡数は9万と発表している[88]
  • グルジアは戦時中は占領されず、11万の民間人の死亡数は飢饉と病気による。
  • ソ連の総計にはソ連国内での弾圧による犠牲も含まれ、グラグ内務人民委員部管轄の強制収容所)の犠牲者数は史料発掘のたびに増加している[89][90][91][92]。ビクトル・ゼムスコフ (Viktor Zemskov)は1941年から1945年にかけて100万の死亡数が確認できたとした[93]
  • スティーブン・ローズフィールドによれば、ソ連時代の史料公開はKGBの偽情報であり[94]、またデータは不十分でたとえばカティンの森事件の22,000人の犠牲者数も含まれていない[95]。ローズフィールドは人口統計学の手法にもとづき、ソ連の政策による犠牲者数は1939年から1940年にかけて2,183,000人、1941年から1945年にかけて5,458,000人とした[96]。マイケル・ヘインズとルミー・フサンはソ連の情報はスターリンの犠牲についての計算としてはかなり正確で、また、強制収容所による犠牲よりも未熟な経済政策と戦死による被害を重視すべきとしている[97]

ポーランド国家記銘院の2009年調査ではソ連の弾圧で15万のポーランド人が犠牲になったとした[80]。Andrzej Paczkowskiはソ連によって100万の強制移住者のうち9-10万が犠牲になり、3万人が処刑されたとした[98]。2005年には Tadeusz Piotrowskiがソ連による被害は35万と推定した[99]。エストニアの政府調査委員会では、ソ連によるエストニア民間人の1940–1941年の犠牲は33,900人で、内訳は逮捕後の死者7,800、抑留流刑の死者6,000、行方不明1,100、強制労働14,000人。1944–45年のソ連占領後は5000人が犠牲になったとした[100]

ソビエトアーカイブの資料では、1939–1945年の死者は1,187,783人。内訳は処刑46,350、グラグにおける死者718,804、強制労働と囚人の死者422,629人であった[101]

ソ連による強制移住の被害者は

1945年10月時点で総計2,230,500人の生存者が収容所で発見された[105]。1941–1948年の間での死亡者数は309,100 であった[106]

枢軸国の捕虜のソ連における死者数は580,589で、内訳はドイツ人381,067、日本人62,069、ハンガリー人54,755、ルーマニア人54,612、イタリア人27,683、フィンランド人403であった[107]。ただし、実際には総計170万〜230万人が犠牲になったともいわれる[108]

日本

戦没者の総数
  • 日本政府は1963(昭和38年)5月14日の閣議決定「戦没者追悼式の実施に関する件」において「戦没者」について「支那事変以降の戦争による死没者(軍人・軍属及び準軍属のほか、外地において非命にたおれた者、内地における戦災死没者等をも含む者とする。)」であると決定し[109]、戦没者の数を約310万人としている[109]
  • 厚生労働省は戦没者の概数を240万としている[110]
日中戦争における犠牲
発表年中国の死傷人数調査機関補足
1946年軍人作戰死亡132万8501中華民國國防部・発表[114]国民革命軍のみ[115]
1947年平民死亡439万7504中華民國行政院賠償委員會[116][117]国民党統治区域に限る[117]
1947年軍民死傷1278万4974中華民國行政院賠償委員會[116][117]国民党統治区域・軍人死傷365万405・平民死傷913万4569[115]
1985年軍民死亡2100万共産党政権発表(抗日勝利40周年)軍隊戦死100万、民間人約2000万。
1995年軍民死傷約3500万江沢民発表[118]、解放軍軍事科学院軍歴史研究部[119]軍人戦死380万、民間人死亡2000万。軍民死傷者総数3500万は国共両軍、民間人の死傷人数の合計数であり[119]、また概算統計であるため、国共内戦の犠牲者との区別は不明[注 6]
日本軍に協力した各国の軍事・準軍事組織
民間人の犠牲
  • R. J. Rummelは日本軍による民衆殺戮によって総計5,424,000人が犠牲となった(内訳:中国人3,695,000、インドシナ人457,000、朝鮮人378,000、インドネシア人375,000、マレー・シンガポール人283,000、フィリピン人 119,000,ビルマ人 60,000、太平洋諸島57,000人)としている[7][126]
  • ヴェルナー・グリュール(Werner Gruhl)は日本軍による民間人犠牲者は総計20,365,000人(内訳:中国人12,392,000、インドシナ150万、朝鮮人50万、オランダ領東インド300万、マレーシンガポール10万、フィリピン50万、ビルマ17万、東南アジアでの強制労働7万、非アジア人の抑留民間人3万、チィモール人6万、タイと太平洋諸島6万)[127]
  • チャルマーズ・ジョンソンは、フィリピン人、英領マレー人、ベトナム人、カンボジア人、インドネシア人、ビルマ人の3000万人が日本軍の犠牲となり、華僑は2300万人が日本軍の犠牲になったとした[128]
捕虜の犠牲
  • シンガポール陥落で英領インド軍6万が捕虜となり、11000人が死亡した[129]
  • ヴァン・ウォーターフォードやバーニス・アーチャーらによれば日本軍の捕虜収容所英語版では民間人130,895が収容され、飢えと病気で14,657人が死亡した[130][131]
  • グリュールは日本軍による捕虜殺害を総計331,584(内訳:中国人27万、オランダ人8,500、イギリス人12,433、カナダ人273、フィリピン人2万、オーストラリア人7,412、ニュージーランド人31人、アメリカ合衆国人12,935)としている[127]
  • R. J. Rummelは日本軍による捕虜殺害は総計539,000人(内訳:中国人40万、フランスインドシナ3万、フィリピン27,300、オランダ25,000、フランス14,000、イギリス13,000、イギリス植民地11,000、アメリカ合衆国10,700、オーストラリア8,000人)であるとしている[7][126]
資料

太平洋戦争(大東亜戦争)の戦争被害については以下の資料がある。

  • 『日本長期統計総覧5』日本統計協会編,日本統計協会,1988,「戦争別戦費、戦争別死傷者数」(p.535)
  • 『完結昭和国勢総覧 第3巻』東洋経済新報社編 東洋経済新報社 1991
  • 『史料・太平洋戦争被害調査報告』中村隆英,宮崎正康編 東京大学出版会 1995
  • 『日本陸海軍事典 下』原剛,安岡昭男編, 新人物往来社,2003,「大東亜戦争における地域別兵員および死没者数」(pp.250–251),「主要戦争・事変等における陸海軍死没者数」(p.254)
  • 『日本の空襲』復刻版 全10巻(日本の空襲編集委員会編 三省堂 2003)第10巻総合統計

軍種別の死者数

軍種別の死者数
軍種 編成数 死亡/行方不明 負傷 捕虜 死亡数の割合
ドイツ陸軍[132]13,600,0004,202,00030.9
空軍[132]2,500,000433,00017.3
海軍[132]1,200,000138,00011.5
武装親衛隊 (Waffen SS)[132]900,000314,00034.9
国民突撃隊など準軍事的な組織[132]231,000
ドイツ軍に徴集されたソ連人[21][133]215,000
軍種不明6,035,000[134]11,100,000[135]
ドイツ軍合計18,200,0005,533,0006,035,00011,100,00030.4
日本[136][137]陸軍6,300,0001,326,07685,60030,00024.22
海軍2,100,000414,8798,90010,00019.76
降伏後殺害された捕虜[138][139][140]381,000
日本軍合計2,121,955
イタリア全軍種3,430,000[141]291,376[142]320,0001,300,000[143]8.49
ソビエト連邦 (1939–40)全軍種[144]136,945205,924
ソビエト連邦 (1941–45) 全軍種[145]34,476,7008,668,40014,685,5934,050,00025.1
予備兵 [146]500,000
捕虜収容所における民間人[147]1,000,0001,750,000
準軍事的組織およびソビエトパルチザン[148]400,000
ソ連合計10,725,34514,915,5175,750,000
イギリス連邦[8][149][150]全軍種11,115,000580,497475,000318,0005.2
アメリカ合衆国[151]陸軍[152]11,260,000318,274565,8612.8
空軍 (陸軍含む)[153](3,400,000)(88,119)(17,360)2.5
海軍4,183,44662,61437,7781.5
海兵隊669,10024,51168,2073.66
沿岸警備隊[154]241,0931,9170.78
アメリカ商船[155]243,0009,52112,0003.9
軍種不明[156]c.130,000
米軍合計16,596,639416,837683,846c.130,0002.5

ドイツ

  1. 戦闘による死者数は2,303,320人(内訳:負傷、病気、事故によるもの500,165、軍事法廷での処刑11,000、行方不明2,007,571、自殺 25,000、不明12,000)[157]。捕虜としての死亡は459,475人、英米仏での強制収容所では77,000、ソ連の強制収容所で363,000(ソ連における1945年6月以降の266,000の死亡数もこれに含まれる)であった[158]。リューディガー・オーバーマンは西部戦線での150万人の行方不明のうち半数が戦闘で死亡し、残る半数70万人はソ連の収容所で死亡したとしている[159]。ソ連側資料では、ドイツ軍捕虜2,652,672のうち、474,967人が死亡した[160]

ソ連

  1. 西部戦線でのソ連軍の人的損失には、860万〜1060万の行方不明・捕虜・赤軍パルチザンが含まれる[148]。またフィンランドとの冬戦争では127,000の損失となった[161]
  2. ソ連公式発表では1941–45年の戦死者は8,668,400人で、その内戦闘による死亡は6,329,600、戦闘以外での死亡は555,500[162]、行方不明は50万、捕虜としての死亡は1,103,300で、解放後の捕虜18万のほとんどが外国へ移住したとみられる[163][164]。これには海軍の損失154,771も含まれる[165]。戦闘以外での死亡数には軍事法廷による処刑157,000も含まれる[166]
  3. 1939–40年の損失にはノモンハン事件での8,931人、ソ連のポーランド侵攻での1,139人、フィンランドとの冬戦争での126,875人が含まれている[144]

イギリス連邦

  1. 帝国植民地の総計5,896,000(内訳:インド2,582,000、オーストラリア993,000、カナダ110万、ニュージーランド295,000、南アフリカ25万[167]
  2. コモンウェルス戦争墓地委員会の調査ではイギリスと帝国植民地の総計は383,786(内訳:インド87,032、オーストラリア40,464、カナダ45,383、ニュージーランド11,929、南アフリカ11,903)[8]
  3. 負傷者: イギリスと帝国植民地総計は284,049(内訳:インド64,354、オーストラリア39,803、カナダ53,174、ニュージーランド19,314、南アフリカ14,363)[149][168][169]
  4. 捕虜: イギリスと帝国植民地総計は180,488(内訳:インド79,481、オーストラリア26,358、カナダ9,334、ニュージーランド8,415、南アフリカ14,750[149][168][169]
  5. コモンウェルスの軍事的損失はコモンウェルス戦争墓地委員会2010-2011年報による[8]

アメリカ

  1. 戦闘による人的損失の総計292,131〜416,837 (ヨーロッパ大西洋戦線での死亡は185,924、アジア・太平洋戦争での死亡は106,207[170][171]〜156,283人[172]・196,265人(戦闘外での死者を含む)[173]・戦傷者248,316名[174]
  2. 海上輸送に従事した商船員の死亡 9,521人は軍事的損失に含む [175]
  3. 戦時中のアフリカ系アメリカ人の動員は120万で、そのうち戦死は708人。また35万の女性が動員され、そのうち死者は16人だった[176]

グラフ

参照

脚注

関連項目

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