簡王 (周) From Wikipedia, the free encyclopedia 国名 周在位期間 前586年 - 前572年都城 王城(洛邑)姓・諱 姫夷簡王 周 王国名 周在位期間 前586年 - 前572年都城 王城(洛邑)姓・諱 姫夷生年 不詳没年 前572年父 定王 簡王(かんおう、? - 紀元前572年)は、中国の春秋時代の周の王。姓は姫、名は夷。 周の定王の子として生まれた[1]。紀元前586年11月己酉、定王が死去する[2]と、簡王は即位した[1]。 紀元前580年、周公楚が伯輿(中国語版)と政権を争って敗れ、出奔した。簡王は劉子を派遣して鄄で周公と盟を交わさせ、呼び戻した。しかし3日後、周公は晋に亡命した。この年、晋の郤至が周と鄇の田土を争ったため、簡王は劉康公(中国語版)と単襄公(中国語版)に命じて晋の厲公に訴えさせた[3]。 紀元前573年、晋の欒書と中行偃が主君の厲公を殺害した。周子(悼公)が留学先の成周から迎えられて晋の国君に立てられた[4]。 紀元前572年9月辛酉、簡王は死去し[5]、子の姫泄心(霊王)が即位した[1]。 脚注 1 2 3 『史記』周本紀 ↑ 『春秋』成公5年 ↑ 『春秋左氏伝』成公11年 ↑ 『春秋左氏伝』成公18年 ↑ 『春秋左氏伝』襄公元年 表話編歴周の王周の先王 后稷 不窋 鞠 公劉 慶節 皇僕 差弗 毀隃 公非 高圉 亜圉 公叔祖類 古公亶父 季歴 文王 西周 武王 成王 康王 昭王 穆王 共王 懿王 孝王 夷王 厲王 (共和) 宣王 幽王 携王 東周 平王 桓王 荘王 釐王 恵王 襄王 頃王 匡王 定王 簡王 霊王 景王 悼王 敬王 元王 貞定王 哀王 思王 考王 威烈王 安王 烈王 顕王 慎靚王 赧王 (昭文君) 中国帝王一覧 Related Articles