脇方駅
かつて北海道虻田郡に存在した胆振線の廃駅
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歴史

国有鉄道京極軽便線の終着駅として開業した駅で、日鉄鉱業倶知安鉱山から産出する鉄鉱石(褐鉄鉱)の輸送のために設置された駅である。戦時中は特需産業として鉄道の需要も増え、戦後になってからも乗車人員が年間6万人、貨物輸送量も6万t前後の好況が続いた。最盛期には3000人以上が住んでいた[3]。
しかし、1962年(昭和37年)頃から資源が減少し、1969年(昭和44年)に倶知安鉱山が閉山すると輸送量は客貨ともに激減し、1970年(昭和45年)に廃駅となった。末期は1日5往復の運行、駅員は3人だった。鉱山の閉山に伴い、郵便局は廃局、小中学校も廃校となり、廃駅時には5戸8人の農家が残っていた[3]。
年表
- 1920年(大正9年)7月15日:京極軽便線京極 - 当駅間開通により開業(一般駅)[1][4]。
- 1922年(大正11年)9月2日:京極線に改称。
- 1940年(昭和15年):同年冬に流雪溝を設置[5]。
- 当駅はワッカタサップ川と白井川に挟まれた中段にあるため、流雪溝の設置に適していた。これは北海道内でもかなり初期の設置であり、除雪に必要な人足が大幅に縮減された[5]。
- 1944年(昭和19年)7月1日:胆振線に編入。
- 1948年(昭和23年)5月16日:脇方大火により類焼。駅舎、機関庫、官舎等焼失[6]。
- 1949年(昭和24年)2月:駅舎等新築竣工[6]。
- 1969年(昭和44年)10月31日:日鉄鉱業倶知安鉱山が閉山[7]。
- 1970年(昭和45年)11月1日:廃止[3][1][4]。
駅名の由来
地名より。同地を流れるワッカタサップ川のアイヌ語名「ワッカタサㇷ゚(wakka-ta-sap)」の上半部に字をあてたものである[8]。
「ワッカタサㇷ゚(wakka-ta-sap)」の語義は「水を・汲みに・下る処」とされているが、これについてアイヌ語研究者の山田秀三は「サㇷ゚(sap)」が「サン(san)」(出る・下る)の複数形であることを踏まえ、「水が・そこで・ごちゃごちゃ流れ出る」の意ではないかと推測している[8]。