菊岡拓朗

From Wikipedia, the free encyclopedia

愛称 タクロウ、キク
カタカナ キクオカ タクロウ
ラテン文字 KIKUOKA Takuro
国籍 日本の旗 日本
菊岡 拓朗
名前
愛称 タクロウ、キク
カタカナ キクオカ タクロウ
ラテン文字 KIKUOKA Takuro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1985-06-30) 1985年6月30日(40歳)
出身地 静岡県富士市
身長 163cm
体重 62kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足[1]
ユース
2001-2003 日本の旗 清水東高校
2004-2007 日本の旗 法政大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008-2009 日本の旗 水戸ホーリーホック 68 (6)
2010-2011 日本の旗 東京ヴェルディ 69 (11)
2012-2013 日本の旗 栃木SC 74 (9)
2014-2015 日本の旗 コンサドーレ札幌 30 (0)
2016-2018 日本の旗 SC相模原 75 (2)
2019-2021 日本の旗 ラインメール青森 61 (4)
2022 日本の旗 SHIBUYA CITY FC
2023-2024 日本の旗 COEDO KAWAGOE F.C
通算 377 (32)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

菊岡 拓朗(きくおか たくろう、1985年6月30日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー

水戸ホーリーホック

静岡県立清水東高等学校時代からファンタジスタとして知られており[2]、強豪校がひしめく地域にあって全国大会とは無縁だったものの、3年生時には第82回全国高等学校サッカー選手権大会静岡県予選大会で準優勝を果たしている。高校在学中からJクラブの練習にも参加していたが[3]、自身は大学進学を決めており[3]、卒業後は法政大学に進学した。

法政大学サッカー部に入部後は早くからレギュラーを獲得し、3年生時には天皇杯に主力として出場し3回戦に進出。4年生時には関東大学1部リーグでアシスト数第2位を記録し[4]インカレでは準優勝の原動力となった。これを評価した水戸ホーリーホックにスカウトされ、2008年1月8日に同クラブから菊岡の獲得が発表された[5][6]

背番号は8を与えられ、新人ながら開幕スタメンを飾ると、これ以後も右サイドを主戦場にレギュラーに定着。5月10日のJ2第13節山形戦でプロ初ゴールを直接フリーキックで挙げた[7]。7月に負った怪我の影響で8月下旬まで戦列を離れたが[8]、復帰後徐々に調子を取り戻すと、9月23日のJ2第37節徳島戦では豪快なミドルシュートを決めた[9]。一方、チームの成績はシーズン序盤から振るわず下位に低迷し、自身のゴールもこの2得点に留まった。

2009年の水戸のホームゲームの選手コールでは「サイドを舞う水戸の牛若丸」というキャッチフレーズで紹介され[10]、リーグ戦ではそのフレーズに相応しい活躍を見せ、チャンスメーカーとして水戸の中盤には欠かせない選手となる[11]。3月22日のJ2第3節福岡戦で前年同様にシーズン最初のゴールを直接フリーキックで挙げる[12] などし、リーグ戦序盤から攻撃の起点として水戸の上位躍進を牽引していたが、5月5日のJ2第13節甲府戦で負傷し戦線離脱[13][14][15]。復帰後の7月には2ゴールを挙げ、チームの成績も無敗と好調を維持するも、9月に入ると一転して1勝も挙げられず8連敗を喫するなど苦しい戦いを強いられた。シーズンオフには、自身が大学時代に師事を受け、2010年より東京ヴェルディの新監督に就任することが決まった川勝良一より誘いを受け移籍を決意[3][11]。12月22日に両クラブから菊岡の完全移籍が発表された[16][17]

東京ヴェルディ

2010年、背番号は前年退団したレアンドロが背負っていた10を与えられた。水戸時代と同じく右サイドを主戦場としたが、この年からボランチにも挑戦し[18] 、リーグ戦序盤は柴崎晃誠とダブルボランチを組み、すぐにその期待に応える働きを見せた[19]。しかし、チームの成績には結びつかずシーズン初勝利は4月18日J2第7節岐阜戦まで持越し、そうして迎えた4月29日J2第9節の前年まで所属した水戸との戦いでは、前半17分に平本一樹のゴールをアシストし[20]、後半5分には自身も移籍後初ゴールを挙げ4-0の勝利に大きく貢献した。この勝利を皮切りにチームの成績も向上し、8月8日J2第21節戦では、開幕から19試合無敗を続けていた首位を相手に、コーナーキックから富澤清太郎の決勝点をアシストし勝利に導くなど[21]、東京Vの中盤に欠かせない選手として攻撃を牽引し、チームはリーグ終盤まで上位争いを演じ、2回目の古巣との対戦となった12月4日のJ2最終節水戸戦では再びゴールを挙げ勝利に貢献した。

2011年も引き続き主力選手としてリーグ開幕戦から先発起用され続け、左右両サイド、ボランチと戦況に応じて複数のポジションを務めたが、前年同様チームは勝てず6月まで下位に低迷した。シーズン初ゴールを6月25日J2第18節岡山戦の前半6分に直接コーナーキックで挙げると[22]、続く6月29日J2第2節の水戸戦では古巣戦3試合連続ゴールとなる逆転勝利弾を挙げた[23][24]。7月9日のJ2第20節岐阜戦では移籍後初の直接フリーキックでゴールを挙げ勝利に貢献した[25]。9月18日J2第28節横浜FC戦では自身初となる1試合2ゴールを挙げるなど[26]、以降も得点を挙げ続け最終的にキャリアハイとなる年間9得点を挙げる活躍を見せ、このうちセットプレーで直接蹴り込んで挙げたゴールは4得点にも上った。シーズンオフの2012年1月9日栃木SCに完全移籍することが双方のクラブから発表された[27][28]

栃木SC

1月15日に栃木SCが開催した2012シーズンのニューインプレッションで菊岡は「自分はJ1昇格するために栃木に来ました」とコメント[29]、J2屈指のパサーとして期待されたが[30] 開幕前に負った怪我の影響が長引き開幕戦からの3試合を欠場しチームは連敗を喫した。3月20日のJ2第4節富山戦で復帰すると[31] 以降は左サイドを主戦場に最終節までの全試合に出場し続けた。4月にはコンディションを取戻し、一時はアシスト数でリーグトップに躍り出るなど[32] 栃木の中盤の核として攻撃を牽引し、4月27日J2第10節山形戦でミドルシュートを決め[33]、栃木に移籍後の初得点を挙げると、5月13日J2第14節草津戦では、前年に続き直接コーナーキックでゴールを挙げ[34]、5月20日J2第15節湘南戦、6月17日J2第20節横浜FC戦、7月29日J2第26節水戸戦では直接フリーキックでゴールを挙げるなど[35][36][37]、多くの得点機に絡み自らも得点を量産した。しかし、8月以降は1つもゴールを挙げられなくなり、それを象徴するかのようにチームの成績はリーグ終盤にかけて失速した。

2013年クリスティアーノ、Jリーグでも実績を持つ三都主アレサンドロ近藤祐介らが即戦力として加入し、ポジション争いは激化するも依然として左サイドを主戦場に栃木の攻撃の核としてチームを牽引した。4月21日J2第10節岐阜戦でシーズン初得点を直接フリーキックで挙げ[38]、このゴールはJリーグのノミネートゴールに選ばれた[39]。8月に入るとサブメンバーに回ることも多くなったが、出場した試合では決定的な働きを見せ、9月7日の天皇杯2回戦の福岡戦では2ゴールを挙げる活躍で勝利に貢献、9月22日のJ2第34節群馬戦では途中出場を果たすと決勝ゴールを挙げるなどした。一方、私生活では10月17日に入籍を果たすが[40]、クラブの財政問題が表面化し菊岡自身も募金活動に参加するなど[41] チームの存続が危ぶまれる事態となり、シーズンオフには獲得オファーのあったコンサドーレ札幌への移籍を決意。12月24日、札幌へ完全移籍することが双方のクラブから発表された[42][43]

2015年をもってコンサドーレ札幌との契約が満了となり、2016年よりJ3のSC相模原に完全移籍[44]

SC相模原

移籍初年度の2016年、リーグ戦全試合出場を果たし、J3リーグトップとなる9アシストを記録した。

2017年、背番号を10に変更。

ラインメール青森

2019年にラインメール青森に加入。2021年を以て退団[45]

SHIBUYA CITY FC

2022年2月7日、SHIBUYA CITY FCに加入を発表[46]

COEDO KAWAGOE F.C

2022年12月19日、COEDO KAWAGOE F.Cに加入を発表[46]。2024年1月29日、第15回埼玉県社会人サッカートーナメント会長杯(天皇杯)兼彩の国カップ埼玉県サッカー選手権大会の大会終了をもって現役引退することを発表した[47]

引退後

埼玉県でジュニアサッカーチームAMA Football Clubを設立した。

2025年11月、KONOSU CITY F.C.(現:SAITAMA KNØS UNITED)のテクニカルアドバイザーに就任[48]

人物

水戸時代のチームメイトである荒田智之静岡県立清水東高等学校時代の同級生。2年下には内田篤人がいた。法大時代の同級生には本田拓也稲葉久人向慎一土岐田洸平市川雅彦、2年上には谷田悠介田森大己、1年上には井上平(年齢は2歳上)、吉田正樹、1年下には山本孝平福田俊介江崎一仁辻正男、2年下には阿部拓馬らがおり、このうち、山本とは水戸時代に、向、市川、井上、吉田、阿部とは東京V時代にチームメイトになった。

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2006法大11---2020
2008水戸8J2282-10292
2009404-10414
2010東京V10343-00343
2011358-11369
2012栃木28397-10407
2013352-22374
2014札幌220-20240
201580-0080
2016相模原J3300--300
201710261--261
2018191--191
2019青森28JFL284--284
2020130-10140
2021200--200
通算日本J2 24126-8324929
日本J3 752--752
日本JFL 614-10624
日本 --2020
総通算 37732-11338835

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI