蒲生干潟

From Wikipedia, the free encyclopedia

蒲生干潟の潟湖。(2010年)
地図

蒲生干潟(がもうひがた)は宮城県仙台市宮城野区にある干潟である。七北田川河口北側の潟湖周辺に広がっており、種類としては潟湖干潟に当たる。潟湖部分を指して単に蒲生潟とも呼ぶ。水面積約13ヘクタール、干出面積約5ヘクタール[1][注釈 1]。七北田川と潟湖は導流堤で区切られているが、導流堤には通水部が設けられており、潟湖は汽水域である。狭い範囲に砂浜、干潟、潟湖、河口塩性湿地といった多様な環境が集積し、多くの生物の生息域となっている[1]。特に渡り鳥が多い場所であるとの理由から、干潟周辺に国指定仙台海浜鳥獣保護区の蒲生特別保護地区が設定されている(1987年指定)[2]。また、宮城県の自然環境保全地域の一部でもある[3]

1945年(昭和20年)頃の地図。地図の下部に七北田川の河口が見える。現在と比較して河口の位置が北に寄っている。

七北田川の河口の状態は不安定である[1][注釈 2]。このような河口の不安定さから七北田川の河口周辺には遊水地となる低湿地が広がり、時代により低湿地が河道、河口となっていた[1]。低湿地の一部は養魚場として整備、利用された。1960年代に仙台港の建設が始まるが、この時に低湿地の一部が埋め立てられ、一部は残された。この残された部分が現在の蒲生干潟の原型である[1]

東日本大震災翌日の仙台港周辺の空撮。写真下部に見える川筋が七北田川。その河口の北側が蒲生干潟だが、この時は津波によって砂州が失われていた。

2011年(平成23年)3月の東日本大震災の際、津波を被った蒲生干潟は一時的に消失したが[7]、4月には潟湖と海を隔てる砂州が形成され始めた。同年8月、七北田川の河口は閉塞し、蒲生干潟の潟湖は淡水化した。9月に元来の河口から400メートル北側部分に新しい河口が開き、蒲生干潟は河口干潟となった。この新しい河口は2012年(平成24年)1月まで確認されたが閉塞し、それに代わって元来の河口が再び開いた。これにより蒲生干潟は七北田川の流路とは切り離された潟湖干潟に戻った[5]

震災後、蒲生干潟の一部を埋め立てて新しい防潮堤を建設することが計画されていた。しかし、市民の要望によって当初の計画よりおおよそ10メートル後方に建設位置が変更された[8]。それでも、堤防構築工事により湿地や泥地の一部が失われた[9][10]。また、隆起により泥地が乾燥して砂地化した部分もあった[11]

生物

植物

蒲生干潟における主要な植物群落はヨシである。2011年(平成23)の東日本大震災以前、潟湖の周囲でヨシが広く群生していたが、津波により地表部で「跡形も無い」状態となった。しかしヨシは地下に残存しており[12]、その後、地上のヨシ原も徐々に回復した[13]。震災から9年経過しても完全には元に戻っていないという評価があるが[14]、2025年(令和7年)の調査によればヨシ原の拡大はゆっくりであるものの続いている[13]。2030年頃までに定常状態に達するという予測がある[15]

ヨシの他にはハママツナシオクグシバナの群落が見られる[16][17]。砂丘の植物群落としてはハマヒルガオがある。ハマヒルガオは震災以前より生育面積が倍増しており、これは蒲生潟周辺の砂州面積が増大したため考えられている[15]

蒲生干潟で見られなくなった植物としてはハマナスがある。震災以前、ハマナスは蒲生干潟でよく見られる植物の1つだった。震災後、ハマナスの個体数は著しく減ったものの、わずかにその存在が確認されていた。しかし、2015年(平成27年)から未確認の状態が続いている[13]ヤマアワも震災後に確認されていない[15]

震災以前によく見られていたテリハノイバラも2015年(平成27年)から未確認だったが、2025年(令和7年)に確認された。以前と生育場所が異なっているため、運ばれた土砂の中にテリハノイバラの種子が混じっていたことが推定される[13]

水生動物

東日本大震災以前には蒲生干潟で107種の底生動物カニゴカイ類等)が確認されていた[18]。震災の津波により蒲生干潟は大きく攪乱され、潟湖の生物群について悲観する向きもあったが、震災2箇月後には干潟の表面に生物の巣穴が確認された[8]。さらに、震災4箇月後にはゴカイ類が震災以前より高い密度で生息していることが確認された[19]。津波により軟泥が流失、漂砂が堆積して干潟の底質の改善したこと、日和見種とされる小型の環形動物端脚目が急速に個体数を増やしたことが底生生物の密度増加に繋がったと推測されている[13]。震災1年後にはアサリなどの二枚貝の稚貝が多く見つかるようになった[19]。震災後5年間で合計124種の底生動物が確認されており、全体的には蒲生干潟の底生動物の多様性は保たれていると考えられている[18]

魚類については、震災以前の2004年(平成16年)の調査で、マハゼボラヒラメ(稚魚)など27種が確認されていた。震災後1年間で確認された魚類は16種類だった。この間の調査で最も多く見られたのはボラだった。この他、イシガレイクサフグクロダイの順調な成長が確認された。逆に震災の影響を大きく受けたと考えられたのはハゼ類だった。確認されたマハゼ、ビリンゴヒメハゼの個体数は少なく、アシシロハゼなど確認されなかったハゼ類もあった。ハゼ類は大きく移動する性質を持っていないことから、生息環境である干潟の環境が変化した場合、ハゼ類に対する影響は他の魚類への影響と比較して大きいと考えられている[20]

鳥類

蒲生干潟に集まるカモメ類などの水鳥(2015年)

蒲生干潟にはシギチドリサギなどの鳥類が訪れる。東日本大震災の際には、津波の影響により干潟周辺の水生生物や昆虫類が流失したことで、それらを捕食する野鳥もほとんど見られなくなった。しかし、干潟の再生と共に水生生物も復活し、また植物の再生と共に昆虫類も復活したことから、再び蒲生干潟に野鳥が訪れるようになった[21]

蒲生干潟やその周辺では次のような野鳥が確認されている。シロチドリダイゼントウネンハマシギカンムリカイツブリオオバンコサギダイサギアオサギウミアイサコクガンマガモオナガガモカワウウミネコオオセグロカモメミサゴチョウゲンボウ[21][22][23][24]

これらのうちコクガンは国の天然記念物であり、また宮城県における絶滅危惧種II類に指定されている希少な野鳥でもある。毎年、コクガンが訪れる蒲生干潟は貴重な場所であるとされる[23]

また、かつて蒲生干潟で確認されていた野鳥としてはコアジサシがいる。1980年代には蒲生でコアジサシの繁殖、2006年(平成18年)までは営巣が見られていたが、その後の営巣は確認されなかった。宮城県への渡来も少なくなった。2016年(平成28年)以降に若干のコアジサシの渡来や営巣、孵化、巣立ちが蒲生で確認された。2021年(令和3年)に営巣を促すために台地状の砂地を造成する試みが行われ、若干の営巣が確認されたが営巣地として定着しなかった。造成砂地に草が次第に生え始めたこと、コアジサシに接近を試みる人の圧力が、蒲生からコアジサシを遠ざけたと考えられている[25]

脚注

参考文献

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI