西園正都

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国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県
生年月日 (1955-12-29) 1955年12月29日(70歳)
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
西園正都
福島民友カップ表彰式(2025年11月16日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県
生年月日 (1955-12-29) 1955年12月29日(70歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎
初免許年 1974年3月1日
免許区分 平地
騎手引退日 1997年2月28日
重賞勝利 1勝
通算勝利 3875戦303勝(中央)
調教師情報
初免許年 1997年(1998年開業)
調教師引退日 2026年3月3日
重賞勝利 41勝(中央32勝、地方9勝)
G1級勝利 6勝(中央4勝、地方2勝)
通算勝利 8873戦749勝(中央)
経歴
所属 栗東T.C.
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西園 正都(にしぞの まさと、1955年12月29日 - )は、鹿児島県出身の元調教師・元騎手

中学生時代の1969年ダイシンボルガードが勝利した日本ダービーを見て騎手を志した[1]

1974年3月栗東大根田裕也厩舎からデビューし、同2日阪神第12競走5歳以上200万下・ヤングローズ(8頭中8着)で初騎乗を果たす。6月30日中京第4競走4歳200万下で6頭中6番人気のヒコボシに騎乗して初勝利を挙げ、9月22日の阪神第1競走3歳未勝利では6頭中5番人気のヤングフレンドで2勝目をマーク。1年目の同年はこの2勝に終わるが、初騎乗馬と2勝目の騎乗馬は共に伯父である柳田次男厩舎の管理馬であった。

2年目の1975年には初の2桁となる11勝、1977年には自己最多の24勝をマークし、1977年はインターグロリアに騎乗して新馬→特別2連勝を飾っているが、桜花賞から福永洋一にバトンタッチして以降は騎乗することはなかった。インターグロリアが勝った第2回エリザベス女王杯ではサチモミドリに騎乗し、GI級レース初騎乗を果たす。

1980年から1994年まで15年連続2桁勝利を挙げ、1981年9月からは伯父の柳田厩舎に移籍し、1981年のカブトヤマ記念ではタツミプリンスでキンセイパワー・フジマドンナと同タイムの大激戦を繰り広げて2着と健闘。1983年にはサチモチハルで小倉記念2着の後、朝日チャレンジカップでは7頭中7番人気で3着に入る。

1985年には師匠の大根田が管理し、安藤賢一で3連勝していたチェリーテスコとコンビを組む。カブトヤマ記念で自身唯一の重賞勝利を挙げ、父ナオキに産駒唯一の中央重賞勝利ももたらした。

1986年は一旦フリーとなった後に再び柳田厩舎所属となり、1993年には春の新潟加藤敬二厩舎の牝馬ノースフライトサマニベッピンを初勝利に導く。

1994年1月から再びフリーとなるが、7月から二分久男厩舎所属となる。1995年は7勝に終わるが、シンチェスト産駒・母父ハギノカムイオーシンカイウンを特別勝ちに導く。

1996年4月27日京都第5競走4歳未勝利・シンセカイで最後の勝利を挙げ、同馬に騎乗した8月18日小倉第12競走4歳以上500万下(12頭中9着)が最終騎乗となった。1997年2月に調教師免許を取得し、同年限りで現役を引退。

引退後は1998年3月1日付で谷八郎厩舎などから在籍馬を受け継ぐ形で厩舎を開業し、同7日の阪神第7競走4歳500万下・ドクターブイ(14頭中13着)で初出走を果たすと、4月26日の新潟第4競走4歳未出走・マイネルユートピア(のべ26頭目)で初勝利を挙げる。

2年目の1999年阪神ジャンプステークス・ヒサコーボンバーで重賞初勝利を挙げ、2001年には青森産馬タムロチェリー阪神ジュベナイルフィリーズを制し、管理馬がGI初勝利を挙げた。

2007年にはフィールドルージュ名古屋グランプリを制してダートグレード競走初勝利[2]2010年にはエーシンフォワードマイルチャンピオンシップを制してGI2勝目を挙げた[3]。なお、前日にもサダムパテック東京スポーツ杯2歳ステークスを勝利しており、2日連続での重賞制覇となった。

2012年にはサダムパテックがマイルチャンピオンシップを制し、GI3勝目を挙げた[4]

2024年3月23日、中京11R伊勢ステークスでロコポルティが1着となり、この勝利が現役9人目のJRA通算700勝となった[5][6]。騎手時代には通算303勝を記録しており、騎手時代と合わせ1000勝を超えた[5]

2026年3月3日をもって定年のため調教師を引退した[7]

人物

祖父の福徳栄次、伯父の柳田次男も元調教師[1]

2014年から自身の厩舎で調教助手を務めていた、息子の西園翔太が2021年12月9日に2022年度JRA調教師免許試験の合格し、平成生まれ初の調教師かつ、JRA現役最年少調教師となった[8][9][10]

騎手成績

通算成績1着2着3着騎乗数勝率連対率
平地 3023313323852.078.164
障害 12123.050.150
3033333333875.078.164
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1974年3月2日1回阪神3日12R5歳以上200万下ヤングローズ8頭88着
初勝利1974年6月30日3回中京6日4R4歳200万下ヒコボシ6頭61着
重賞初騎乗1977年4月17日1回小倉8日9R小倉大賞典シーマンチカラ12頭97着
重賞初勝利1985年10月20日3回福島8日10Rカブトヤマ記念チェリーテスコ14頭21着
GI初騎乗1977年11月20日5回京都6日9Rエリザベス女王杯サチモミドリ9頭98着

主な騎乗馬

調教師成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1998年3月7日1回阪神3日7R4歳500万下ドクターブイ14頭713着
初勝利1998年4月26日1回新潟2日4R4歳未出走マイネルユートピア14頭11着
重賞初出走1999年6月12日3回中京7日11R中日スポーツ賞4歳Sクールネージュ18頭17着
重賞初勝利1999年9月25日4回阪神5日10R阪神ジャンプSヒサコーボンバー11頭11着
GI初出走・初勝利2001年12月2日5回阪神2日11R阪神ジュベナイルフィリーズタムロチェリー18頭71着

主な管理馬

※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。

なお、管理馬の大多数には「水色地」に「赤い五稜星」のデザインをしたメンコを着用させている(息子の翔太も色違いではあるが赤い星のメンコを自身の管理馬に着けている)。この星は北海道開拓使のシンボルマークで「フロンティアスピリット(開拓者精神)」を象徴している[1]

所属騎手

所属スタッフ

脚注

関連項目

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