シンチェスト
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1986年1月25日、京都競馬場第7競走の4歳新馬戦で、岩元市三を鞍上にデビューし3着。その後折り返しの新馬戦を勝つと、すみれ賞(OP)2着、わらび賞(400万下)1着と3連対しNHK杯へ挑んだ。3番人気の支持であったがラグビーボールの2着と健闘した。続く東京優駿は4番人気で出走であったが、7着と初めて掲示板を外した。その後半年以上の休養を余儀なくされ、翌1987年の日経新春杯より復帰し4着。続く京都記念に1番人気で出走すると、2着のスピードヒーローに1馬身以上付ける走りで快勝し重賞初制覇を果たした。しかし、この後も2度休養を余儀なくされ、結果的に京都記念の後は1988年の日経新春杯(12着)、産経大阪杯(5着)、1989年の京阪杯(11着)のわずか3戦したのみで引退することとなった。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.com[2]およびJBISサーチ[3]に基づく。
| 競走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離(馬場) | 頭 数 | 枠 番 | 馬 番 | オッズ (人気) | 着順 | タイム (上り3F) | 着差 | 騎手 | 斤量 | 1着馬(2着馬) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1986.1.25 | 京都 | 4歳新馬 | 芝2000m(良) | 16 | 2 | 3 | 5.5(2人) | 3着 | 2:06.1(49.4) | 0.7 | 岩元市三 | 55kg | バラモンインター | |
| 2.8 | 京都 | 4歳新馬 | 芝1600m(良) | 9 | 5 | 5 | 2.0(1人) | 1着 | 1:37.9(48.6) | -0.5 | 岩元市三 | 55kg | (シルクホウザン) | |
| 11.23 | 阪神 | すみれ賞 | OP | 芝2200m(重) | 7 | 5 | 2 | 2.9(2人) | 2着 | 2:18.0(47.9) | 0.0 | 岩元市三 | 55kg | ヤエシオ |
| 4.12 | 阪神 | わらび賞 | 芝2200m(稍) | 10 | 6 | 6 | 1.3(1人) | 1着 | 2:18.1(48.4) | -1.2 | 岩元市三 | 55kg | (モガミパワー) | |
| 5.4 | 東京 | NHK杯 | GII | 芝2000m(重) | 18 | 2 | 4 | 6.4(3人) | 2着 | 2:03.9(50.0) | 0.3 | 岩元市三 | 56kg | ラグビーボール |
| 5.25 | 東京 | 東京優駿 | GI | 芝2400m(良) | 23 | 7 | 19 | 7.0(4人) | 7着 | 2:29.5(49.1) | 0.6 | 岩元市三 | 57kg | ダイナガリバー |
| 1987.1.25 | 京都 | 日経新春杯 | GII | 芝2200m(重) | 7 | 6 | 6 | 9.9(5人) | 4着 | 2:17.1 (50.7) | 1.0 | 岩元市三 | 56kg | フレッシュボイス |
| 2.22 | 京都 | 京都記念 | GII | 芝2400m(稍) | 12 | 8 | 11 | 2.3(1人) | 1着 | 2:29.3(48.9) | -0.3 | 岩元市三 | 55kg | (スピードヒーロー) |
| 1988.1.24 | 京都 | 日経新春杯 | GII | 芝2200m(良) | 12 | 6 | 7 | 12.2(6人) | 12着 | 2:18.6(51.3) | 3.3 | 岩元市三 | 57kg | スピードヒーロー |
| 1989.4.2 | 阪神 | 阪神大賞典 | GII | 芝2000m(良) | 13 | 5 | 6 | 51.1(12人) | 5着 | 2:02.4(49.0) | 1.0 | 田原成貴 | 58kg | ヤエノムテキ |
| 5.14 | 京都 | 京阪杯 | GIII | 芝2000m(良) | 15 | 8 | 14 | 3.9(2人) | 11着 | 2:05.0(52.1) | 2.3 | 田原成貴 | 57kg | ニホンピロブレイブ |
種牡馬時代
引退後は種牡馬入りし、75頭の産駒を残した。すると、シンカイウンが1997年の朝日チャレンジカップを制し、産駒の中央重賞初制覇を果たした。その後もマグマライフが2002年の阪神スプリングジャンプを制するなど、中央競馬で活躍する馬を輩出した。2000年を最後に種付けを終え、2002年2月12日より名馬のふるさとステーションへ移動。そこが経営難により閉鎖されたあとは、新設された新ひだか町のローリング・エッグス・クラブにミスターシクレノンやタケノハナミと移動した。2003年12月1日に用途変更[4]、種牡馬としての供用が停止されたあとは、引退名馬繋養展示事業の助成対象馬となり[5]、同地で引き続き繋養された。ダービーやNHK杯で共に走ったアサヒエンペラーもこの施設に引き取られている。
2012年5月6日、老衰のため同地で死亡した[6]。29歳没。スタッフによれば、同年2月にミスターシクレノンが死亡した後から弱り出し、最期はミスターシクレノンの使っていた馬房で倒れていたという[7]。
主な産駒
- 1991年産
- スーパーファルド(こまくさ賞)
- 1992年産
- シンカイウン(朝日チャレンジカップ、中日新聞杯)
- シンコウバイ(阪神障害ステークス・秋3着)
- 1994年産
- カケノジンライ(ラベンダー賞)
- 1998年産
- マグマライフ(阪神スプリングジャンプ)