走れコウタロー

ソルティー・シュガーの2作目のシングル From Wikipedia, the free encyclopedia

走れコウタロー』(はしれコウタロー)は、日本のフォークグループ・ソルティー・シュガーの2作目のシングル。1970年7月5日発売。発売後、口コミでチャートの順位を伸ばし、最終的に100万枚近いヒットとなり、ソルティー・シュガーは同年の第12回日本レコード大賞新人賞を受賞している。コミックソングの1つでもあり、発表から50年以上経った現在でも運動会徒競走のBGMとして使われることがある。また、アニメ『みどりのマキバオー』のOP「走れマキバオー」や『ウマ娘 プリティーダービー』CMソング「走れウマ娘」といった馬を題材にしたアニメ主題歌の原曲でもあり、比較的幅広い世代にも知られている。

B面
リリース
規格 7インチレコード/SV-2060
概要 「走れコウタロー」, ソルティー・シュガー の シングル ...
「走れコウタロー」
ソルティー・シュガーシングル
B面
リリース
規格 7インチレコード/SV-2060
ジャンル フォーク
時間
レーベル 日本ビクター
作詞・作曲 池田謙吉、前田伸夫
ゴールドディスク
チャート最高順位
  • 週間1位(オリコン
  • 1970年度年間26位(オリコン)
  • 1971年度年間20位(オリコン)
ソルティー・シュガー シングル 年表
ああ大学生
(1969年)
走れコウタロー
(1970年)
ハナゲの唄
(1970年)
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概要

元々はバンドの練習などで遅刻を繰り返していた山本厚太郎に対して池田謙吉を中心とした他のメンバーが作ったはやし歌であり、サビの「走れ、走れコータロー」の部分しかなかった。その後、実在する競走馬「コウタロー」がいた影響などもあり、競馬の歌として完成する。

高橋隆によると、当初は実在する競走馬「ミノル」への応援歌として作るつもりだったが、語呂が悪いことと、バンドのメンバーである山本厚太郎が練習に遅刻してばかりいるので、「ミノル」を「コウタロー」に変更してこのタイトルとなった[1]

1969年12月に発表したデビュー作が800枚程度しか売れず、メンバーは2作目は出せないと諦めていたが、MCや雰囲気が面白いという理由でラジオや学園祭に呼ばれるようになっていった[2]。当初は静観していた日本ビクターも、この人気を受け、1970年春頃には2作目の発売に前向きになる[2]。ディレクターらとのミーティングの際に「面白い歌はないか?」と聞かれた際に、楽器を持っていなかったが、伴奏の部分も全部口で演奏して同曲を即興で披露したところ、レコード化が即決され、同年4月にはレコーディングも終了。ライブで披露する際にも確実にウケる曲になった。

バンド的にはレコード発売直前に池田が突然死するという最大の危機が訪れていたものの、口コミなどで徐々に売り上げを伸ばし、発売から約2ヵ月半たった9月の最終週、オリコン週間チャート9位にランクされた後、5週をかけて3位となる。翌1971年の1週目に1位となった[2]

楽曲としては徹底的なパロディ精神で貫かれているのが特徴であり、出走前・観客席・出走後ゴール直前までのダービーの風景を描写しているものの、出走している馬名が他の博打に関連する言葉だったり、当時の人気ギャグだったりとメチャクチャであり、更には競馬とは全く関係ない「引っこ抜け」という応援が入ったりする。また、東京都知事として公営ギャンブルの廃止に取り組んでいた美濃部亮吉の声色をまねたナレーション、早口の実況中継が曲中に含まれている。都知事のナレーションに関しては麻雀の役の馬名に釣られて他の麻雀の役を言ってしまうというミスをやらかす。また実況中継に関しては興奮しすぎて馬名からの連想ゲームになり、「蛍の光」の歌詞の一節を実況してしまうという展開になるなど、二重三重のパロディが織り込まれている。

ジャケットのイラストは針すなおによる。1コーラス目と前述の台詞は高橋隆(レコード盤の台詞は池田[2])が、2コーラス目は手塚通夫が、3コーラス目は山本または佐藤敏夫(レコード盤は池田[2])が歌っている。

メンバー全員で作られたが、作詞・作曲は池田名義にされている。高橋は「ひとり残された池田の母親に印税がいくようにしたかったからです」と語っている[3]。新人賞を受賞した第12回日本レコード大賞では、歌唱前に「作詞・作曲者、亡き池田謙吉君に捧ぐ、走れコウタロー」と曲紹介されている。

エピソード

  • パロディーだらけの曲であるものの、山本によると「きょうはダービー」と歌っているにもかかわらず実況部分では「本日の第4レース」となっていたため、「ダービーが第4レースなわけがないだろう」(通常、日本ダービーを含む重賞レースは終盤〈10〜12レース、殆どの場合第11レース〉に組まれており、午前中に当たる第4レースは平場しか組まれないが、2023年令和5年)に暑熱対策の一環で障害重賞小倉サマージャンプ新潟ジャンプステークスを実施した実績がある)と発売当時に多くの批判が来たという[4]。なお、当時は競走馬には数え年を用いていたので歌詞は「4才馬」となっており(現在のダービーの出場資格である「満3才」に改められるのは2001年以降である)、また「コータロー号」はトップでゴールしたものの、「騎手も振り落としている」ので「落馬」扱いにより失格となっている。
  • 元プロ野球選手の愛甲猛(元ロッテオリオンズ中日ドラゴンズ)のロッテ時代の応援歌に、この曲が使われていた。
  • 山本は、ソルティー・シュガーの解散後に白鷗大学で教鞭を執るかたわら、大学の硬式野球部長を務めていた。その縁で、同部OBの飯原誉士が、プロ野球(ヤクルト)入り後に「(ホームゲームでの)登場曲に(採用)しましょうか?」と、大のヤクルトファンである山本に打診したことがある。しかし山本が打診を固辞したため、引退に至るまで登場曲への採用は実現しなかった[5]。飯原が登場曲として使用することは叶わなかったのものの、山本の訃報が報じられた2022年7月には同じくヤクルトスワローズの外野手である山崎晃大朗が登場曲に使用した。
  • 大蔵官僚の村上孝太郎が1971年6月の参院選自由民主党公認で出馬し、『走れコウタロー』をキャンペーンソングとして初当選したが、登院は1日のみで癌で倒れ3か月後に死去した[6]
  • 落語家の三遊亭好太郎が『走れコウタロー』を出囃子にしている。
  • 日曜午後にTBSラジオで放送の『爆笑問題の日曜サンデー』では、「田中裕二のサンデー競馬小僧」という競馬予想・実況中継コーナーがあり、その本編終了後に予想・中継の対象となったレースの確定結果・払い戻し金を伝える際にこの曲がBGMとして使用されている。

収録曲

A面

  1. 走れコウタロー(2分34秒)
    • 作詞:池田謙吉/作曲:池田謙吉、前田伸夫/編曲:池田謙吉

B面

  1. (3分15秒)
概要 走れ!コウタロー 喜劇・男だから泣くサ, 監督 ...
走れ!コウタロー 喜劇・男だから泣くサ
監督 山本邦彦
脚本 中西隆三、山本邦彦
出演者 藤村俊二
左とん平
伴淳三郎
郷ちぐさ
緑魔子
菱見百合子
ソルティー・シュガーほか
主題歌 走れコータロー
撮影 岡崎宏三
制作会社 東京映画
配給 東宝
公開 1971年2月6日
上映時間 86分
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映画「走れ!コウタロー 喜劇・男だから泣くサ」

解説

周囲から無理矢理に騎手に育てあげられたしょぼくれ男が故郷で可愛がっていた愛馬コウタローと再会し、出場レースに連戦連勝する物語。

曲のヒットにあやかった歌謡映画。藤村俊二の唯一の単独主演映画。

当初、お嬢様の役は故・坂本九夫人の柏木由紀子のキャスティングが予定されていたが、柏木はこの作品と同時上映された花登筐 制作・脚本・監督作品『喜劇 おめでたい奴』に出演する事になったため、ひし美ゆり子の出演となった[7]。 立ったようです! 1971年2月6日東宝系で上映(制作:東京映画)。併映は「喜劇 おめでたい奴」。

スタッフ

競走馬「コウタロー」

1962年1966年中央競馬に在籍し、通算66戦15勝。重賞を3勝(阪神3歳ステークス阪神大賞典愛知杯)し皐月賞菊花賞天皇賞など現在のGIレース(当時はGIなどの格付けは無く八大競走と呼称)にも出走している。ただし、日本ダービーには出走していない。八大競走での最高着順は1964年天皇賞・秋の3着。主戦騎手は加賀武見。管理調教師は柴田不二男[8]

カバー

参考文献

  • 山本コウタロー『ぼくの音楽人間カタログ』新潮社新潮文庫〉、1984年。ISBN 4-10-135001-9

脚注

関連項目

外部リンク

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