鈴木祐輔 (教員)

From Wikipedia, the free encyclopedia

生誕 (1978-09-03) 1978年9月3日(47歳)
日本の旗 日本東京都東村山市
国籍 日本の旗 日本
出身校 東海大学
職業 体育教師
すずき ゆうすけ
鈴木 祐輔
生誕 (1978-09-03) 1978年9月3日(47歳)
日本の旗 日本東京都東村山市
国籍 日本の旗 日本
出身校 東海大学
職業 体育教師
活動拠点 日本の旗 日本
身長 172 cm (5 ft 8 in)
テレビ番組 TBSSASUKE
肩書きライフセービング日本代表
テンプレートを表示

鈴木 祐輔(すずき ゆうすけ、1978年9月3日[1] - )は、日本中学校教員(体育教師)、元ライフセービング日本代表。TBSSASUKE』の常連選手。厚木市立厚木中学校厚木市立藤塚中学校を経て、平塚市立中原中学校勤務。

現在神田中学生所属

東京都東村山市生まれ。剣道一族の家族の影響で幼稚園に入る前から剣道を始める。小学校では野球サッカー水泳と掛け持ちでスポーツを行い、中学校では学校に水泳部が無かったため陸上部に所属し、400mで都大会出場の経験を持つ。

自身が中学2年時に岩崎恭子バルセロナオリンピック平泳ぎ200m)での金メダル獲得に影響され、高校で水泳を再開。水泳部に加えて剣道部と野外研究部に所属していた。また、高校時代の理科の授業の教員が米村でんじろうだった[1]

大学では東海大学体育学部に進学し、卒業。体育の教員免許を取得。ただ鈴木自身は教員を全く目指しておらず、大学4年次の就職活動ではスポーツクラブやユニクロを受け、ユニクロで最終面接まで行ったが落選。卒業後は、大学で非常勤講師を務めたのち、大学時代の交際相手が高校教員を目指す道半ばで家庭の事情で地元に帰るために、教員への道を鈴木に譲ったことを機に教員の道を歩み始めた[1]

『SASUKE』はライフセービング日本代表の大学の先輩が出場したのを観て知ったが、出場したいとは思っていなかった。それから長年の時を経て、非常勤講師で勤めた高校を退職。清水国明アウトドア施設に参加し、そこで動画を撮影して番組に応募したところ通過を果たし、2005年の第16回大会に「アウトドアインストラクター」の肩書きで出場。1st STAGEのそり立つ壁まで到達した。2016年の第32回で初めて1stをクリアし、3rd STAGEまで進出。現時点で13回出場のうち4回3rdまで進出。

人物

身長172cm 体重62kg。握力は59.6kg[2]

ライフセービングで海境を渡るプロジェクトを行い、対馬から韓国釜山広域市までを泳いで渡った経験がある。

SASUKEでの戦歴

大会ごとの戦歴

第16回大会~第30回大会

第16回に「アウトドアインストラクター」の肩書きで初出場。1stステージのそり立つ壁でタイムアップ(ゼッケン75、全カット)。

第28回に体育教師として7年ぶりに出場。スタート台には自身が受け持つ学級の生徒が応援に駆け付けていた。1stのスピンブリッジでバランスを崩し、対岸にしがみついて踏ん張るも力尽きてリタイア(ゼッケン24)。

第29回は予選会に参加するも、出場権を獲得することはできなかった。

第30回では1stの2連そり立つ壁で1つ目を登るも、2つ目の壁を上り切れずタイムアップ。(ゼッケン2943)。

第31回では1stのオルゴールでリタイア(ゼッケン65、全カット)。

第32回大会~第35回大会

第32回では過去挑戦した4大会で全て1stリタイアの結果を受け「5回挑戦してダメだったなら、自分の力を素直に受け入れた方が良いのかもしれない」と、リタイアすれば引退を示唆する発言もあった中での挑戦となった。1stのダブルペンダラムを始めとした初挑戦エリアを越え、2.12秒残しで初の1stクリア。2ndステージでは水中エリアのバックストリームをものともせず攻略し、9.59秒残しでクリア。3rdステージでは新第1エリア、ドラムホッパー改で何度も肩が抜け落水寸前の体勢になるも、その都度体勢を立て直す粘りを見せ辛くも同エリアを攻略。しかしながら、第2エリアのフライングバーでリタイア(ゼッケン66)。

第33回は前回クリアした1stのダブルペンダラムで、マイナーチェンジによりトランポリンからバーへの距離が広がり、ジャンプしたもののバーを掴めず落水(ゼッケン93、ダイジェスト)。

第34回は1st・2ndをクリアし2大会ぶりに3rdへ進出。3rdでは初体験のサイドワインダー改の1→2本目への飛び移りで衝撃に耐えきれずリタイア(ゼッケン84)。

第35回は、1stで2大会続けてクリアしていたフィッシュボーンで入るタイミングを誤りリタイア(ゼッケン94)。

第36回大会~第38回大会

第36回は1stで警告音が鳴る中でそり立つ壁の頂上に手を掛け、最後はボタンにダイブするもあと1秒間に合わずタイムアップ(ゼッケン82、ダイジェスト及びParaviオリジナル版)。

第37回は中学校を異動してから初めての出場。1stを4.94秒残してクリアするも、2ndではリタイアの無かったスパイダーウォークで突如足を滑らせ背中から豪快に落水し初の2ndリタイアとなった(ゼッケン75)。なお、今大会はゼッケン74番に過去の教え子が出場していた。

第38回は新型コロナウイルス感染拡大により生徒が会場へ応援に来れないため、鈴木に内緒でビデオレターを作成。スタート前のタイミングで視聴し1stクリアを目標としたが、そり立つ壁で1度失敗。タイムアップの音が鳴ったタイミングで頂上に登り詰め、悔しさのあまり頂上を手で叩きつけた(ゼッケン37、ダイジェスト及びParaviオリジナル版)。

第39回大会~第43回大会

第39回は生徒の保護者お手製のユニフォームを着用し、大会前には自身が担任を務めるクラスで激励会が行われた[3][4]。1stではそり立つ壁で1度失敗するも2度目で成功し、2.99秒残しで2大会ぶりにクリア[4]。2ndでは前々回阻まれたスパイダーウォークにリベンジ。後半のエリアで追い上げを見せ4.96秒残しで第27回で樹立された、通称「孤高の天才スプリンター」奥山義行の41歳を超える、2ndクリア最年長記録(43歳)を樹立した。また、40代の2ndクリア者は奥山義行、漆原裕治、日置将士に続く4人目である[5]。4年半ぶりに進出した3rdではマイナーチェンジが施されたサイドワインダーの2→3本目のポールの飛び移りに失敗しリタイア(ゼッケン77)[6]

第40回記念大会は前回同様保護者お手製のユニフォームを着て登場。大会前に母親が他界[7]。44歳で1stステージをクリアし、自身初の大会連続1stクリアを成し遂げた。2ndではバックストリームを最速クラスで攻略。その後は残り8秒で最終エリアのウォールリフティングに突入し、0.38秒を残して自身4度目の2ndステージクリア。また、自身の持つ2ndステージ最年長クリア記録を漆原裕治とともに塗り替えた。3rdステージでは過去3度挑戦し、2度リタイアしていたサイドワインダーでまたもリタイア(ゼッケン3977、全ステージダイジェスト)[8]

第41回大会は1stステージ・ドラゴングライダーのトランポリンで踏み外し気味になり体勢が崩れ、2本目のバーを掴みきれず着地寸前で落水(ゼッケン78、ダイジェスト)[9]

第42回大会はドラゴングライダーに雪辱を果たし6秒60残しで2大会ぶりの1stクリア。2ndではサーモンラダー上りの掛け違いやリバースコンベアーでのタイムロスが響き、ウォールリフティング2枚目を越えたところでタイムアップ(ゼッケン54、ダイジェスト)。

第43回大会は、自身16回目の出場。2〜3年前から悩み続けてきた体力の限界によりSASUKEに全力で向き合えていないことから、今大会をもって引退を決意。第37回大会以来の夜間の収録で降雨の中挑んだ1stは新エリアのDXを驚異的な粘りで超えるが、疲労と時間のロスにより、そり立つ壁でタイムアップとなった(ゼッケン73)。今までは悔しさのあまりセットを叩いたりする事もあったが、今回はリタイア後にそり立つ壁に感謝を伝えた。

大会別成績

大会 ゼッケン STAGE 記録 備考
第16回大会 75 1st そり立つ壁 タイムアップ
第28回大会 24 スピンブリッジ 対岸で落下
第30回大会 2943 2連そり立つ壁 2つ目、タイムアップ
第31回大会 65 オルゴール 全カット
第32回大会 66 3rd フライングバー 1→2皿目
第33回大会 93 1st ダブルペンダラム バーに届かず
第34回大会 84 3rd サイドワインダー改 1→2本目
第35回大会 94 1st フィッシュボーン 2本目
第36回大会 82 そり立つ壁 ボタン前でタイムアップ
第37回大会 75 2nd スパイダーウォーク 中盤
第38回大会 37 1st そり立つ壁 上る直前にタイムアップ
第39回大会 77 3rd サイドワインダー 2→3本目
第40回大会 3977 1→2本目
第41回大会 78 1st ドラゴングライダー 対岸への着地失敗
第42回大会 54 2nd ウォールリフティング 3枚目、タイムアップ
第43回大会 73 1st そり立つ壁 タイムアップ

通算成績

出場数 2nd進出 3rd進出 FINAL進出 最優秀成績
16回 6回 4回 0回 0回
  • 2025年 第43回大会終了時点

本大会以外での出来事

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI