隠岡遺跡
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遺跡の発見
出土品
伊勢神宮との関係
『日本書紀』の記述によれば、伊勢神宮の鎮座は垂仁天皇の代とされる[8]。田中卓の私見では、これを3世紀後半から4世紀初頭であるとする[8]。
隠岡遺跡自体は伊勢神宮と直接関係するわけではない[4]。ただし隠岡遺跡の発見により、「5世紀頃まで人は住んでいなかった」として伊勢神宮の創建を3世紀頃とする見解に反対していた人々の主張を覆したのである[8]。すなわち『日本書紀』の通り、3世紀に伊勢神宮が鎮座していても何ら不思議ではないと主張することが可能となったのである[9]。更に伊勢市中村町の桶子遺跡(おけごいせき)で銅鐸の破片が発見されたことや、江戸時代の遺構さえ2 - 3メートルも掘らねばならないなど相当に厚く堆積しているため、古い遺跡の発見が進まない可能性が指摘されたことにより、「5世紀頃まで人は住んでいなかった」と言う説は一応解消された[10]。
隠岡遺跡の付近には、伊勢神宮の鎮座地を定めた倭姫命の陵墓(宇治山田陵墓参考地[3])がある[4]。倭姫命の陵墓と隠岡遺跡の標高はほぼ同じで、「美人坂」と通称される道路の建設の際に、両地域間が開削されたとみられる[7]。また地名「隠岡」は、倭姫命が石隠れしたことから命名された[5]。
平安時代の出土品は特殊な土器であり、建物の規模が大きいことから、当時尾上長(おのえのかみ)と呼ばれていた豊受大神宮禰宜の度会氏の居住地跡である可能性が指摘されている[2]。

