高松町 (境港市)

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高松町(たかまつちょう[1])は、鳥取県境港市町名郵便番号は684-0045。

境港市の東部で、東は美保湾に面し、北は竹内町に接する[1]

歴史

高松村江戸期から1889年明治22年)の村名で、伯耆国会見郡のうち鳥取藩[2]戦国時代尼子毛利合戦当時の古伝承があり、かなりの古集落と推定される[3]宝永元年の境村八幡宮棟札に「竹内村年寄、高松五郎兵衛」の名があり、宝暦12年の同社棟札には「本願主、高松邑武良惣四郎」の名がある[3]

江戸時代の高松集落は竹内村の支村とされたため庄屋は置かれなかった[4]享和3年に新田として幕府に届けられ、1869年(明治2年)に領内限りで分村する[2]。村高は『元治郷村帳』71石余、『旧高旧領』71石余、『元治郷村帳』の物成は22石余である[2]

1871年(明治4年)に鳥取県1876年(明治9年)に島根県1881年(明治14年)に再び鳥取県に所属する[2]1879年(明治12年)の戸数108・人口513[2]。物産は甘藷[2]。1889年(明治22年)、下浜村の大字となる[2]

高松は、はじめ下浜村、1889年(明治22年)12月から余子村の大字である[2]。明治20年代から、栽培・養蚕業が盛んになる[2]。そして綿作・木綿織物生産に代わり、養蚕・製糸業が主産業になる[2]第二次大戦中、第三一海軍航空廠美保工場や宿舎、余子駅西側には計器工場が建設された[5]1947年(昭和22年)、余子村・中浜村組合立誠道中学校が航空廠美保工場を改築して開校する[2][5]1954年(昭和29年)に境港町の町名となる[2]

高松町1956年(昭和31年)から境港市の町名である[2]。夕顔・誠道の2住宅団地が造成され、夕顔団地・誠道団地は1975年(昭和50年)に誠道町となる[2]

苗字

武良は、戦国時代の亀井能登守伝承に登場する古姓氏として知られる[4]。竹内村支村高松の武良について『伯耆志』には「高岡城趾と古松三幹あり。往古武良某此所に居りしと云へり。今村中其裔あり」とある[6]。「大同寺棟札」には竹内村年寄として武良のほか「安部」姓が記載されている[4]。現代の上位三姓は「阿部・武良・佐々木」である[4]

地名の由来

地内にあった大松にちなむ[2]

経済

産業

店舗・企業
かつて存在した店舗・企業

地主

世帯数と人口

2025年(令和7年)8月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[11]

町丁世帯数人口
高松町 322世帯 662人

人口の変遷

国勢調査等による人口の推移[2]

1960年(昭和35年) 1,175人
1980年(昭和55年) 1,053人

世帯数の変遷

国勢調査等による世帯数の推移[2]

1960年(昭和35年) 266世帯
1980年(昭和55年) 298世帯

地域

施設

  • 高松神社[12][13]
  • 龍宮 - 石宮、通称外浜産業道路西の松林中から道路東に移されていたが、埋め立てのため友田水産邸内に移された[13]

交通

鉄道

出身人物

脚注

参考文献

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