FC東京バレーボールチーム
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| FC東京 | |||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 原語表記 | FC東京バレーボールチーム | ||||||||||||||
| ホームタウン | 東京都墨田区 | ||||||||||||||
| クラブカラー | 青、赤 | ||||||||||||||
| 創設年 | 1948年 | ||||||||||||||
| 廃部年 | 2022年 | ||||||||||||||
| 所属リーグ | V.LEAGUE DIVISION1 | ||||||||||||||
| チーム所在地 | 東京都江東区 | ||||||||||||||
| 体育館所在地 | 東京都江東区 | ||||||||||||||
| 代表者 | 鈴木尚文 | ||||||||||||||
| 監督 | 真保綱一郎 | ||||||||||||||
| ホームページ | 公式サイト(アーカイブ) | ||||||||||||||
| ユニフォーム | |||||||||||||||
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FC東京バレーボールチーム(エフシーとうきょうバレーボールチーム)は、東京都を本拠地としていた男子バレーボールチーム。2003年に東京ガスから移行した。JリーグのFC東京と連携していた。最終シーズンとなる2021-22シーズンはV.LEAGUE DIVISION1(V1)に所属。2022年6月ネイチャーラボにチーム譲渡となり、チームは「東京グレートベアーズ」として引き続きV1所属となった[1][2]。
運営はJリーグのFC東京を運営している東京フットボールクラブ株式会社であった[3]。2022年6月、ネイチャーラボにチーム譲渡した(チーム名は「東京グレートベアーズ」となった。)。
母体もJリーグチームと同様、東京ガスのバレーボール部である。1948年に社内レクリエーションとして9人制バレーボール部として創部したのが始まりであり、1985年に6人制バレーボール部に変更し、2003年に『FC東京バレーボールチーム』に移行した。ただし、プロ化しているJリーグチームとは違い、選手・スタッフは大半が東京ガスのグループ会社で働きながら活動していた[4][5][6]。
Jリーグチームとの共通ネームであり、都民のためのクラブを目指す観点から来ている。チームマスコットも東京ドロンパで共通であり[7]、ホームゲームに出没することがある[8]。
練習場は、東京ガス深川グランド内にあるTG深川体育館であり、練習見学の可能な日も設定されている[9]。バレーボール教室を2002年より開催している[10]。
V・チャレンジリーグ在籍時には、東京ヴェルディとの試合でサッカーと同様に「東京ダービー」として盛り上がりをみせていた。
歴史
1948年、東京ガスの社内レクリエーションとして9人制バレーボール部として創部。1985年に6人制バレーボール部に変更。
1986年より地域リーグに参加。1997年に東部地域リーグ(Vリーグの3部組織)に加入。1998年に地域リーグプレーオフを制しV1リーグ(現・Vチャレンジリーグ)昇格を果たす。
第4回V1リーグ(2001/02シーズン)では3位ながらもV・プレミアリーグに休部チームが出た影響で入れ替え戦に出場。しかし、入れ替え戦で日立国分トルメンタに敗れプレミアリーグ昇格はならなかった。
2002年よりFC東京バレーボール教室を開始し、同チームから選手がコーチングに派遣されるようになる。
第5回V1リーグ(2002/03シーズン)で初優勝を果たす。しかし、入替戦では旭化成スパーキッズに敗れまたしても昇格はならなかった。
入れ替え戦の直後の2003年4月、地域に密着するチームになることを目指して東京ガスバレーボール部からFC東京バレーボールチームへと移行し、普及活動を東京都内で本格的にスタートさせた[11]。
第6回V1リーグ(2003/04シーズン)で連覇を果たし、第7回で3連覇を果たすが、入替戦ではことごとく旭化成に敗れ、昇格を果たせなかった。
2006/07V・チャレンジリーグ(V1リーグから名称変更)優勝し、2007/08V・チャレンジリーグでも優勝。しかし、入替戦では2回とも大分三好ヴァイセアドラーに敗北を喫し、チャレンジリーグ残留となる。
2008/09シーズンでV・チャレンジリーグ3連覇。そして、V・チャレンジマッチ(入替戦)で大分三好と対戦。第1戦をストレート勝ちし、第2戦で1セット先取。その時点でセット率によって初のV・プレミアリーグ昇格が決まった(第2戦は1-3で敗戦)。7回目の入替戦でようやくV・プレミアリーグ昇格を勝ち取った。
2009年、チームOBでV・プレミアリーグ女子のJTマーヴェラスでコーチを務めた坂本将康が監督に就任した[12]。
初参加となった2009/10V・プレミアリーグでは、なかなか思うように勝ち星を重ねられず、4勝24敗の最下位で終わりV・チャレンジマッチに参加することとなる。しかし、V・チャレンジマッチでは、V・チャレンジリーグを15戦全勝で勝ち上がったジェイテクトSTINGSに2試合連続のストレート勝ちでV・プレミアリーグ残留を果たす。2010年、ゆめ半島千葉国体に東京都代表として参加。成年男子6人制の部で準優勝を果たした。2010/11V・プレミアリーグでは最下位は逃れたものの7位で終わり、本来ならV・チャレンジマッチに出場する成績だが、東日本大震災の影響で中止となり、そのまま残留となる。
2011年、所属選手の不祥事により、Vリーグ機構より制裁が下された[13]。
同年、おいでませ!山口国体で優勝。年末の天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会では準優勝を果たし、チームの躍進ぶりを印象づけた。2011/12V・プレミアリーグでは8勝13敗でチーム最高の5位に入り、V・チャレンジマッチ出場も回避した。黒鷲旗でも準優勝を果たした。
しかし、2012/13V・プレミアリーグでは7位に低迷し、3年ぶりのV・チャレンジマッチ出場となった。V・チャレンジマッチでは、つくばユナイテッドSun GAIAに第1戦はフルセットに持ち込まれるものの辛勝。第2戦は3-1で勝利し、何とかV・プレミアリーグ残留を決めた。2013/14シーズンも7位となり、2014/15シーズンからは4シーズン連続で最下位となった。2012/13シーズンから5シーズン連続でV・チャレンジマッチ出場となっていたが、そちらでは1敗もせず残留し続けた。
2017-18シーズン終了をもって9シーズン監督を務めた坂本将康が監督を退任(その後ゼネラルマネージャーを1シーズン務めてからV1女子のPFUブルーキャッツ監督に就任)[12]。前年度よりコーチとして入団したアレッサンドロ・ロディが監督に昇格した[14][15]。
2018-19シーズン、V・プレミアリーグに替わり新生V.LEAGUEが誕生し、1部であるDIVISION1(V1)に編入[16]。チーム数が増加し新たに入った2チームには上回るもの順位を上げれず8位で終える[17]。
ロディは監督1シーズンで退団[18]。2019-20シーズンより堺ブレイザーズで監督を務めていたばかりの真保綱一郎が監督に就任した[19]。
2021年12月8日、2022年5月末をもって活動休止すると発表した[1][20][21]。ミクシィが東京ガスに替わって東京フットボールクラブの筆頭株主になり経営権取得した後のことであった[4]。事業環境の変化、中長期的な事業成長や将来のVリーグ参加へ向けた事業化・高度化計画への対応を総合的に判断・検討した結果、休部に至ったもので、今後はFC東京の主軸であるサッカーに重きを置いて活動する方針であることから、バレーボール教室などといった普及活動も休止する方針[1]。
最終シーズンとなった2021-22シーズン、V1は9勝25敗の8位となり、V1残留の成績を残して最後のVリーグを戦い終えた[22][23]。V.LEAGUE DIVISION1は、4シーズン戦い4シーズンとも8位の成績だった。
2022年4月26日、Vリーグ機構とFC東京は、美容健康雑貨を手掛けるネイチャーラボへのチーム譲渡が決定したと発表した。新チームは2022-23シーズンも引き続きV1所属となった[24][25][2]。
2022年4月29日から始まった第70回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会では、グループ戦を2勝1敗としA組2位で準々決勝に進出[26][27]。そして、2022年5月3日、黒鷲旗の準々決勝でV1王者のサントリーサンバーズにセットカウント1-3で敗れ、FC東京としての公式戦が全て終了となった[28]。試合終了後、「東京ブギウギ」に合わせて踊る恒例のパフォーマンスを披露し、ファンや他チームの選手、大会関係者から拍手が送られた[29]。
2022年5月31日、FC東京としての19シーズンの活動が終了となった。6月よりネイチャーラボに引き継がれた新チームとして活動する[30]。6月1日、新チームのTwitter公式アカウントを発表した[31]。6月13日に新チームのチーム名が発表され、「東京グレートベアーズ」として再出発することとなった[32][33]。
成績
主な成績
- 優勝 なし
- V1リーグ / チャレンジリーグ
- 優勝6回(2003年、2004年、2005年、2007年、2008年、2009年)
- 準優勝 なし
- 優勝 なし
- 準優勝 1回(2012年)
- 準優勝 1回(2011年度)
年度別成績
Vリーグ / 実業団リーグ・V1リーグ
| 所属 | 年度 | 最終 順位 |
参加 チーム数 |
試合 | 勝 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| V1リーグ | 第1回 (1998/99) | 6位 | 8チーム | 14 | 6 | 8 | 0.429 |
| 第2回 (1999/00) | 4位 | 8チーム | 14 | 8 | 6 | 0.571 | |
| 第3回 (2000/01) | 3位 | 8チーム | 14 | 9 | 5 | 0.642 | |
| 第4回 (2001/02) | 3位 | 8チーム | 14 | 9 | 5 | 0.642 | |
| 第5回 (2002/03) | 優勝 | 8チーム | 14 | 13 | 1 | 0.929 | |
| 第6回 (2003/04) | 優勝 | 7チーム | 12 | 12 | 0 | 1.000 | |
| 第7回 (2004/05) | 優勝 | 8チーム | 14 | 11 | 3 | 0.786 | |
| 第8回 (2005/06) | 3位 | 8チーム | 14 | 10 | 4 | 0.714 |
V・プレミアリーグ / V・チャレンジリーグ
| 所属 | 年度 | 最終 順位 |
参加 チーム数 |
レギュラーラウンド | ポストシーズン | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 順位 | 試合 | 勝 | 敗 | 試合 | 勝 | 敗 | ||||
| チャレンジ | 2006/07 | 優勝 | 9チーム | 1位 | 16 | 15 | 1 | - | ||
| 2007/08 | 優勝 | 10チーム | 1位 | 18 | 18 | 0 | - | |||
| 2008/09 | 優勝 | 12チーム | 1位 | 11 | 10 | 1 | 7 | 6 | 1 | |
| プレミア | 2009/10 | 8位 | 8チーム | 8位 | 28 | 4 | 24 | - | ||
| 2010/11 | 7位 | 8チーム | 7位 | 24 | 6 | 18 | 中止 | |||
| 2011/12 | 5位 | 8チーム | 5位 | 21 | 8 | 13 | - | |||
| 2012/13 | 7位 | 8チーム | 7位 | 28 | 8 | 20 | - | |||
| 2013/14 | 7位 | 8チーム | 7位 | 28 | 7 | 21 | - | |||
| 2014/15 | 8位 | 8チーム | 8位 | 21 | 2 | 19 | - | |||
| 2015/16 | 8位 | 8チーム | 8位 | 21 | 4 | 17 | - | |||
| 2016/17 | 8位 | 8チーム | 8位 | 21 | 3 | 18 | - | |||
| 2017/18 | 8位 | 8チーム | 8位 | 21 | 2 | 19 | - | |||
V.LEAGUE
| 所属 | 年度 | 最終 順位 |
参加 チーム数 |
レギュラーラウンド | ポストシーズン | 備考 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 順位 | 試合 | 勝 | 敗 | 試合 | 勝 | 敗 | |||||
| DIVISION1 | 2018-19 | 8位 | 10チーム | 8位 | 27 | 8 | 19 | - | |||
| 2019-20 | 8位 | 10チーム | 8位 | 27 | 6 | 21 | - | ||||
| 2020-21 | 8位 | 10チーム | 8位 | 35 | 8 | 27 | - | ||||
| 2021-22 | 8位 | 10チーム | 8位 | 34 | 9 | 25 | - | ||||
活動終了時の選手・スタッフ
選手
| 背番号 | 名前 | シャツネーム | 生年月日(年齢) | 身長 | 国籍 | Pos | 在籍年 | 前所属 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | ヨナス・クヴァーレン (no) | KVALEN | 1992年6月6日(33歳) | 196 | OH | 2021年- | 移籍加入[34] | ||
| 2 | 玉宅健太郎 | TAMAYA | 1992年1月30日(34歳) | 187 | S | 2014-2016年 2017年- | 堺 | ||
| 4 | 山田要平 | YAMADA | 1988年10月9日(37歳) | 185 | S | 2015年- | 大分三好 | ||
| 5 | 谷口渉 | TANIGUCHI | 1996年11月5日(29歳) | 175 | OH | 2019年- | 中央大学 | ||
| 6 | 近江芳樹 | OHMI | 1997年4月16日(28歳) | 190 | OH | 2016年- | 駿台学園高校 | ||
| 8 | 栗山英之 | KURIYAMA | 1993年7月15日(32歳) | 190 | MB | 2016年- | 東海大学 | 主将 | |
| 10 | 古賀太一郎 | KOGA | 1989年10月4日(36歳) | 170 | L | 2020年- | コーチ兼任 | ||
| 11 | 山田大悟 | DAIGO | 1998年4月11日(27歳) | 191 | MB | 2021年- | 駒澤大学 | 新人[35] | |
| 12 | 小田嶋大貴 | ODASHIMA | 1991年7月22日(34歳) | 191 | MB | 2014年- | 駒澤大学 | ||
| 13 | 柳町逸太 | YANAGIMACHI | 1996年6月17日(29歳) | 184 | OP | 2019年- | 東海大学札幌校舎 | ||
| 14 | 長友優磨 | NAGATOMO | 1991年12月22日(34歳) | 180 | OH | 2015年- | 専修大学 | 副主将 | |
| 15 | マーク・エスペホ | ESPEJO | 1997年3月1日(29歳) | 191 | OH | 2021年- | 移籍加入[36] | ||
| 16 | 手原紳 | SHIN | 1993年4月14日(32歳) | 180 | S | 2016年- | 龍谷大学 | ||
| 18 | 武藤鉄也 | MUTO | 1997年11月5日(28歳) | 190 | MB | 2020年- | 早稲田大学 | ||
| 19 | 佐藤望実 | SATO | 1994年9月14日(31歳) | 184 | OH | 2017年- | 中央学院大学 | ||
| 21 | 平田亮介 | HIRATA | 1995年5月18日(30歳) | 187 | MB | 2018年- | 中央大学 | ||
| 22 | 宮原和輝 | MIYAHARA | 1995年6月28日(30歳) | 183 | OH | 2018年- | 東海大学 | ||
| 26 | 黒田彪斗 | KURODA | 1996年1月30日(30歳) | 183 | OH | 2018年- | 慶應義塾大学 | ||
| 出典:チーム新体制リリース[37] チーム公式サイト[38] Vリーグ公式サイト[39] 更新:2022年4月28日 | |||||||||
スタッフ
| 役職 | 名前 | 備考 |
|---|---|---|
| 部長 | 鈴木尚文 | |
| 副部長 | 原文比古 | |
| 谷口元 | ||
| 金澤正明 | ||
| 柳井功 | ||
| 総監督 | 吉田清司 | |
| 監督 | 真保綱一郎 | |
| コーチ | 橘裕也 | |
| コーチ兼選手 | 古賀太一郎 | |
| アナリスト | 草柳和希 | |
| ドクター | 荻内隆司 | 川口工業総合病院 |
| アスレティックトレーナー | 八亀康次 | |
| メディカルトレーナー | 堀内壮春 | |
| マネジメントスタッフ | 九冨洋平 | |
| 大塚強 | ||
| 塚田正喜 | ||
| 齊藤福富美 | ||
| 佐藤道子 | ||
| 広報 | 小林恭子 | |
| 通訳 | 山崎ルシアノ | |
| サポートスタッフ | 市川静香 | |
| 普及スタッフ | 竹内香奈子 | |
| 中山荘子 | ||
| 出典:チーム新体制リリース[37] チーム公式サイト[38] Vリーグ公式サイト[39] 更新:2021年6月19日 | ||