アーニー・ディグレゴリオ
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バッファロー・ブレーブスでのディグレゴリオ | |
| 引退 | |
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| 愛称 | Ernie D |
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1951年1月15日(74歳) |
| 出身地 | ロードアイランド州ノースプロビデンス |
| 身長(現役時) | 183cm (6 ft 0 in) |
| 体重(現役時) | 81kg (179 lb) |
| キャリア情報 | |
| 出身 | プロビデンス大学 |
| NBAドラフト | 1973年 / 1巡目 / 全体3位 |
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バッファロー・ブレーブスから指名 | |
| プロ選手期間 | 1973年–1978年 |
| ポジション | PG |
| 背番号歴 | 15, 7 |
| 選手経歴 | |
| 1973-1977 1977 1978 |
バッファロー・ブレーブス ロサンゼルス・レイカーズ ボストン・セルティックス |
| 受賞歴 | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
アーネスト・ディグレゴリオ (Ernest DiGregorio, 1951年1月15日 - ) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。身長183cm、体重81kg。ポジションはポイントガード。NBAのバッファロー・ブレーブスなどでプレーし、新人王とアシスト王を同時受賞した史上2人目の選手である。
アーニー・ディグレゴリオはロードアイランド州ノースプロビデンスで生れ、地元の高校でスター選手として活躍した後、プロビデンス大学に進学した。大学4年時には平均24.5得点8.6アシストを記録してオールアメリカ1stチームに選ばれ、NCAAトーナメントでチームを初のファイナル4進出に導いた。卒業後の1973年、ディグレゴリオはNBAドラフト全体3位でバッファロー・ブレーブスに、ABAドラフトでケンタッキー・カーネルズに指名を受け、NBA入りを選択した。
プロ1年目となる1973-74シーズン、ディグレゴリオは81試合の出場で平均15.2得点8.2アシストをあげてアシスト王に輝き、新人王とオールルーキー1stチームに選ばれた。新人王とアシスト王の同時受賞は1960-61シーズンのオスカー・ロバートソン以来史上2人目の快挙であった。またフリースロー成功率はリーグ1位となる.902をマークした。このシーズンに記録した1試合25アシストは、1987年のネイト・マクミランと並ぶNBA新人記録である。
ディグレゴリオは順調なキャリアを送るかのように見えたが、2年目の1974-75シーズン途中に膝に重傷を負い、51試合を欠場した。スタッツはルーキーイヤーの約半分に落ち込み、以後もかつての姿を取り戻すことはなかった。4年目の1976-77シーズンには81試合に出場して平均得点を2桁に戻し、リーグ首位かつ歴代9位のフリースロー成功率.945を記録するなど、復活の兆しが見られた。しかしチーム再建に舵を切っていたブレーブスは、シーズン終了後にディグレゴリオをロサンゼルス・レイカーズに放出した。
1977-78シーズン、ディグレゴリオはレイカーズで25試合に出場した後シーズン途中に解雇された。その直後にフリーエージェントとしてボストン・セルティックスと契約し、シーズンの残りをプレーした。翌シーズン以降は無所属となり、1981年に正式に現役引退を表明した。
NBAでの成績は312試合に出場して通算2,997得点1,594アシスト(平均9.6得点5.1アシスト)、フリースロー成功率.902であった。
ディグレゴリオは1999年にイタリア系アメリカ人スポーツ殿堂、2019年にカレッジバスケットボール殿堂入りを果たした。