チーム数が18チームに増えたことによりプレーオフ出場枠は8から10に増加され、そのためプレーオフのトーナメント方式も変更された。1回戦は第4シードと第5シードの2チームのみで戦い、その勝者がカンファレンス準決勝で第1シードと戦う。勝者はカンファレンス決勝に進み、カンファレンス準決勝のもう一方のブロックである第2シード対第3シードの勝者とファイナル進出を掛けて争う。
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1回戦 |
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カンファレンス準決勝 |
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カンファレンス決勝 |
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ファイナル |
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1 |
ウォリアーズ |
4 |
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4 |
ソニックス |
2 |
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4 |
ソニックス |
2 |
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5 |
ピストンズ |
1 |
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1 |
ウォリアーズ |
4 |
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Western Conference |
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2 |
シカゴ |
3 |
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3 |
キングス |
2 |
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2 |
ブルズ |
4 |
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1 |
ウォリアーズ |
4 |
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2 |
ブレッツ |
0 |
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1 |
セルティックス |
4 |
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4 |
ロケッツ |
1 |
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4 |
ロケッツ |
2 |
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5 |
ニックス |
1 |
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1 |
セルティックス |
2 |
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Eastern Conference |
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2 |
ブレッツ |
4 |
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3 |
ブレーブス |
3 |
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2 |
ブレッツ |
4 |
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ゴールデンステート・ウォリアーズ 4-0 ワシントン・ブレッツ (ファイナル)
- 第1戦 ウォリアーズ 101-95 ブレッツ @ワシントンD.C.
- 第2戦 ウォリアーズ 92-91 ブレッツ @サンフランシスコ
- 第3戦 ウォリアーズ 109-101 ブレッツ @サンフランシスコ
- 第4戦 ウォリアーズ 96-95 ブレッツ 95 @ワシントンD.C.
- ファイナルMVP:リック・バリー
1960年代前半のゴールデンステート・ウォリアーズ(当時はフィラデルフィア・ウォリアーズ)は稀代のセンターウィルト・チェンバレンに率いられ、リーグ有数の強豪チームとしてボストン・セルティックスと覇を競った。1965年にチェンバレンが去って以降はネイト・サーモンドがチェンバレンに代わるエースセンターとしてチームの中心を担い、1967年にはファイナルに進出(チェンバレン率いるフィラデルフィア・76ersに敗れる)、以後も中堅チームとしての地位を守り続けたが、リーグはミルウォーキー・バックスなどの新興チームが幅を利かせるようになり、ウォリアーズは上位争いからは程遠い位置に居た。
シーズン前、ウォリアーズは決断を下した。すでに30歳を過ぎ、成績が下降し始めたネイト・サーモンドをシカゴ・ブルズにトレードに出したのである。トレード内容はウォリアーズのサーモンドに対し、ブルズからはセンターのクリフォード・レイと将来のドラフト1巡目指名権、現金50万ドルだった。チームのスターを出してまでウォリアーズが欲したのは決してクリフォード・レイではなく、あくまで現金だった。つまりウォリアーズはチームの再建に入ったのであり、このトレードに周囲はウォリアーズのプレーオフ出場はないだろうと予想していた。しかしウォリアーズはチームにとっても予想外の健闘を見せ、1972年からウォリアーズに加わったリック・バリー、新人王を獲得したジャマール・ウィルクスらが中心を担い、またクリフォード・レイもトレード時の予想を上回る貢献を見せ、48勝を記録してデビジョン優勝を果たした。
この年のプレーオフは60勝を達成したボストン・セルティックスとワシントン・ブレッツのイースタン2強に注目が集まった。ウエスタンには50勝以上達成したチームはおらず、そのためセルティックス対ブレッツのイースタン・カンファレンス決勝は、事実上のファイナルと言われた。シリーズは4勝2敗でエルヴィン・ヘイズ、ウェス・アンセルドらを擁するワシントン・ブレッツが勝利し、4年ぶりにファイナルに進出した。一方のウエストからはカンファレンス決勝でシカゴ・ブルズを第7戦の末に破ったゴールデンステート・ウォリアーズが勝ちあがってきた。ブレッツはK.C.ジョーンズ、ウォリアーズはアル・アットルスがそれぞれヘッドコーチを務めており、このファイナルはアメリカメジャースポーツ史上初の黒人ヘッドコーチ同士の対決となった。
レギュラーシーズン60勝対48勝のチーム同士の対決であるため、ファイナルの行方は明らかであるように思えた。しかしファイナルは意外な所から横槍が入った。ウォリアーズのホームアリーナであるオークランドアリーナがファイナル期間中に使用できず、試合はサンフランシスコのカウ・パレスで開催されることになった。ブレッツのメンバーはこのカウ・パレスで一度もプレイしたことがなく、そしてウォリアーズのエース、リック・バリーにとってはサンフランシスコ・ウォリアーズ時代からの相性の良い場所だった。さらに通常のファイナルは2-2-1-1-1フォーマットで行われるが、スケジュールの都合上第1戦をブレッツのホームコートで行う1-2-2-1-1フォーマットに変更された。このフォーマットはファイナルを自らのホームコートで始めたいブレッツの希望で決められたのだが、第2戦、第3戦を続けて敵地ウォリアーズのホームコートで戦うことがブレッツにとっては仇となった。ブレッツはレギュラーシーズンの成績で遥かに下回るウォリアーズに、まさかの4戦全敗のスイープ負けを喫するのである。
ブレッツの誤算は大事な第1戦を落としたことにあった。シカゴ・ブルズとのカンファレンス決勝を第7戦まで戦い、疲労困憊にあるはずのウォリアーズは前半で14点のリードを奪った。ブレッツは後半に懸命な巻き返しを見せたが、レギュラーシーズンの平均出場時間が15分に満たないフィル・スミスが31分の出場で20得点を記録する活躍などで、101-95でウォリアーズが勝利した。初戦を躓いたブレッツは、建て直しの機会を与えられないまま敵地サンフランシスコでの2連戦へと突入するのである。
カウ・パレスでの第2戦ではリック・バリーが36得点を記録して92-91でウォリアーズが2連勝を飾る。さらに第3戦でもバリーは38得点を記録し、ウォリアーズはあっという間の3連勝で優勝に王手を掛けてしまった。ウォリアーズの快進撃を支えるのはここまで平均35得点のリック・バリーの活躍のほかに、ジャマール・ウィルクスのウェス・アンセルドに対する好ディフェンスもあった。スモールフォワードであるウィルクスはセンターのアンセルドをこの3試合で計29得点に抑えていた。さらにブレッツを圧倒したのがウォリアーズのベンチ陣であった。この3試合でブレッツのベンチ総得点53得点に対し、ウォリアーズは115得点だった。
後が無くなったブレッツは長く辛いロード2連戦を終えて、ようやくホームのワシントンD.C.に戻った。巻き返しを図りたいブレッツは第4戦の序盤に14点のリードを奪うことに成功した。そしてブレッツのK.C.ジョーンズHCはリック・バリーを止めるべくマイク・リオーダンに徹底マークを命じた。リオーダンは非常に激しいディフェンスでバリーに当たった。そしてリオーダンは第1Qの中盤にドライブしたバリーに後ろから激しいファウルを犯した。すでに多くのストレスを溜めていたバリーはリオーダンを押し返した。一気に緊迫したコート上の2人の間に割って入ったのは、ウォリアーズのアル・アットルスHCだった。あろうことかアットルスはバリーを宥めるどころか、自らリオーダンに食って掛かったのである。当然アットルスは退場を言い渡されたが、しかしアットルスの行為でリック・バリーの退場という最悪の事態は避けられた。アットルスが故意に騒ぎを起こしたかは定かではないが、その後ウォリアーズはバリーの活躍で逆転を果たし、バリーは大ブーイングが鳴り響くアリーナの中で最後のフリースローを決め、96-95でウォリアーズが勝利し、19年ぶり3度目の優勝を決めた。ファイナルMVPにはリック・バリーが選ばれた。