ネッド・ハンロン
From Wikipedia, the free encyclopedia
|
1887年 | |
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
|
| 出身地 |
コネチカット州モントヴィル |
| 生年月日 | 1857年8月22日 |
| 没年月日 | 1937年4月14日(79歳没) |
| 身長 体重 |
5' 9.5" =約176.5 cm 170 lb =約77.1 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 外野手 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
|
選手歴:
監督歴:
| |
| 選出年 | 1996年 |
| 選出方法 | ベテランズ委員会選出 |
この表について
| |
ネッド・ハンロン(Edward Hugh "Ned" Hanlon、1857年8月22日 - 1937年4月14日)は、アメリカ合衆国コネチカット州モントヴィル出身のプロ野球選手(外野手)、プロ野球監督。右投げ左打ち。
選手時代
1880年にクリーブランド・ブルースと契約しデビューする。1年目は73試合に出場し打率.246だったが、外野での35ものエラーをしたのが響いたか、翌年デトロイト・ウルバリンズと契約をやり直す。デトロイト在籍時の打撃成績は最高でも.302 (1885年)、また守備では刺殺数が多いものの失策も多い選手だった。
1889年にピッツバーグに移籍して監督兼任選手を3年務め、1892年にはボルチモア・オリオールズに所属。1年だけ現役選手として出場し、翌1893年からは監督に専念するようになった。
監督時代
移籍してきた1892年のオリオールズの勝率は4割に満たなかったが、ハンロンはトレードなどで徐々に実力派選手をオリオールズに集めていく。1893年にはヒューイー・ジェニングスを獲得、1894年にはダン・ブローザーズ、ウィリー・キーラーのほか、投手では300勝投手だったジョン・クラークソンらを獲得(ただしクラークソンはボルチモアで1試合も登板しなかった)し、前年8位だったチームをリーグ制覇に導く。弱かったオリオールズはこの年からナショナルリーグを3連覇した。またハンロンは、1891年に既に入団していたジョン・マグローと共に、ヒットエンドランなどの戦術を考案・完成させた。指揮をとっていた1894年から1898年のオリオールズは、毎年6割以上の勝率を誇っていた。
1899年に、ボルチモア時代の支配下選手を何人か連れてブルックリンに移籍、ここでもリーグを2連覇する。それ以降はトレード等による選手達の分散などでチームの勝率は徐々に低迷、1905年には104敗を喫しブルックリンの監督を退いた。1907年のレッズの監督就任を最後に引退、1937年にボルチモアで死去した。ハンロンの指揮下からは、ジェニングスやマグロー、ウィルバート・ロビンソンなど、後に何度もリーグ制覇を成し遂げる監督となった選手が何人も輩出されている。