サイ・ウィリアムズ
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | インディアナ州ワデナ |
| 生年月日 | 1887年12月21日 |
| 没年月日 | 1974年4月23日(86歳没) |
| 身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 180 lb =約81.6 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 中堅手 |
| 初出場 | 1912年7月18日 |
| 最終出場 | 1930年9月22日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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フレデリック・"サイ"・ウィリアムズ(Frederick "Cy" Williams、1887年12月21日 - 1974年4月23日)は、主に1910~1920年代に活躍したメジャーリーグの野球選手。主なポジションは中堅手。インディアナ州ワディナ生まれ。左投げ左打ち。シカゴ・カブスとフィラデルフィア・フィリーズで活躍し、デッドボール時代からライブボール時代にまたがり計4度のリーグ最多本塁打を記録した。[1] [2]
ウィリアムズはノートルダム大学で建築を学び、野球だけでなくフットボールもこなしたが、当時のシカゴ・カブスが彼のバッティングに注目し、大学卒業とともに早々に契約を結んだ。[2]1912年の7月にはメジャーにデビューし、1916年にリーグ最多本塁打(12本)を始めて記録した。しかし翌年の1917年は成績が振るわず、1918年にフィラデルフィア・フィリーズに移った[1]。
1920年以降ライブボール時代になってウィリアムズの打撃力は息をふきかえし、同年キャリア初の3割超えを果たすとともに、2度目のリーグ最多本塁打(15本)を記録する。その後1923年と1927年と、フィリーズでは計3度のリーグ最多本塁打を記録、1926年にはナショナルリーグで最初に通算本塁打数が200を超えた選手となった。[2]ちなみに1926年にはサヨナラ満塁本塁打を2本打っている[3]。
1930年を最後にウィリアムズは選手を引退し、引退後はウィスコンシン州のスリーレイクで建築家として働いた。1974年に86歳で死去。[2]
選手としての特徴
遅咲きの選手で、4度目のリーグ最多本塁打を記録したのは39歳の時である。かなりのプルヒッターで、相手チームは定位置よりも右寄りに守る「ウィリアムズ・シフト」をひいていた。後年テッド・ウィリアムズが活躍した際も、相手が右寄りに守備位置をとったことを同じく「ウィリアムズ・シフト」と呼んだため現在は混同されがちである。[2]