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エイドリアン・ベルトレ

ドミニカ共和国のプロ野球選手 From Wikipedia, the free encyclopedia

エイドリアン・ベルトレ・ペレス(Adrián Beltré Pérez, 1979年4月7日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身の元プロ野球選手(三塁手)。右投右打。愛称はエル・コハ[1]。ベースボール・ユナイテッドのカラチ・モナークスのゼネラルマネージャーを務める。

生年月日 (1979-04-07) 1979年4月7日(47歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
220 lb =約99.8 kg
概要 カラチ・モナークス GM, 基本情報 ...
エイドリアン・ベルトレ
Adrián Beltré
カラチ・モナークス GM
テキサス・レンジャーズでの現役時代
(2017年7月19日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サントドミンゴ
生年月日 (1979-04-07) 1979年4月7日(47歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 1994年 アマチュアFA
初出場 1998年6月24日
最終出場 2018年9月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
WBC 2006年、2017年
殿堂表彰者
選出年 2024年
得票率 95.06%
選出方法 BBWAA選出
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ドミニカ共和国人選手では史上2番目に安打が多く[注 1]、2017年にドミニカ共和国出身の選手としては初の通算3000安打を達成した[3]。

経歴

プロ入りとドジャース時代

1994年にロサンゼルス・ドジャースと契約。

1996年に渡米すると、マイナーリーグで攻守にわたり活躍を見せた。

1998年にボビー・ボニーヤの故障によりAA級からメジャーへ昇格し、6月24日に19歳でメジャーデビューを果たす。トミー・ラソーダGM代行が無理に昇格させたため、まだ早過ぎるという声もあった[4]。メジャー1年目の成績は77試合の出場で打率.215、7本塁打、22打点を記録した。

シーズン終了後にドミニカ共和国のウィンターリーグであるリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナに参加し、MVPになる活躍を見せた。

1999年はスプリング・トレーニングで打率.453(チーム1位)を記録。開幕からドジャースの三塁を定位置として確保することになる[4]。152試合に出場し、打率.275、15本塁打、67打点を記録した。シーズン終了後には1978年生まれではなく、実際は1979年生まれのため契約解禁年齢の16歳を前に契約したことが発覚[5]。

2000年は打率.290、20本塁打、85打点と昨年を上回る成績を記録した。

2001年は故障に見舞われたこともあり、打率.265、13本塁打、60打点に終わる。

2002年は、打率.257、21本塁打、75打点を記録した。

2003年は打率.240、23本塁打、80打点を記録した。

2004年4月6日のサンディエゴ・パドレス戦、アントニオ・オスーナから本塁打を放ち、史上36人目の25歳以下での100号本塁打を達成し、年間で7度の複数本塁打、3本の満塁本塁打(ドジャースの球団タイ記録)、インターリーグ1位タイの7本塁打、8月だけで13本塁打を打ち月間MVPに選出され、打率.334、48本塁打、121打点を記録し、ドジャースの地区優勝に貢献した。ベルトレが記録した48本塁打は、三塁手としては1980年のマイク・シュミットに並ぶメジャータイ記録であった(2007年にアレックス・ロドリゲスによって更新された)。MVP投票ではバリー・ボンズに次ぐ2位であった。オフにFAとなった。

マリナーズ時代

シアトル・マリナーズ時代
(2007年4月15日)

2004年12月17日に5年契約総額6400万ドルでシアトル・マリナーズへ移籍[6]。デビュー以来、背番号はずっと「29」であったが、マリナーズ1年目だけはブレット・ブーンがその番号をつけていたため、この年だけ背番号「5」をつけた。

2005年は156試合で打率.255、19本塁打、87打点に留まり、チームも2年連続の最下位に終わった。

2006年はシーズン開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のドミニカ共和国代表に選出された[7]。同大会では、三塁手のベストナインに選出された。シーズンでは開幕時点では5番であったが、開幕から15試合連続で打点が、24試合連続で本塁打を記録できずに打撃不振に陥る[8]。同じくリッチー・セクソンも打撃不振に陥っていたため、3番・6番と渡り歩き、最終的に2番に落ち着いた。オールスター後の68試合で、18本塁打、54打点と完全復調。結局、シーズントータルでは、3年連続の156試合に出場し、打率.268、25本塁打、89打点と前年を上回る成績を記録した。走塁面でもドジャース在籍時の 2001年以来、5年ぶりの2桁盗塁となる11盗塁を記録した。この年、1試合(1イニング)だけ、メジャー昇格後初めて二塁手としてプレーしているが、打球処理はしていない。

2007年は5月に痛めた左手親指のじん帯が切れたまま出場を続けた[9]。5月28日のロサンゼルス・エンゼルス戦でヘクター・カラスコから通算200号本塁打を達成した。オフに初のゴールドグラブ賞を受賞[10]。打撃面では自己最多の41二塁打を記録し、打率.276、26本塁打、99打点はマリナーズ移籍後最高となった。

2008年も痛みを抱えたまま出場を続け、9月1日にはサイクル安打を記録し、球団史上初めて1試合5安打、5得点を達成[11]。9月14日の出場を最後にシーズンを終え、「痛みを抱えてキャンプを迎えるのはナンセンス」という声を聞き入れ、手術をすることになった[9]。

2009年はメジャーデビューを果たした1998年以来11年ぶりに規定打席到達を逃すなど、レギュラー定着後では自己最低のシーズンとなった。120安打、50打点、20四球を超えなかったのは、いずれも1998年以来の事であり、本塁打も8本に留まった。オフに、FAとなった。

レッドソックス時代

ボストン・レッドソックス時代
(2010年6月13日)

2009年オフにボストン・レッドソックスと900万ドルの1年契約を結んだ。契約が1年だったのは、代理人のスコット・ボラスが、マリナーズ最終年に残した成績が低レベルだったので、1年間どこかでプレーしてレベルの高い成績を残し、改めてFA市場で大型契約をゲットしようという目論見があったからである[12]。

2010年は打率.321、28本塁打、102打点(いずれも自身の中で2番目に高い数字)を記録した。特に打率はリーグ4位の成績で、その他の部門でも二塁打49本(リーグ1位)、OPS.919(リーグ5位)を記録し、多くの部門でリーグ上位に位置した。

レンジャーズ時代

2011年1月5日にテキサス・レンジャーズと5年総額8000万ドル(6年目は1600万ドルの球団オプション)という大型契約を結ぶ事が出来た[12]。シーズンでは開幕戦に「4番・三塁手」で先発出場。オールスターに選出され、「6番・三塁手」で先発出場した。9月11日のオークランド・アスレチックス戦、ジョシュ・アウトマンから通算300号本塁打を達成した。9月には月間MVPに選ばれた。オフに、3年ぶりとなるゴールドグラブ賞とこの年から創設されたプラチナ・ゴールド・グラブを受賞した。打撃面でも調子を維持し、7シーズンぶりとなる30本塁打以上(32本塁打)を放った。

2012年も引き続き三塁手のレギュラーとして出場。8月22日、1試合3本塁打を放ち、史上5人目となる、レギュラーシーズン・ポストシーズンの両方での1試合3本塁打を達成した。24日には、2回目のサイクル安打を記録。2008年に達成したサイクル安打と同じ球場(レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントン)で、前回はビジター(マリナーズ)、今回はホーム(レンジャーズ)の選手として達成した。同一球場においてホーム及びビジターの選手としてそれぞれサイクル安打を記録したのは、今回のベルトレがMLB史上初であった[13]。この2試合を含んだ8月20日から26日にかけて、7試合で30打数13安打(打率.433)、4本塁打、9打点を記録してプレイヤー・オブ・ザ・ウィークを受賞した。オフに、2年連続となるゴールドグラブ賞とプラチナ・ゴールド・グラブを受賞した。バッティング面では、打率.321を記録し、本塁打と打点はそれぞれ2年連続で30本塁打・100打点のラインをクリアして、大砲としてチームを牽引した。MVP投票ではミゲル・カブレラ、マイク・トラウトに次ぐ3位であった。

2013年、戦線離脱することなく自己ベストの161試合に出場し、打率.315、30本塁打、92打点を記録した。打率は2年連続3割以上、本塁打は3年連続30本以上、打点は4年連続90打点以上となった。199安打は、ア・リーグ1位だった。

2014年5月7日、レンジャーズ移籍後100号本塁打を放ち、史上5人目となる3球団それぞれでの100本塁打を達成した。9月18日、通算2591本目の安打を放ち、ブラディミール・ゲレーロを抜いて、ドミニカ共和国出身の選手としての通算最多安打記録を更新した。この年は148試合に出場し、打率.324(リーグ4位)を記録したが、19本塁打、77打点に終わった。

2015年は開幕直後から不振で、4月末まで打率1割台だった。5月15日の対クリーブランド・インディアンス戦では、ブルース・チェンから通算400号本塁打を達成したが、5月31日の試合で走塁の際に左手親指を負傷し、裂傷と捻挫と診断され故障者リストに入った。その後は復調し、8月3日に史上4人目となる3度目のサイクル安打を達成し、9月以降は32試合で打率.344、5本塁打、38打点とチームを牽引し、特に最終週については打率.448、2本塁打、13打点でプレイヤー・オブ・ザ・ウィークを受賞し、チームの地区優勝に貢献した。最終的には143試合に出場して規定打席に達した。打率.287、18本塁打、83打点を記録した。トロント・ブルージェイズとのディビジョンシリーズでは怪我を抱えながらも3試合に出場して打率.444と奮闘したがチームは敗退した。シーズンオフ、MVP投票では7位にランクインした[14]。

2016年4月15日に2年総額3600万ドルで契約を延長した[15]。シーズンではここ数年下降気味だった長打力が蘇り、自身3度目の「3割・30本塁打・100打点」をクリア。この年は通算1500打点を達成した。

2017年はシーズン開幕前の2月8日に第4回WBCのドミニカ共和国代表に選出され、3大会ぶり2度目の選出を果たした[16]。シーズンは故障の影響で開幕を故障者リストで迎えた。5月29日にシーズン初出場。7月7日のエンゼルス戦でリッキー・ノラスコから通算5000塁打を達成した[17]。7月30日のボルチモア・オリオールズ戦でウェイド・マイリーから左翼への二塁打を記録し、史上31人目の通算3000本安打を達成した[3]。11月17日にパソナリティー・オブ・ザ・イヤーを受賞した[18]。その後通算安打を3166本まで伸ばし、2018年シーズン終了後の11月20日、現役引退を表明した[19]。

引退後

ベルトレのレンジャーズ在籍時の背番号「29」。
テキサス・レンジャーズの永久欠番に2019年指定。

2019年1月26日に最後に所属したレンジャーズはベルトレの在籍時の背番号『29』を球団史上5人目となる永久欠番に指定することを発表[20]。同年6月8日に欠番表彰式が行われた。

2023年2月13日にベースボール・ユナイテッドの共同オーナーとして参入した[21]。6月5日にカラチ・モナークスのゼネラルマネージャーに就任したことが発表された[22]。

2024年1月24日に得票率95.1%で資格取得1年目にしてアメリカ野球殿堂入りを果たした[23]。2月2日に殿堂はレリーフにレンジャーズのロゴを入れることが発表された[24]。

選手としての特徴

打撃

2004年だけ成績が伸びた事についてステロイド剤(ドーピング)の助けを借りたものではないかという疑惑も浮上した。ベルトレ本人は「同年には既に薬物使用を取り締まる動きが加速していた」と主張し、当時のマリナーズの監督であるマイク・ハーグローヴも、ベルトレの薬物使用疑惑は否定した。

打席でハーフスイングをしたとき、ストライクになるかどうかを自ら一塁線審を指差しして確認を求める風変わりなクセを持つ。敵チームの捕手や球審よりも早く線審を指差すことも珍しくない。このクセについて、本人は「相手捕手への先制パンチなのさ。(捕手よりも早く)自分から積極的にチェックを求めれば、審判がつられて有利な判定をしてくれるはずなんだ」と語っている[25]。

守備

ポジションは主に三塁手だが、7試合だけ遊撃手としての出場経験があるほか、マイナーリーグでは二塁手、外野手としても出場した。かつては三塁手としての評価は低かったが、経験を積むにつれ守備が上達した。2007年、2008年と2年連続でゴールドグラブ賞を獲得。2007年の「ベースボールアメリカ」誌によるアリーグ選手部門別ランキングでは「守備の上手い三塁手」で2位、「肩の強い内野手」では1位の評価を受けた[26]。

人物

一見すると強面だが、気さくで面倒見がいい性格なので人望がある[27]。

チームメートのエルビス・アンドラスと見せる「怒り」のパフォーマンスが人気[28][27]。もちろん、本気で怒っているのではなく、ファンに見せるエンターテインメントである。ベルトレは頭を触られることを嫌う為、それを逆手に取ったアンドラスがベルトレの頭を触り、ベルトレが怒るようにしてアンドラスを追跡する、というのが恒例である[28][27]。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
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本
塁
打
塁

打
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点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
1998 LAD 772141951842907722231201403374.215.278.369.648
1999 15261453884148275152306718745611261054.275.352.428.780
2000 1385755107114830220242851253456228013.290.360.475.835
2001 126515475591262241319560134252815829.265.310.411.720
2002 159635587701512652125075751637449617.257.303.426.729
2003 1586085595013430223237802216374510313.240.290.424.714
2004 15665759810420032048376121720453928715.334.388.6291.017
2005 SEA 1566506036915436119249873104386510815.255.303.413.716
2006 156681620881663942528889115134741011815.268.328.465.792
2007 14963959587164412262879914204382210418.276.319.482.802
2008 1436125567414829125254778204501029011.266.327.457.784
2009 111477449541192708170441320219177419.265.304.379.683
2010 BOS 15464158984189492283261022107401058225.321.365.553.919
2011 TEX 1245254878214433032273105110825055313.296.331.561.892
2012 156654604951943323633910210093685828.321.359.561.921
2013 1616906318819932030321921002501277817.315.371.509.880
2014 1486145497917833119270771105571337415.324.388.492.879
2015 143619567831633241825783100841436518.287.334.453.788
2016 1536405838917531132304104110348666610.300.358.521.879
2017 9438934047106221171817110063924527.312.383.532.915
2018 119481433491182311518865100834269613.273.328.434.763
MLB:21年 293312130110681524316663638477530917071214214103848112971732279.286.339.480.819
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  • 各年度の太字はリーグ最高

WBCでの打撃成績

さらに見る 年 度, 代表 ...
年

度
代

表
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
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打
塁

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盗

塁
盗
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死
犠

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敬

遠
死

球
三

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併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
2006[29] ドミニカ共和国 623204600418910010230.300.391.900
2017[30] 41615110010100010040.067.125.067
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年度別守備成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...
年
度
球
団
三塁(3B)遊撃(SS)二塁(2B)
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
試

合
刺

殺
補

殺
失

策
併

殺
守
備
率
1998 LAD 74311301313.925211011.000-
1999 1521212742924.932--
2000 1381162732330.944110001.000-
2001 124992151618.952243001.000-
2002 1571202942018.954--
2003 1571123091933.95710000-----
2004 1551203221032.978101001.000-
2005 SEA 1551402711427.967--
2006 1551363231532.968-10000----
2007 1471212871824.958--
2008 1391002721427.964--
2009 1111032241419.959--
2010 BOS 1541382851931.957--
2011 TEX 112932081124.965--
2012 12995209823.974--
2013 146932321425.959--
2014 1361442061225.967--
2015 1421052671728.956--
2016 1411043011043.976--
2017 6550135513.974--
2018 70531451014.952--
MLB 275921945182311523.960765001.00010000----
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タイトル

表彰

記録

  • MLBオールスターゲーム選出:4回(2010年、2011年、2012年、2014年)
  • サイクル安打:3回(2008年9月1日、2012年8月24日、2015年8月3日)※3回達成は史上4人目
  • 異なる3球団でそれぞれ100本塁打:史上5人目
  • ドミニカ共和国出身選手としての最多記録
    • 通算出場試合:2933(2019年度シーズン終了時)
    • 通算安打:3166(2019年度シーズン終了時)

背番号

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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Timelines

Top Qs

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