サラエヴォ・トロリーバス
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サラエボ市内のトロリーバスはユーゴスラビア時代の1984年に開催された冬季オリンピックに合わせて計画や建設が進められたが、開通したのはオリンピック閉幕後の1984年11月となった経緯を持つ。当初はシュコダ製のトロリーバス車両によって運用が行われ、ミリャツカ川左岸に路線網が築かれた他、郊外都市のヴォゴシュチャ方面へも路線網が拡大した。1992年時点で営業キロは54 kmにも及び、連節式車両を含めた92両の車両が使用されていた。だが、同年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争によって、サラエヴォ市内の他の交通機関と共にトロリーバスは甚大な被害を受け、長期に渡る運休を余儀なくされ、車両は戦闘から人々を守るためのバリケードにも用いられた。終戦時点で、営業運転が可能な車両は32両のみであった[1][3]。
その後、1995年末に運行が再開したが一部区間は復旧されなかった他、ヴォゴシュチャ方面の系統についてもこの時点で再建されなかった。一方、車両については国外各都市からの譲受が行われ、輸送力の増強や老朽化した車両の置き換えが進められた。そして2020年代以降、ベラルーシやポーランドの車両メーカーが生産した新型ノンステップ車両の導入による近代化が実施されている他、長らく閉鎖されていたヴォゴシュチャ方面の系統についても2025年春季の運行再開へ向けた工事や試運転が行われている[1][3][4][5][6]。
- 紛争で甚大な被害を受けたトロリーバス(1996年撮影)