ジャチン
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ジャチン皇后は漢文史料上で全く言及されず、ペルシア語史料にのみ現れる[2]。ただし、漢文史料の『元史』后妃表では「二皇后」のように皇后の序列が記されるが、「四皇后」が欠落しており、『集史』で「4番目のハトゥン」として名の挙げられるジャジン皇后が「四皇后」ではないかとも考えられている[3]。
ジャチン皇后の来歴については全く記録がないが、ペルシア語史料の系譜集『五族譜』『高貴系譜』によってコンギラト部の出身と確認される[4]。
また、モンゴル帝国を訪れた南宋の使者が著した『黒韃事略』ではオゴデイの息子として闊端(コデン)、闊除(クチュ)、河西䚟(カシダイ)、合剌直(カラチャル)の四名が挙げられるが、この四名が帝位継承権を有する「太子」であったとみられる[5]。この内、前者は第一皇后〜第三皇后より生まれたことが判明しており、消去法からジャチン(=第四皇后)こそがカラチャルの生母と見る説がある[5]。
脚注
- ↑ 松田 1996, p. 24.
- ↑ 松田 1996, p. 33.
- ↑ Buyandelger 2024, p. 171.
- ↑ Buyandelger 2024, p. 174.
- 1 2 Buyandelger 2024, p. 177.