『元史』によると、バブカンは建国の功臣アルチ・ノヤンの孫オルチャル(Olučar>wòliúcháér/斡留察児)の娘であったという[2][3]。
イェスン・テムルが即位した泰定元年(1324年)3月、バブカンも皇后とされた。しかし、致和元年(1328年)にイェスン・テムルが崩御するとカアン位を巡って天暦の内乱が勃発し、最終的にイェスン・テムルの息子アリギバは敗れトク・テムルが即位した。トク・テムルはイェスン・テムルを正統なモンゴル帝国のカアンと認めなかったため、イェスン・テムルとバブカンは諡号を持たないままとなった。
イェスン・テムルの妃には同じくコンギラト部出身のビカン、スガダラらもいた[4][5][6]。