ストロガノワ男爵夫人と息子の肖像

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製作年1795-1801年
寸法90.5 cm × 73 cm (35.6 in × 29 in)
『ストロガノワ男爵夫人と息子の肖像』
ロシア語: Портрет баронессы А. С. Строгановой с сыном
英語: Portrait of Baroness Stroganova with Her Son
作者エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
製作年1795-1801年
素材キャンバス上に油彩
寸法90.5 cm × 73 cm (35.6 in × 29 in)
所蔵エルミタージュ美術館サンクトペテルブルク

ストロガノワ男爵夫人と息子の肖像』(ストロガノワだんしゃくふじんとむすこのしょうぞう、: Портрет баронессы А. С. Строгановой с сыном: Portrait of Baroness Stroganova with Her Son)は、18世紀から19世紀にかけてのフランスの女性画家エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランが1795-1801年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。1931年にアンティクヴァリアト (Antikvariat) 連合協会から移されて以来[1]サンクトペテルブルクエルミタージュ美術館に所蔵されている[1][2]

ヴィジェ=ルブランは、最初パステル画家であった父から絵画を習った。その後、風景画クロード・ジョセフ・ヴェルネの強い推薦もあり、パリの王立絵画彫刻アカデミーに入会を許された数少ない女性画家の1人となる。彼女は肖像画を得意としたが、肖像画は、社会的に女性にふさわしいとされていた[3]

まもなく影響力のあるパトロンたちの眼に留まったヴィジェ=ルブランの才能は、フランス、ロシアオーストリアイタリアの王室に知られるようになる。中でも、フランス王妃マリー・アントワネットは、彼女がお気に入りであった。700点ほどの肖像画を描いた彼女は当時、数少ない女性職業画家として自立した生活を送ることができた[3]が、その最も華やかな時期はフランス革命以前のアンシャン・レジーム (旧体制) 時代最後の時期である[4]

ヴィジェ=ルブランは1789年にフランス革命が起きると、王妃の肖像画家であったためにフランスから亡命せざるをえなくなった。そして、亡命中の12年間はヨーロッパの都市を転々としたが、行く先々で上流階級の女性の肖像画を手掛け、数々の優美な女性像を生み出した[5]

作品

ヴィジェ=ルブラン『ストロガノワ男爵夫人の肖像』 (1793年)、所在地不明

ヴィジェ=ルブランは、ウィーンでロシア領事のラズモフスキー伯爵を初めとする人々に出会い、ロシア訪問を勧められた[6]。1795年にロシアに到着した画家は、フランス風のサンクトペテルブルクのサロンに見事に馴染んだ。そして、自身の『回顧録』で述べているようにロシア皇室貴族たちに格別の待遇を受け、彼女の言葉によれば彼らの肖像画を48点描いた。しかし、実際にはもっと多くの肖像画を描いている[6]

ヴィジェ=ルブランは、貴族ストロガノフ男爵ロシア語版夫妻の肖像をウィーンとサンクトペテルブルクでそれぞれ一対ずつ制作している。本作は、サンクトペテルブルクで描かれた2作目のストロガノワ男爵夫人の肖像である[2]。愛らしい幼児と優しそうな母親が顔を寄せ合い、いかにも幸福そうな情景となっている。しかし、この肖像画は、甘い感傷に満ちた紋切り型の演出によっているという点で、ロココ肖像画と同じ範疇に属している[2]

脚注

参考文献

外部リンク

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