バッカンテとしてのレディ・ハミルトン

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製作年1792年ごろ
寸法132.5 cm × 105.5 cm (52.2 in × 41.5 in)
『バッカンテとしてのレディ・ハミルトン』
フランス語: Lady Hamilton en Bacchante
英語: Lady Hamilton as a Bacchante
作者エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
製作年1792年ごろ
素材キャンバス上に油彩
寸法132.5 cm × 105.5 cm (52.2 in × 41.5 in)
所蔵レディ・リーヴァー美術館リヴァプール

バッカンテとしてのレディ・ハミルトン』(: Lady Hamilton en Bacchante: Lady Hamilton as a Bacchante)は、18世紀から19世紀にかけてのフランスの女性画家エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランが1792年ごろ、キャンバス上に油彩で制作した肖像画である。イギリスのダンサーで女優でもあったエマ・ハミルトンを描いている[1][2]が、彼女はギリシア神話バッカンテとして表されている[1][3][4]。画家は生涯この作品を手放さず、部分的に変更を加えたことが明らかになっている[1]。作品は1925年に購入されて以来、リヴァプールレディ・リーヴァー美術館に所蔵されている[1]

フランス革命が起きると、ヴィジェ=ルブランはフランス王妃マリー・アントワネットの肖像画家であったため、フランスから亡命せざるをえなかった。彼女は画商であった夫と別れ、幼い娘を連れてヨーロッパの宮廷を回ることになったが、男性中心の社会で国際的に名を馳せた肖像画家として自己を確立した[1]

ヴィジェ=ルブラン『アリアドネとしてのレディ・ハミルトン』 (1790-1792年ごろ)、個人蔵

本作は、革命後に逃亡したイタリアでの滞在中にヴィジェ=ルブランが描いた4点のエマ・ハミルトンを表す肖像画のうちの1点である[1]。エマは、イギリスからナポリ王国に派遣されていた外交使節のウィリアム・ハミルトン卿英語版と1791年に結婚していたが、本作は1792年ごろに描かれたと考えられている。エマよりずっと年上であったハミルトン卿は、彼女の熱烈な称賛者であった[1]

この肖像画は、エマが踊るバッカンテを演じている姿を捉えている[1]。彼女は、こうした演技によりイギリスの芸術的社会的サークルでは有名になったが、同時に悪名も馳せた。彼女のポーズは、ハミルトン卿が所有してたギリシア、エトルリアの壺に描かれた人物像を真似たものである。ヴィジェ=ルブランは、エマの演技力と美しさで出世する、抜け目ない能力を称賛し、「彼女を覆いつくす美しい栗色の髪、そしてバッカンテとして髪を広げた彼女は称賛すべきであった」と表現している。一方で、ヴィジェ=ルブランは、エマの下品なファッション・センスと知性の欠如をからかい、その皮肉な性格を批判している[1]

脚注

参考文献

外部リンク

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