デモクリトス (ベラスケス)
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| フランス語: Démocrite 英語: Democritus | |
| 作者 | ディエゴ・ベラスケス |
|---|---|
| 製作年 | 1630年ごろ |
| 種類 | キャンバス上に油彩 |
| 寸法 | 101 cm × 81 cm (40 in × 32 in) |
| 所蔵 | ルーアン美術館、ルーアン |
『デモクリトス』(仏: Démocrite、英: Democritus)、または『地理学者(ちりがくしゃ、仏: Le Géographe、英: The Geographer)』は、バロック期のスペインの画家ディエゴ・ベラスケスが制作したキャンバス上の絵画である。1886年以来、フランスのルーアン美術館に所蔵されている[1]。美術史家たちは、この絵画はベラスケスがまだセビーリャ時代の様式を保持していた最初のマドリード時代の1630年ごろに制作されたという見解で一致している[2]。オルレアン美術館の『聖トマス』とともに、フランスに所蔵されているベラスケスのわずか2点の真作のうちの1点である[1]。

本作はナポリ副王ガスパール・メンデス・デ・アロの財産目録に記載され、1689年にクラウディオ・コエーリョとホセ・ヒメネス・ドノーソ(José Jiménez Donoso)により1,000レアルと見積もられた「笑っている、手に地球儀を持つ哲学者。ベラスケスの真作」と言及されている作品であると思われる。署名のない本作(ベラスケスはめったに署名しなかった)[3][4][note 1]は、1692年にカルピオ侯爵夫人の庭師ペドロ・ロドリゲス(Pedro Rodríguez)に滞っていた支払いの代償として与えられた。その後、ピタ・アンドラデ(Pita Andrade)により出版された文書で、再び「笑っている、地球儀を持つ哲学者の肖像、ベラスケスの真作」と記述されている[5]。

作品は18世紀末にルーアンにもたらされた。おそらくベラスケスの子孫の家族がフランスにおける法的権利を得たことに感謝してルーアン財務局に寄贈したものである。フランス革命時には没収され、サントゥアン修道院 に寄託された[6]。当時、作品は『地理学者』または『ニュートン』と呼ばれた[7]。収集家であり画家であったアニセ・シャルル・ガブリエル・ルモニエは革命中に没収された作品の目録を制作する担当者であったが、ルーアン美術館 (1809年に開館) に本来割り当てられることになっていた本作を横領するに至った。ルモニエは1797年に作品を購入したが、1822年に自身のコレクションを売却した際にルーアン美術館が本作を購入した。しかし、美術作品を回収する担当の役人が本作を自身のコレクションに加えてしまった。当時、本作はホセ・デ・リベーラに帰属され、クリストファー・コロンブスを描いたものと考えられていた。作品は、最終的に1886年になるまでルーアン美術館のコレクションに入らなかった[8]。
本作は言及する文書が発見される以前にすでにベラスケスに関連付けられており、人物をフェリペ4世の道化、すなわち『道化パブロ・デ・バリャドリード』 (プラド美術館、マドリード)と同定する試みがなされていた。彼は「犬の耳」と言われる髪型をし、同じような喜びに満ちた皮肉な表情をしているのである。1880年に、作品はルーアン美術館の学芸員ガストン・ル・ブルトンの卓見により決定的にベラスケスに帰属され、その帰属はベラスケス研究の第一人者アウレリアーノ・デ・ベルエーテにより確認された。彼は1898年にベラスケスの技法 (頬骨の形、目の横の皺、首の腱を表す可視的な筆致)[9]を認めたのである。美術史家ヴェルナー・ヴァイスバッハは1928年、地理学者が「笑う哲学者」デモクリトスであると主張した。デモクリトスを、彼が笑いの対象とする世界を表す地球儀とともに描くことは一般的であったからである[10]。なお、17世紀初めのスペイン、フランドル、イタリアにおいて、哲学者の主題は、自身の人文主義を示そうとした貴族の書斎や図書室を装飾するために非常に流行したものであった。哲学者の肖像は、とりわけホセ・デ・リベーラによって人気あるものとなった[1]。
模写または複製
本作の最初の状態を表す2点の模写または複製があり、それらは「味覚」の寓意と見られ、トレド美術館 (米国オハイオ州) とスウェーデンムーラ市に所蔵されている。複製は人物の類似したポーズにもとづいているが、地球儀は描かれておらず、手袋をした左手に複製であることを示すワイングラスを持っている。おそらくベラスケスの工房が1627 - 1628年に最初にこの笑う酒飲みを描いたものと思われ、その顔はおそらく『道化パブロ・デ・バリャドリード』から借用されている。次いで、ベラスケスは、フランドルの画家ルーベンスがフェリペ4世のマドリード近郊の狩猟休憩塔(トッレ・デ・ラ・パラーダ)用に『デモクリストス』 (プラド美術館)を仕上げたばかりの時期の1639-1640年ごろ、本作を改変した。赤外線調査によれば、実際に地球儀に置かれた手にペンティメンティ (描き直し)の跡が見られ、本来、上に向けられていた手は何かを持っていたのである。何かとはおそらく水晶のボールか花瓶で、それは、酒飲みが賢人に格上げされた時に描き加えられた地球儀の上にあった。かくして、地球儀と書物は、ルーアン美術館の本作に静物画の性質をもたらしている[11]。
作品
本作は、半身像よりやや大きめの人物を横顔で表している。顔は鑑賞者の方に向けられ微笑む一方、もう一方の手はテーブル上の地球儀を指差している。2冊の羊皮紙色の本もテーブル上にある。地理学者は黒いプールポワンを纏っている。それにはブルッヘの白い刺繍でできた大きな襞襟と、刺繍の一部が垣間見える、切込みの入った袖が付けられ、腕と肩の周囲には茶色のケープが掛かっている。絵画の制作には、2つの明瞭な技術が用いられている。衣服(とりわけケープ)と静物は硬い筆致で描かれている一方、人物の頭部と手は軽い筆致で扱われている。絵具は非常にゆるく溶かれており、研究者たちは『バッカスの勝利』(プラド美術館)との類似性から同時期の1628年ごろに制作されたものと見ている。ベラスケスの手になる補筆は1640年ごろになされ、より進化した技法で頭部と手を描きなおしたのであろう[12]。