ドーリア式神殿の廃墟
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| ロシア語: Развалины дорического храма 英語: Ruins of a Doric Temple | |
| 作者 | ユベール・ロベール |
|---|---|
| 製作年 | 1783年 |
| 素材 | キャンバス上に油彩 |
| 寸法 | 129 cm × 182.5 cm (51 in × 71.9 in) |
| 所蔵 | エルミタージュ美術館、サンクトペテルブルク |
『ドーリア式神殿の廃墟』(ドーリアしきしんでんのはいきょ、露: Развалины дорического храма、英: Ruins of a Doric Temple)は、18世紀後半のフランスの画家ユベール・ロベールが1783年に制作した風景画である。アレクサンデル・ミハイロヴィッチ・ゴリツィンのコレクションに由来し、1886年以降[1]、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館に所蔵されている[1][2]。
1754年から1765年までイタリアに滞在したユベール・ロベールは、広く各地を旅行し、古代遺跡、ルネサンスの大建築や邸宅、未開の風景をスケッチした。その間に彼は空想建築画の巨匠となり、卓越した能力で巨大装飾画を制作した[2]。18世紀は「崇高」と「ピクチャレスク」の概念に廃墟の美学が融合し、数々の幻想的絵画が生み出されたが、ロベールは時代の感性を表現しえたがゆえに絶大な人気を博したのである[3]。

1783年にロベールは、2点の優れた作品を同年のサロン・ド・パリに出品している。そのうちの1点が古代ローマに捧げられた『運河のある建築風景』 (エルミタージュ美術館) で、もう1点が古代ギリシアに捧げられた本作『ドーリア式神殿の廃墟』であった[2]。

本作は、サロンでは『アテナイに建てられた神殿廃墟』という題名を付けられていた。しかし、実際にアテナイ (アテネ) にあるどの神殿とも合致しない。とはいえ、ロベールがギリシアの神殿を模写した絵画と見なしていたことだけは、その題名から確認できる[2]。画中の人物たちはオリエンタルな衣装姿で慎重に細部まで描かれており、そのこともロベールの意図を裏づける。当時のギリシアはオスマントルコの支配下にあったのである[2]。
画中の神殿としては、パルテノン神殿が想起されるであろう。しかし、ロベールがイタリア滞在中にギリシア建築を描いた素描、たとえば1760年に制作したヘラ第2神殿 (パエストゥム)、あるいはコンコルディア神殿 (アグリジェント) (アグリジェント) の廃墟の素描がもとになっていると想定する方が理に適っている[2]。