ニール・ショーン

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ニール・ショーン
基本情報
出生名 Neal Joseph Schon
生誕 (1954-02-27) 1954年2月27日(72歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 オクラホマ州ティンカー空軍基地
ジャンル ハードロックインストゥルメンタル
職業 ギタリスト
担当楽器 ギター
活動期間 1971年 -
レーベル コロムビア・レコードハイアー・オクターヴ、Blues Bureau Int'l、Favored Nations
共同作業者 サンタナアステカジャーニーヤン・ハマー、HSAS、バッド・イングリッシュハードラインソウル・サーカス
公式サイト www.schonmusic.com

ニール・ショーン(Neal Schon、1954年2月27日 - )は、アメリカ合衆国ギタリストジャーニーの中心人物。

オクラホマ州オクラホマシティ近郊のティンカー空軍基地で生まれ、幼い頃に家族でカリフォルニア州サンフランシスコに移る[1]

10歳でギターを始め、ジミ・ヘンドリックスエリック・クラプトンらに影響を受ける。その後サンタナのセカンド・ギタリストに抜擢されて、17歳の時にプロ・デビュー作となる『サンタナIII』(1971年)が発表される。1972年にサンタナを脱退し、1973年ゴールデン・ゲイト・リズム・セクションを結成。その後、ニールと同時期にサンタナを脱退したグレッグ・ローリーが合流し、ジャーニーと改名して1975年にデビュー。

1980年代に入ると、ジャーニー以外での活動も増えていく。1980年代初頭にはヤン・ハマーとの連名で2枚のアルバムを発表。1984年にはサミー・ヘイガー、ケニー・アーロンソン、サンタナ時代の盟友マイケル・シュリーヴとのユニットHSASとして、アルバム『炎の饗宴』発表。1985年にはヘヴィメタル・ミュージシャンによるチャリティ・プロジェクト「ヒア・アンド・エイド」に参加。

Raised On Radio〜時を駆けて』(1986年)を最後にジャーニーが解散すると、元ベイビーズのジョン・ウェイトらと共にバッド・イングリッシュを結成し、1989年にデビュー・アルバム発表。同年には、初のソロ・アルバム『レイト・ナイト』も発表する。1991年にバッド・イングリッシュが解散すると、ジョニー・ジョエリが結成したハードラインに加入するが、ニールはデビュー・アルバム『ダブル・エクリプス』(1992年)に伴うツアーを最後に脱退。

1993年ポール・ロジャースのツアーに帯同し、7月4日のマイアミ公演ではジミ・ヘンドリックスのカヴァーを多数披露。その時の音源は、ポール・ロジャースのライブ・ミニ・アルバム『シングズ・ジミ・ヘンドリックス・ライヴ』(1993年)として発表された。そして、1995年にジャーニーを再結成させる。

ジャーニー再結成以後も、様々なサイド・プロジェクトに取り組む。1997年には、サンタナの元メンバーを中心としたプロジェクト、アブラクサス・プール名義でのアルバムを発表[2]2002年にはサミー・ヘイガーマイケル・アンソニーディーン・カストロノヴォとプラネット・USを結成するが、これは短命に終わり、作品もリリースされなかった。2005年には、ジェフ・スコット・ソートマルコ・メンドーサ、ディーン・カストロノヴォ(後にプラネット・エックスヴァージル・ドナティに交替)と結成したソウル・サーカス名義のアルバムを発表。ソロ活動も継続し、2001年インスト・アルバム『情熱の音色〜ヴォイス』(全曲カヴァーで、ロバータ・フラックやさしく歌って」やセリーヌ・ディオンマイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」などを含む)はグラミー賞ベスト・ポップ・インストゥルメンタル・アルバム部門にノミネートされた[3]

卓越したギター・テクニックが高く評価され、他アーティストの作品へのゲスト参加も多い。

使用機材

活動初期のギターはギブソン・レスポールフェンダー・ストラトキャスターがメインとなっていて、フロイド・ローズトレモロユニットを取り付ける改造が施されたギターをいくつか使用していた。以下に代表的な仕様ギターを挙げる。

  • Schon Guitars

1980年代中頃に自身の理想のギターを求めて開発に関与し、自身の名前を冠したブランドとして立ち上げたギター。ジャクソンが開発し、後にカナダのLarrivee(ラリヴィー)社が生産を引き継いだが、法的なトラブル等諸々の問題を抱えたため長く続けることができなかった[4][5]

  • ESP "Departure"

アルバム「Departure」のリリース時にESPによって製作されたギター。アルバムジャケットのスカラベをモチーフにし、更にネックが左右に伸びているというギターであったが、あくまでもアルバムのプロモーションを兼ねた形でニール・ショーンに贈られたものであることと、左右にネックがあることから使い勝手が悪く、ステージで使用されることはほとんどなかった。

  • ギブソン・ニール・ショーン・レスポール

2005年ギブソンと共同開発したニールのシグネイチャー・レスポール。ギブソン・カスタムショップによって限定生産された。オリジナルのギブソン・レスポールを基に、フロイド・ローズトレモロ・ユニット及びフェルナンデスのサスティナー、ブーストコントロールが搭載されている。ハイポジションの演奏性を向上させるヒールレスカットのほか、コントロールノブの位置が改められている[6]。本人が使用しているモデルにはRolandのGRギターシンセサイザーのドライバー(ピックアップ)が組み込まれている。

アルバム『フロンティアーズ』の頃に使用。RolandのGRギターシンセサイザーのコントロールやケーラーを搭載、さらにブーストコントロールやコイルタップスイッチなどによって、多彩な音色が得られるようになっていた。ギターシンセサイザーのコントロールを省いた仕様が数量限定で市販されている。

1970年代末からハンドメイドで製作していたギターを創設者であるポール・リード・スミスがニール・ショーンから買い戻した際に、交換条件として、カスタムメイドのギターを製作する部門である「Private Stock」が製作したCustom22及びCustom24がベースとなったギター。フロイド・ローズのトレモロユニット、フェルナンデス・サスティナー、Rolandのギターシンセサイザードライバーが組み込まれている。その後2011年に正式にポール・リード・スミスとエンドースメント契約を締結、2013年にニール・ショーンモデルとしてSinglecutをベースとしたホロウボディのNS-14、一回り大きなボディのNS-15を発表した。本人が使用しているギターにはフェルナンデス・サスティナーが組み込まれる改造が施されているが、市販されるモデルにはサスティナーは搭載されない[7][8]。NS-15は数量限定で「Private Stock」からも発売された。

現在はライブに於いてニール・ショーンモデルのポール・リード・スミスをメインに、フェンダー・カスタムショップ製ストラトキャスターを時折使用している。

アンプハイワット[9]マーシャル、Diesel Amplifierを経て、現在はBlackstar Amplifierを使用している。

逸話

  • サンタナ在籍時代、当時デレク・アンド・ドミノスに在籍していたエリック・クラプトンとジャム・セッションを行ったことがある。その折、「どこでギターを習ったのか」と尋ねてきたクラプトンに対して「すべてあなたから習いました」と答えたという[10]。また、彼の卓越した演奏を気に入ったクラプトンからバンドへの参加を要請されるが、彼はこれを断っている。本人は後に「憧れのギタリストから突然オファーを受けたものだから、あまりにも畏れ多くて、怖気づいてしまった」由の発言をしている。
  • THE ALFEE高見沢俊彦は、ニール・ショーン・モデルのレスポールを3本所有し、2006年リリースの「Innocent Love」のPV、2007年秋のツアータイトル曲の「天河の舟」のライブなどで、ゴールドトップのモデルを使用していた。また、「天河の舟」では近年でも同様のモデルが使用されることがある模様(サスティーン、及びアーミングを使用するため)。

ディスコグラフィ

脚注

外部リンク

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