ノーズアート

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アメリカ陸軍アメリカ陸軍航空軍)のB-17Gに描かれたノーズアート(「Texas Raiders」)。出撃マークも描かれている

ノーズアート英語:Nose Art)とは、航空機(主に軍用機)の機体に描かれたさまざまな絵画、機体の愛称などを指す。機体記号や所属部隊マークといった正式な規定・命令のものとは異なり、乗員や整備員が自発的に施すものである。 主に機首(ノーズ)に描かれることが多いが、胴体中央・後部や垂直尾翼など機首以外の場所に描かれる場合もあり、これらも含めて広義的にノーズアートと呼ばれる。イベントなどに際して施される特別塗装の場合と、常時描かれている場合とがある。本来、軍用機に派手なノーズアートを施すことは敵の視認性を高めることになるが、搭乗員の士気を鼓舞する目的でいわば黙認されていたということが実情である。

アメリカ軍

航空機にパーソナルマークを施した初期の例。イタリア空軍S.XIIIの前に立つフランチェスコ・バラッカ

いつ頃からこういったものが描かれるようになったかは定かではないが、第一次世界大戦の航空機にも絵や文字装飾などが描かれた機体が多数存在した。当時は貴族出身のパイロットも少なくなく、そうした装飾は中世近世紋章甲冑のように、その個人的ステータスや所属部隊を示す記号として使用された。代表的なものとして、乗機のフォッカーDr.Iを真紅に塗ったレッド・バロンこと、マンフレート・フォン・リヒトホーフェンが存在した。当時は、陣営にこだわらずヨーロッパ各国の機体でそのような観点に基づくノーズアートが見られた。

世界大戦が終結すると、そうした派手な装飾は軍隊からほとんど姿を消した。ソビエト連邦は例外で、多くの機体に共産党スローガンプロパガンダを書き込んだ。また、設計者や設計局の名称、部隊名称を飾り文字で書いたものも多く見られた。ただし、戦間期のソ連では紋章などを除いて絵画調のノーズアートは見られなかった。

第二次世界大戦におけるアメリカ陸軍では、派手で多種多様なノーズアートが生み出された。1機につき1人の乗員(または1組のクルー)という運用体制が確立しており、新しい機体が就役してクルーが着任すると整備兵に100ドル払って描いてもらうという習慣もあった。 アートの種類としては、女性ヌードピンナップガール)、機首をサメに見立てて口や牙・目を書き込む「シャークマウス」(シャークティース)、ディズニーや当時人気の漫画カートゥーン)・アニメキャラクター、ウサギ・ワシ・イヌといった動物、死神のような想像上の存在、機体愛称にちなんだ独自のものなど、それこそ多種多様である。敵国への嘲笑や差別を含んだ内容のものもあり(「ストレートフラッシュ」など)、朝鮮戦争では敵機がを描いていたのを真似て自機にドラゴンを描いた例もある。 女性の入隊の増加やフェミニズム運動の発展に伴い、ヌードといった過激なものについては女性団体や宗教団体などから激しい批判を浴びるようになった。そのため、ノーズアートを消すか、もしくは露出を抑えた無難な絵に描き直すよう全軍に命令が下ったこともある。

アメリカ海軍は陸軍と対照的に派手なノーズアートが許容されない風土が支配的であった。軽空母「プリンストン」所属の第27戦闘飛行隊(VF-27)では例外的に猫の顔を模したマーキング(キャットマウスと呼ばれることもある)をF6F戦闘機すべてに施していたが、レイテ沖海戦での母艦喪失でこの文化は終わった。他艦に収容されて難を逃れた機体についても、ノーズアートに不快感を示したフレデリック・C・シャーマン少将の命令により、即刻塗りつぶされる羽目になった[1][2]。しかし大戦が終わりジェット機の時代になると、機首のシャークマウスや尾翼の部隊マークといった派手な塗装を施す海軍機も多くみられるようになる。

日本軍

胴体側面に部隊マークとして大きく「電光(稲妻)」の絵を、また尾翼に操縦者(第2中隊小谷川親陸軍曹長)考案の搭乗機愛称として「孝」の文字を描いた、飛行第50戦隊一式戦「隼」
胴体後部および尾翼に大きく「折鶴」を意匠化した絵を描いた飛行第54戦隊の一式戦「隼」(再生機)

第二次世界大戦中の日本は米軍の機体のノーズアートを、戦意のなさや不真面目さの表れとみなしていた。しかし帝国陸軍の航空部隊(陸軍航空部隊)においては、飛行戦隊独立飛行中隊といった各飛行部隊、航空機を有する各官衙・飛行学校で独自考案の部隊マークを機体に描いており、中には派手で個性的な意匠も多かった。これらもノーズアートに相当するものといえる。

部隊マークの多くは隊号(部隊の数字)を個性的に図案化したもののほか、稲妻・電光矢印、帯・ストライプを描いたものが多かったが、中には動物を描いた部隊もあり、独立飛行第18中隊は装備の九七司偵一〇〇式司偵「新司偵」の尾翼に「写実的な天駆ける[3]独立飛行第17中隊は一〇〇式司偵「新司偵」の尾翼に「片翼を広げた八咫烏」、独立飛行第101中隊は九七司偵の尾翼に「飛翔する」、一時期の飛行第64戦隊九七戦の胴体に「」の絵を描いていた。マークの意匠は多種多様であり、一例として地名の「明」野伊勢市)と伊勢神宮の「八咫鏡」を意匠化した明野陸軍飛行学校や、「折鶴」を意匠化したものを大きく描いた飛行第54戦隊など特に風雅なものがある。

陸軍特別攻撃隊においても部隊マークの伝統は変わらず、一例として第58振武隊は四式戦「疾風」の尾翼に「髑髏(ドクロ)」を、富嶽隊(富嶽飛行隊)は「富士山(富嶽)」と「稲妻」を図案化したものを、勤皇隊(勤皇飛行隊)は「翼の生えた爆弾」を描いている。さらに二式複戦「屠龍」を装備する飛行第53戦隊内の震天隊(特別編成の空対空特攻隊)は、(第53戦隊の部隊マークとは別に)胴体側面に「鏑矢」の絵を、三式戦「飛燕」装備の飛行第244戦隊内の震天隊は垂直尾翼を赤色に塗装・描画することで特攻隊の意気込みを強調していた。さらに特攻隊員の場合、生前より「神鷲の若鷲」と謳われ任務の特殊性ゆえに待遇も良く、「戦地気分」と称される少々の素行の悪さも黙認されまた防空戦に従事している実戦部隊と異なり日常に余裕もあることから、特に第57、第182、第185、第186振武隊の四式戦「疾風」を筆頭に、極めて派手な部隊マークやパーソナルマークを描いた者も一定数存在している。

狭義のノーズアートとしては、飛行第59戦隊エース・パイロットである広畑富男陸軍准尉が、ニューギニア航空戦従軍当時に愛機の一式戦「隼」胴体側面中央寄りに「飛翔する鳥」を描いており、飛行第50戦隊では部隊マーク(「電光(稲妻)」)とは別に各操縦者が考案した愛称を搭乗機に記入していた(穴吹智陸軍曹長)の「吹雪」や「君風」など)。

このほか、太平洋戦争緒戦の蘭印作戦にて帝国陸軍がジャワ島鹵獲したアメリカ陸軍航空軍B-17E爆撃機の機首に、当時陸軍軍属の報道班員として現地に従軍中であった漫画家横山隆一が自身の漫画キャラクター『フクチャン』の絵(日章旗を担いで爆弾に片足立ち)を描き好評を博したエピソードがある。

なお、海軍航空部隊ではごくわずかな例外を除き、陸軍航空部隊の部隊マークに相当するような自由で瀟洒な文化は存在しなかった。

その他の国々

アメリカ陸軍のような派手なものはないが、シャークマウスやキャラクターの描かれた機体が多く確認されている。

6.5機のシリア軍機の撃墜とイラクの原子炉を破壊したことを示すF-16のマーク(イスラエル航空宇宙軍所属)

撃墜マークおよび出撃マーク

戦闘機パイロットは自身の撃墜数を誇示するため、撃墜した相手の国籍マークを機首の横に並べるキルマークビクトリーマーキング英語版、撃墜マーク)という習慣があり、ノーズアートがほぼ姿を消した現代でも続けられている。 出撃回数を爆弾等の数で表す出撃マークも、特に爆撃機では多く見られる。

現代のノーズアート事情

脚注

関連項目

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