ノーズアート
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ノーズアート(英語:Nose Art)とは、航空機(主に軍用機)の機体に描かれたさまざまな絵画、機体の愛称などを指す。機体記号や所属部隊マークといった正式な規定・命令のものとは異なり、乗員や整備員が自発的に施すものである。 主に機首(ノーズ)に描かれることが多いが、胴体中央・後部や垂直尾翼など機首以外の場所に描かれる場合もあり、これらも含めて広義的にノーズアートと呼ばれる。イベントなどに際して施される特別塗装の場合と、常時描かれている場合とがある。本来、軍用機に派手なノーズアートを施すことは敵の視認性を高めることになるが、搭乗員の士気を鼓舞する目的でいわば黙認されていたということが実情である。
アメリカ軍

いつ頃からこういったものが描かれるようになったかは定かではないが、第一次世界大戦の航空機にも絵や文字装飾などが描かれた機体が多数存在した。当時は貴族出身のパイロットも少なくなく、そうした装飾は中世・近世の幟や紋章、甲冑のように、その個人的ステータスや所属部隊を示す記号として使用された。代表的なものとして、乗機のフォッカーDr.Iを真紅に塗ったレッド・バロンこと、マンフレート・フォン・リヒトホーフェンが存在した。当時は、陣営にこだわらずヨーロッパ各国の機体でそのような観点に基づくノーズアートが見られた。
世界大戦が終結すると、そうした派手な装飾は軍隊からほとんど姿を消した。ソビエト連邦は例外で、多くの機体に共産党のスローガンやプロパガンダを書き込んだ。また、設計者や設計局の名称、部隊名称を飾り文字で書いたものも多く見られた。ただし、戦間期のソ連では紋章などを除いて絵画調のノーズアートは見られなかった。
第二次世界大戦におけるアメリカ陸軍では、派手で多種多様なノーズアートが生み出された。1機につき1人の乗員(または1組のクルー)という運用体制が確立しており、新しい機体が就役してクルーが着任すると整備兵に100ドル払って描いてもらうという習慣もあった。 アートの種類としては、女性のヌード(ピンナップガール)、機首をサメに見立てて口や牙・目を書き込む「シャークマウス」(シャークティース)、ディズニーや当時人気の漫画(カートゥーン)・アニメのキャラクター、ウサギ・ワシ・イヌといった動物、死神のような想像上の存在、機体愛称にちなんだ独自のものなど、それこそ多種多様である。敵国への嘲笑や差別を含んだ内容のものもあり(「ストレートフラッシュ」など)、朝鮮戦争では敵機が竜を描いていたのを真似て自機にドラゴンを描いた例もある。 女性の入隊の増加やフェミニズム運動の発展に伴い、ヌードといった過激なものについては女性団体や宗教団体などから激しい批判を浴びるようになった。そのため、ノーズアートを消すか、もしくは露出を抑えた無難な絵に描き直すよう全軍に命令が下ったこともある。
アメリカ海軍は陸軍と対照的に派手なノーズアートが許容されない風土が支配的であった。軽空母「プリンストン」所属の第27戦闘飛行隊(VF-27)では例外的に猫の顔を模したマーキング(キャットマウスと呼ばれることもある)をF6F戦闘機すべてに施していたが、レイテ沖海戦での母艦喪失でこの文化は終わった。他艦に収容されて難を逃れた機体についても、ノーズアートに不快感を示したフレデリック・C・シャーマン少将の命令により、即刻塗りつぶされる羽目になった[1][2]。しかし大戦が終わりジェット機の時代になると、機首のシャークマウスや尾翼の部隊マークといった派手な塗装を施す海軍機も多くみられるようになる。
- フライング・タイガース所属のP-40戦闘機
- VFー27所属のF6F戦闘機
- ヌードとドラゴンの描かれたB-24爆撃機
- B-29「ストレートフラッシュ」
- ドラゴンの描かれたF-86戦闘機
日本軍


第二次世界大戦中の日本は米軍の機体のノーズアートを、戦意のなさや不真面目さの表れとみなしていた。しかし帝国陸軍の航空部隊(陸軍航空部隊)においては、飛行戦隊や独立飛行中隊といった各飛行部隊、航空機を有する各官衙・飛行学校で独自考案の部隊マークを機体に描いており、中には派手で個性的な意匠も多かった。これらもノーズアートに相当するものといえる。
部隊マークの多くは隊号(部隊の数字)を個性的に図案化したもののほか、稲妻・電光、矢印、帯・ストライプを描いたものが多かったが、中には動物を描いた部隊もあり、独立飛行第18中隊は装備の九七司偵・一〇〇式司偵「新司偵」の尾翼に「写実的な天駆ける虎」[3]、独立飛行第17中隊は一〇〇式司偵「新司偵」の尾翼に「片翼を広げた八咫烏」、独立飛行第101中隊は九七司偵の尾翼に「飛翔する燕」、一時期の飛行第64戦隊は九七戦の胴体に「赤鷲」の絵を描いていた。マークの意匠は多種多様であり、一例として地名の「明」野(伊勢市)と伊勢神宮の「八咫鏡」を意匠化した明野陸軍飛行学校や、「折鶴」を意匠化したものを大きく描いた飛行第54戦隊など特に風雅なものがある。
陸軍特別攻撃隊においても部隊マークの伝統は変わらず、一例として第58振武隊は四式戦「疾風」の尾翼に「髑髏(ドクロ)」を、富嶽隊(富嶽飛行隊)は「富士山(富嶽)」と「稲妻」を図案化したものを、勤皇隊(勤皇飛行隊)は「翼の生えた爆弾」を描いている。さらに二式複戦「屠龍」を装備する飛行第53戦隊内の震天隊(特別編成の空対空特攻隊)は、(第53戦隊の部隊マークとは別に)胴体側面に「鏑矢」の絵を、三式戦「飛燕」装備の飛行第244戦隊内の震天隊は垂直尾翼を赤色に塗装・描画することで特攻隊の意気込みを強調していた。さらに特攻隊員の場合、生前より「神鷲の若鷲」と謳われ任務の特殊性ゆえに待遇も良く、「戦地気分」と称される少々の素行の悪さも黙認されまた防空戦に従事している実戦部隊と異なり日常に余裕もあることから、特に第57、第182、第185、第186振武隊の四式戦「疾風」を筆頭に、極めて派手な部隊マークやパーソナルマークを描いた者も一定数存在している。
狭義のノーズアートとしては、飛行第59戦隊のエース・パイロットである広畑富男陸軍准尉が、ニューギニア航空戦従軍当時に愛機の一式戦「隼」胴体側面中央寄りに「飛翔する鳥」を描いており、飛行第50戦隊では部隊マーク(「電光(稲妻)」)とは別に各操縦者が考案した愛称を搭乗機に記入していた(穴吹智陸軍曹長)の「吹雪」や「君風」など)。
このほか、太平洋戦争緒戦の蘭印作戦にて帝国陸軍がジャワ島で鹵獲したアメリカ陸軍航空軍のB-17E爆撃機の機首に、当時陸軍軍属の報道班員として現地に従軍中であった漫画家横山隆一が自身の漫画キャラクター『フクチャン』の絵(日章旗を担いで爆弾に片足立ち)を描き好評を博したエピソードがある。
- 操縦席下部に赤鷲を描いた飛行第64戦隊の九七戦
- 胴体側面に大きく電光を描いた飛行第59戦隊の九七戦
- 隊号「81」を図案化したものを尾翼に描いた飛行第81戦隊の一〇〇式司偵「新司偵」
- 機体側面に大きく鏑矢を描いた飛行第53戦隊震天隊の二式複戦「屠龍」
- 鹵獲B-17Eの機首に『フクチャン』を描く横山隆一
なお、海軍航空部隊ではごくわずかな例外を除き、陸軍航空部隊の部隊マークに相当するような自由で瀟洒な文化は存在しなかった。
その他の国々
アメリカ陸軍のような派手なものはないが、シャークマウスやキャラクターの描かれた機体が多く確認されている。
- 動物の口を描いたLa-5戦闘機

撃墜マークおよび出撃マーク
戦闘機パイロットは自身の撃墜数を誇示するため、撃墜した相手の国籍マークを機首の横に並べるキルマーク(ビクトリーマーキング、撃墜マーク)という習慣があり、ノーズアートがほぼ姿を消した現代でも続けられている。 出撃回数を爆弾等の数で表す出撃マークも、特に爆撃機では多く見られる。
