プテロドン
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| 地質時代 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 新生代古第三紀始新世後期 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 分類 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 学名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| Pterodon Blainville, 1839 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| タイプ種 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| Pterodon dasyuroides Blainville, 1839 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 再評価保留の種 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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プテロドン(学名:Pterodon)は、古第三紀のヨーロッパに生息していた、ヒエノドン目に属する絶滅した肉食性の哺乳類の属[1]。アフリカ大陸から発見された化石もかつて本属に分類されていたが、バステトドンのような別属に再分類されている[1]。
初期の歴史

1838年にフランスの動物学者アンリ・ブランヴィルは過去数十年間に構築された古生物の歴史と分類をレビューし、化石動物の親和性の決定における歯列の重要性を認識したものの、分類学的親和性を自動的に示唆するものとして歯に依存していることを批判した。ブランヴィルはヨーロッパから報告されたオポッサム科の化石を調査していた。ブランヴィルは歯列に基づいてヒエノドン属が有効な属であることを認めつつ、またその大臼歯が現生の食肉目のものに類似することから、ヒエノドンがオポッサム科に属するという見解を否定した[2]。
ブランヴィルはニューホランド(現在のオーストラリア)から故ジョルジュ・キュヴィエが発見した、タスマニアデビルに近縁とされていた上顎の化石に言及した。キュビエは1828年にフランスの科学アカデミーにこの化石を提示してフクロオオカミの大型種のものと考えていたが、正式な記載を行う前に死亡していた。ブランヴィルによるヒエノドンの記事は1838年に執筆・出版され、上顎の写真や注釈を追加した版が1839年に再出版された。当該の論文中でブランヴィルはパリ盆地から産出した化石を再度研究して当該の化石が有胎盤類の捕食動物のものであることを確信し、Pterodon dasyuroidesを命名した[2][3]。属名は古代ギリシア語で「翼」を意味する"pterón" と「歯」を意味する"odoús"に由来し、「翼の歯」を意味する[4]。タイプ種の種小名はオーストラリアの有袋類の属であるフクロネコ属(Dasyurus)の属名と「のような」を意味するギリシア語の接尾辞"-oides"からなる[5][6]。
1841年から1842年にかけてブランヴィルはプテロドン属に言及したが、以前の種名をP. parisiensisに置換した。またブランヴィルはプテロドン属とフクロネコ属との近縁性を否定したにもかかわらず、どの哺乳類のグループに最も近縁であるか証明する十分な頭骨を有していないとした[7]。本種の種小名は最初に化石が発見されたパリに由来する[5]。
分類に関する論争

プテロドンとヒエノドンの分類学的位置は19世紀の大部分にわたって数多くの古生物学者によって議論されてきた。Pomel (1846)はプテロドンの歯列がフクロオオカミのものに類似する一方で頭骨形態がフクロオオカミやその他の有袋類と類似しないことを指摘し、オポッサム科の分岐群に属するか不確かであると主張した。しかし、Pomelはプテロドンの頭骨形態に基づき、本属が有胎盤類により近縁であるという見解も否定した。さらにPomelはTaxotheriumとヒエノドンとが同種でなかったとしても実質的に同属であるとし、2属をプテロドンのシノニムとした。Pomelはプテロドン属内に4種を定義した。P. parisiensis、P. cuvieri(ブランヴィルによりT. parisienseとされたTaxotheriumのため新設)、P. leptorhynchus(Lazier and Parieuによるヒエノドンのため新設)、P. brachyrhynchus(ブランヴィルによりかつてヒエノドンと命名)の4種である[8][9][5]。
1846年にポール・ジェルベーは、自身とMarcel de Serresに地方の化石哺乳類標本の研究許可を与えたフランスの博物学者Esprit Requienへの献名として新種P. requieniを命名した[10]。しかし、1848年から1852年にジェルベーは本種をHyaenodon requieniに再分類し、P. dasyuroidesをプテロドン属の唯一の種とした[11]。
1853年にPomelはヒエノドン属の有効性を認識して立場を変え、かつてヒエノドン属に分類されていた種(H. leptorhynchusとH. brachyrhynchus)を再びヒエノドン属に配置し、もはやプテロドン属に属さないとした。またPomelはTaxotheriumをプテロドン属でないヒエノドン属のジュニアシノニムとした。Pomelはプテロドン属内にP. parisiensisでなくP. dasyuroidesを認め、歯列の形状と大きさに基づいてP. cuvieriとP. coquandiを新設した[12]。
ヨーロッパのヒエノドン類の再評価
Gervais (1873)はプテロドンとヒエノドンの両方との類似性を持つ歯列に基づいて新種P. exiguumを設立したが、化石が増えれば新たな属をなす可能性があるとも指摘した[13]。その後Gervais (1876)は本種の分類を訂正し、H. exiguumとしてプテロドン属でなくヒエノドン属に属するとした[14]。
Filhol (1876)はこれまでプテロドン属として設立された全ての種のうちP. dasyuroidesのみを認め、フランスのロット県Escampsに分布するリン酸塩堆積物から産出した化石に基づき新種P. biincisivusを命名した[15]。加えて後にFilhol (1882)は2種の分類学的有効性を確認し、第3の種であるP. quercyiを命名した。またFilholは歯骨に基づいてオキシエナ属の新種Oxyaena galliæを命名し、またPradinesという姓の人物によりLimogne-en-Quercyのリン酸塩堆積物からP. dasyuroidesの頭骨の前部が発見された旨も報告した[16]。
イングランドの博物学者リチャード・ライデッカーは1884年に既知の広獣類を再評価し、これらを食肉目に分類した上で、広獣類を構成する属種をBunotheria目の肉歯亜目に分類するというエドワード・ドリンカー・コープの見解を否定した。コープは元々ヒエノドンをヒエノドン科の唯一の属とし、プテロドンとオキシエナをオキシエナ科に分類していた。ライデッカーはプテロドンがヒエノドンに近縁であると考え、両者をヒエノドン科に分類した。ライデッカーはP. brachyhynchus、P. requieni、H. requieniをH. brachyhynchusのジュニアシノニムとし、P. leptorhynchusをH. leptorhynchus、H. exiguusとP. exiguusをH. vulpinusのジュニアシノニムとした。ライデッカーはP. dasyuroidesをプテロドン属の主要な有効な属として挙げ、P. parisiensisを明らかなジュニアシノニムとし、P. cuvieriとP. coquandiについてもシノニムの可能性があるとした。ただし、’’P. biincisivusは無効とはされなかった。またOxyæna galliæは歯列がP. biincisivusのものと類似しており差異も顕著でないことからプテロドン属に統合できる可能性があると考えられた[17]。
スイスの古生物学者Ludwig Rütimeyerは典型的なプテロドン属の種と比較してより大型な歯列に基づき、1891年に新種P. magnusを命名した[18]。しかし1906年にドイツの科学者Rudolf MartinはP. magnumとP. quercyiをP. dasyuroidesのジュニアシノニムとすることを提唱した。またMartin (1906)はP. biincisivusを’'P. dasyuroidesのシノニムとし、プテロドン属の有効な種が’'P. dasyuroidesの1種だけであると主張した。加えてMartin (1906)はO. galliæを有効な種としたものの、新属Paroxyaenaを設立し、オキシエナ科の化石記録がヨーロッパにおいて北アメリカ大陸よりも乏しいことを指摘し、’’Paroxyaena’’とオキシエナ科との類似性が収斂進化に起因する可能性があるとした[19]。
Lange-Badré (1979)はヨーロッパから産出したプテロドン属を含む既知のヒエノドン類の体系的な再評価を行い、P. parisiensis、P. cuvieri、P. coquandi、P. biincisivus、P. quercyiをP. dasyuroidesのジュニアシノニムとし、ヨーロッパ産の本属の種を1種にまとめた。加えてLange-Badré (1979)はP. magnumをParoxyaena galliaeのシノニムとし、Hyaenodon exiguusがH. vulpinusに対して先取権があるとした。これによりH. vulpinusとP. exiguumはH. exiguusのジュニアシノニムとなった[5]。
ゴミ箱分類群としての歴史
その歴史の大部分においてプテロドンは、歯に関して固有の特徴や高度な特徴を持たない頭部が保存された古第三紀後期から始新世にかけてのヒエノドンのゴミ箱分類群であった[20]。プテロドンに分類された種の多くはアフリカあるいはアジアに起源を持った[5]。20世紀に本属へ分類された種には、Apterodon macrognathus[21]、Akhnatenavus leptognathus[21][22]、"Hyainailouros" bugtiensis[23]、Orienspterodon dahkoensis[24]、Neoparapterodon rechetoviなどがある[25]。またかつてプテロドン属に分類された種のいくつかはヒエノドン属の種のシノニムであると考えられており、"P. exploratus"はH. incertusの[26]、"P. californicus"はH. vetusの[27]、"P. mongoliensis"はH. mongoliensisのシノニムとされている[24]。また"Pterodon nyanzae"と"Hyainailouros nyanzae"はともにHyainailouros napakensisのシノニムとされた[28][29]。加えて、Savage (1965)はヘミプサロドン属をプテロドン属のシノニムとし[30]、Van Valen (1967)はメタプテロドンを本属のシノニムとしたが[31]、これらの見解は後続研究において支持されていない[27][28]。
2025年には、かつてプテロドン属に分類されていたP. africanus、P. phiomensis、P. syrtosの3種が新属に再分類された。Al-Ashqar et al. (2025)はセクメトプス属を新設して前者2種を含め、またバステトドン属を新設して後者1種を含めた[32][33]。別属に再分類されておらず評価を保留されている種はアジア産のP. hyaenoidesのみである[24][34]。
Lavrov (1999)は新設した"Epipterodon"属に言及し、"Pterodon" hyaenoidesが当該の属に再分類されるであろうと主張した。しかし、当該の属名は査読済みの情報源で分類学的に有効なものとして提唱されておらず、現時点で無効名である[35]。
分類
プテロドン属は20世紀後半において少なくともヒエノドン類の分岐群に属するものとして歴史的に異論無く扱われており、その後ヒアイナイロウロス亜科に内包された[5][24]。しかし、Solé et al. (2015)がヒアイナイロウロス亜科とアプテロドン亜科をヒアイナイロウロス科の下に分岐群として統合したため、プテロドン属はヒエノドン科から分類学的に区別されるようになった。またSolé et al. (2015)はヒアイナイロウロス族とParoxyaeniniの2つの族を提案したが、学術文献においていまだこれらの族名の利用は一般的でない[36]。Borths et al. (2016)はヒアイナイロウロス科がテラトドン亜科(Teratodontinae)と近縁であることを提唱し、ヒアイナイロウロス上科がプロヴィヴェラ亜科とヒエノドン科および北アメリカのヒエノドン類のグループを内包するように変更した[22]。ヒアイナイロウロス科は学術文献において受け入れられているが、ヒアイナイロウロス亜科の分類階級に就いては異なる見解もある[28][34]。
無効となった分岐群である食肉目に取って代わったヒエノドン目は古くは中期暁新世のアフリカ大陸から知られる分類群であり、アフリカ大陸外への複数回の拡散イベントでヨーロッパやアジアへ分布を拡大した[22]。ヒアイナイロウロス上科の真の起源は曖昧であるが、ベイズ法による樹形から、ヒアイナイロウロス亜科・アプテロドン亜科・テラトドン亜科の全てがアフロアラビア(アフリカ大陸+アラビア半島周辺地域)に起源を持ったことが示唆されている[22]。ヒエノドン目はMammal Paleogene zonesにおけるMP7(始新世前期)においてヨーロッパに初めて姿を現しており、当時はもっぱらプロヴィヴェラ亜科が優占していた。MP8からMP10にかけての時期にはヴィヴェラヴス科・オキシエナ科・シノパ亜科・メソニクス科などの分類群が絶滅しており、結果として固有のヒエノドン類と食肉形類のみがヨーロッパの始新世の大部分における肉食哺乳類グループとなった。ヒエノドン目はヨーロッパの大部分において食肉形類よりも放散しており、M16でヒアイナイロウロス亜科が出現し、MP17aでヒエノドン亜科が出現したように、多様性が増大した。ヒアイナイロウロス亜科はアフリカから、ヒエノドン亜科はアジアから拡散した可能性が高い[37]。体重20キログラムを超過しなかったプロヴィヴェラ亜科と比較すると、ヒアイナイロウロス亜科は遥かに大型であった[36]。
P. dasyuroides以外の種を含むPterodon sensu latoは多系統群である[38]。これはP. dasyuroidesが本属に分類された非ヨーロッパ産の種と自然な分岐群を形成しないためである[34][39]。Pterodon sensu strictoはMP18(始新世後期)においてP. dasyuroidesの形で西ヨーロッパに出現し、MP20まで命脈を保った[40]。P. dasyuroidesはアフリカからヒアイナイロウロス亜科を分散させたゴーストリネージの一部である可能性が高く、Kerberos langebadreaeはプテロドン属やパラプテロドンと直接の祖先-子孫関係を持たないと見られる[36]。
Solé et al. (2021)によるヒエノドン目内におけるヒアイナイロウロス上科の系統樹の概要を以下に示す[41]。
| ヒアイナイロウロス上科 |
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特徴
頭骨

ヒエノドン目は長く狭い頭骨を持ち、頭蓋底が狭く、後頭骨が背腹に高くかつ左右に狭く、左右の眼窩の間の領域が横方向に狭窄されている。ヒアイナイロウロス科は頭骨が比較的頑強であること、頭頂骨と前頭骨との間の縫合線を欠くこと、後眼窩突起が発達しないこと、翼状骨が下側と側方に拡大していること、preglenoid crestを持つこと、鱗状骨が頬骨弓の後部に対して側方に拡大していること、といった形質状態を共有する[36]。
フランスの国立自然史博物館に所蔵されたP. dasyuroidesの標本Qu8301は、Lange-Badré (1979)によりプロヴィヴェラ亜科の属種と同様のプロポーションを持つものとして記載されたものであり、頭蓋円蓋部の上行を欠いているためその最大の高さは最大長の三分の一にかろうじて達する程度である。鼻口部は狭い円筒形で、犬歯の歯根付近から辛うじて突出する。頭骨は狭く砂時計型である[5]。既知の頭骨の採寸値は長さ26センチメートルであり[42]、Kerberosと同様に吻部と脳頭蓋が長く伸びている。始新世のヒアイナイロウロス亜科の属で頭骨要素が知られているものは本属とKerberosのみである[36]。
鼻骨は背側に凸であり、また眼窩の前端を超過して後側に伸びる。また鼻骨は短い結節が涙骨に伸び、またW字型の縫合線によって前頭骨と接する。前頭骨の前頭隆起は広く開いた弱い窪みに基づいてあまり発達していなかったと判断される。前頭部は後眼窩突起を欠く。眼窩上隆起は三角形をなし、眼窩の後側の狭窄部の前側で矢状面に達する。冠状縫合は既知の標本で破損しているため、眼窩後側の狭窄部との位置関係は不明である。頭蓋円蓋部は2つの頭頂骨で構成されており、上後頭稜と合流する矢状稜から徐々に切り離され、三角形をなす小型の関節面を形成する。頭骨の最大幅は眼窩の上端に位置する前頭骨の最大幅をかろうじて超過する[5]。
前上顎骨は短く、鼻骨と上顎骨との間で小さく伸びており、犬歯よりも僅かに前側に位置する。それらの厚い上前端はハート形に近いほぼ垂直方向の鼻骨開口部を形成しており、その最大幅が鼻骨と前上顎骨との縫合線付近の水準に位置する。犬歯の歯根付近には僅かな突起が存在し、その後側には眼窩下管に先行する長く伸びた窪みが存在する。涙骨は前頭骨と上顎骨との接触を制限する大きな半円形をなして顔面に広く伸びる。涙乳頭は存在しない。鱗状骨の縫合線は低い位置に存在し、あまり凸でなく、頬骨弓の方へ傾斜しており、頭蓋骨の三角形の断面を構成する。頬骨弓のうち鱗状骨が形成に参加する根の部分は完全に辺縁に位置しており、これがtemporal wallの外側に位置する現生の食肉目と異なる。側頭骨の乳様突起は鱗状骨の鼓膜後方部と外後頭部の傍後頭突起(paroccipital process)との間に位置する[5]。頬骨弓はP. dasyuroidesにおいて完全には保存されていないものの、近縁なApterodon macrognathusとKerberos langebadreaeの頬骨弓は背腹方向に深くなっており咬筋を支持した[22]。
後頭骨の面は幅が狭く、扇状をなす。これは上後頭骨と鱗状骨の縫合部が著しく狭窄され、その後側で後頭骨の鱗状部が強く凹であることによる。このためプテロドンにおける形態はヒエノドンよりもアプテロドンのものと類似している[5]。
吻部の長い哺乳類には典型的であるが、同じくフランスの国立自然史博物館に所蔵された歯骨の標本Qu8636は、その下端がわずかに湾曲している。下顎結合よりも後側は直線的である。後部の頑強な部分には内側翼突筋が付着したと見られる[5]。
エンドキャストの解剖学
P. dasyuroidesは脳のエンドキャストが知られており、Piveteau (1935)により最初に記載されている[43]。天然のエンドキャストがフランスの国立自然史博物館に標本番号なしで所蔵されており、表面の形状が十分に保存されていないため限られた形態しか観察できないものの、その容積は60ミリリットルと推定されている[42]。エンドキャストの形状は頭骨の直線的な輪郭をよく反映している。エンドキャストは後頭部の傾斜を欠いており、嗅球・大脳・小脳からなる。Lange-Badréが研究した人工的なエンドキャストは、後側から見た場合に形状が三角形から卵形をなしており、最上部に嗅球が存在し、小脳半球も確認される。エンドキャストの背腹方向の高さは小脳の位置で最大である。人工的なエンドキャストは全体的に低い場所に位置しており、大脳と比較して小脳が大きな容積を占める[5]。
嗅球は大脳半球に被覆されておらず、左右それぞれがある程度広がっている[43]。嗅球は篩骨の篩板に交差した嗅神経の構造から隔てられている。嗅脚(olfactory peduncle)は嗅球を発達しない嗅結節に接続する。嗅脳の中では梨状皮質が最も容積を占めており、大脳新皮質の下に折り畳まれてコンパクトな形状をなす[5]。
鼻腔がより低い位置に存在し、また溝(あるいは皺)がより多く存在するため、P. dasyuroidesの新皮質はより初期のヒエノドン類であるCynohyaenodon cayluxiのものと比較して複雑である。大脳半球は脳の前側の領域において大きなギャップによって小脳から隔てられており、嗅球を被覆していない。新皮質は目立つものでなく、梨状葉(piriform lobe)の前側にのみ存在した。P. dasyuroidesの表層の大脳皮質には外側溝を含む5個の脳裂が存在した可能性がある。P. dasyuroidesの新皮質はかつて原始的かつ単純で2本の皺しか存在しないと考えられていたが、Lange-Badréは皮質自体の発達や、またCynohyaenodonと比較して鼻腔がより低い位置に存在することから、この見解を誤りであるとした[5]。
Flink et al. (2021)は古生物学者がP. dasyuroidesのエンドキャストをどのように解釈してきたかを議論した。Flink et al. (2021)によると、Piveteau (1935)とLange-Badré(1979)が中脳が露出していると考えた一方、Radinsky (1977)は皮質の縁が小脳と嗅球に到達したことを示唆した。天然のエンドキャストの再調査の結果、Flink et al. (2021)は後者の見解に近い姿勢を見せ、もし本当に中脳が露出していたならばヒエノドン類のThinocyon veloxとProviverra typicaほど顕著でなかったろうとした[44]。
小脳は新皮質に被覆されておらず、また大脳窩ほど空洞が発達していないため、大脳の前側部と比較して大型である。小脳は大脳と比較して高い位置に存在し、小脳虫部は2個の大脳半球の間に強く突出する。小脳の第一裂は古小脳-新小脳境界に位置し、ArctocyonやPleuraspidotheriumといった顆節目のものよりも後側に位置する。小脳虫部には横方向に走る他の既知の皺が存在しない[5]。
歯列

ヒアイナイロウロス亜科は第1 - 第2上顎大臼歯の遠心頬側咬頭(メタコーン)と近心頬側咬頭(パラコーン)が上下に高くかつ割線状であり、第3上顎小臼歯の舌側の歯帯が発達しないか存在せず、第4小臼歯の連続した舌側歯帯が存在しない。第3下顎大臼歯は遠心咬頭(タロニッド)が第1下顎大臼歯あるいは第2下顎大臼歯のそれと比較して縮小しており、近心頬側咬頭(プロトコニッド)と近心舌側咬頭の前方に位置する咬頭(パラコニッド)との長さがほぼ等しい[36]。
Pterodon sensu latoは他のヒアイナイロウロス科の属との間で見られる歯列形状の差異により標徴される。メタプテロドン属との差異としては、第3上顎大臼歯が遠心咬頭を持つこと、第1 - 第2上顎大臼歯の遠心咬頭がより大型であること、狭い上顎大臼歯がより短いメタスタイルの稜を遠心頬側に伴うこと、遠心頬側咬頭と近心頬側咬頭との癒合が不完全であることが挙げられる。Akhnatenavusとの差異としては、下顎大臼歯の遠心咬頭(タロニッド)が遠心咬頭(トリゴニッド)と同程度に幅広であること、近心舌側咬頭(プロトコニッド)とパラコニッドがほぼ等しい大きさであること、小臼歯が縮小していないこと、小臼歯間に歯隙が存在しないことが挙げられる。ヒアイナイロウロスやメギストテリウムとは、歯全体が小型であること、下顎大臼歯の遠心咬頭(タロニッド)がより大型であることによって区別される。これらの特徴にはプテロドン属に分類されたタイプ種以外の種も含まれている[45]。P. dasyuroidesは第1上顎小臼歯と第1下顎小臼歯がKerberosのものよりも小型であり、上顎の切歯が少なく、第3上顎小臼歯の近心舌側咬頭(プロトコーン)が小型である[36]。P. dasyuroidesの歯式はで、歯列に基づくと性的二形の証拠が認められない[5]。
体骨格
P. dasyuroidesの体骨格はほぼ知られておらず、発見されている少数の化石も所在が不明である。ブランヴィルは1841年に"Taxotherium parisiense"の体骨格を描画しているが、Ginsburg (1980)のような後の時代の古生物学者によりそのうち尺骨と腓骨はP. dasyuroidesのものとされ、特にTaxotheriumがヒエノドン属のシノニムとされて以降上腕骨・手根骨・中手骨・距骨・踵骨の分類は曖昧である[7][46][5]。
Ginsburg (1980)によれば、Hyainailouros sulzeriの尺骨はアーチ状を描いており、肘頭が発達し、骨幹が長く強靭である。H. sulzeriの肘頭は食肉目のものと比較して長く、偶蹄目と同様に後側に位置する。前外側の結節は発達していないものの前内側の結節が発達しており、これはブランヴィルによるP. dasyuroidesの尺骨のスケッチと同様である。H. sulzeriの腓骨は食肉目のものと比較して厚く、遠位部の前後長は近位部の前後長の2倍である。腓骨の距骨面はP. dasyuroidesのものと同様の長さと幅を持つ[46]。
体サイズ

Radinsky (1977)は完全な骨格が知られていないヒエノドン類の体サイズ推定を行い、P. dasyuroidesの体長を104 - 117センチメートル、体重を25.68 - 35.149キログラムとした[42]。しかし、ヒエノドン類のプロポーションが現生の食肉目と異なることから、推定値は実際の大きさを反映していない可能性がある[36]。ヒエノドン類のモダンアナログが存在せず、現生の食肉目よりも頭部が大型であることから、体サイズ推定は計測された長さでなく体重によって行われる[36]。
Solé et al. (2015)は第1 - 第3下顎大臼歯の長さが52.35ミリメートルであることに基づき、体重を51.56キログラムと推定した。ヒアイナイロウロス科は古第三紀と中新世の分類群を含む他のヒエノドン類と比較して一般的に大型である[36]。P. dasyuroidesと他の研究されたヒエノドン類の推定体重はSolé et al. (2020)において変更されていない[47]。
古生物学

ヒエノドン目の体サイズは幅広く、食性はメソカニバリーからハイパーカニバリー(超肉食)であった[48]。P. dasyuroidesを含むヒアイナイロウロス亜科は歯の形態からして超肉食に適応した系統であった[36]。P. dasyuroidesや他のヒエノドン類は歯のエナメル質に刻まれたジグザグとしたハンター・シュレーゲル線は骨を破砕するような高い咬合力を持つ現生の食肉目と共通しており、引張応力への耐性を有している。全体的な歯列の形態からP. dasyuroidesは肉を切り裂くことと骨を噛み砕くことの両方に適応していたと見られており、後者の特徴はより後の時代の他のヒエノドン類と共通している[49]。
P. dasyuroidesの体骨格がほぼ知られていないため彼らの移動様式は不明であるが、Hyainailouros sulzeri、Kerberos langebadreae、Simbakubwa kutokaafrikaにおいて体骨格が知られているためヒアイナイロウロス科の移動様式は推測が可能である。H. sulzeriの肘は走行に適した典型的な哺乳類と比較して柔軟な回外(supination)と回内(pronation)が不可能であることが判明している。また中手足骨に対する指趾の長さと角度、および尺骨に対する橈骨の関係から、前肢の趾行性が示唆される。後肢は趾行性の動作と同様の結果を示唆するが、Ginsburgによると、祖先の蹠行性の名残があるとされる。Ginsburgは当該動物が跳躍や時折の蹠行性運動を可能とする半趾行性であった可能性があるとした[46]。半趾性はS. kutokaafrikaにも指摘されており、完全な趾行性でなかったとされている。中新世のヒアイナイロウロス亜科に見られるそのような適応は、開けた環境への応答であった可能性が高い[34]。
しかし対称的に、古第三紀に生息したヒアイナイロウロス科のKerberosは体骨格の証拠に基づくと蹠行性であった。これは骨噛みへの適応を示すヒエノドン目のヒエノドン科や食肉目イヌ科のボロファグス亜科と異なる適応である。Kerberosの移動様式から、蹠行性がヒアイナイロウロス科を含むヒエノドン目における原始形質であり、趾行性や半趾性への適応が派生形質であることが示唆される。Kerberosは活発な捕食動物かつ日和見的な腐肉食動物であったと考えられている[36]。

