マウロ・サラテ
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
ウェストハム時代(2015年) | ||||||
| 名前 | ||||||
| 本名 |
マウロ・マティアス・サラテ・リーガ Mauro Matías Zárate Riga | |||||
| ラテン文字 | Mauro ZÁRATE | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
| |||||
| 生年月日 | 1987年3月18日(37歳) | |||||
| 出身地 | ブエノスアイレス | |||||
| 身長 | 173cm | |||||
| 体重 | 73kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム |
| |||||
| ポジション | FW (ST) | |||||
| 背番号 | 99 | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
|
| ||||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2004-2007 |
| 99 | (28) | |||
| 2007-2009 |
| 6 | (4) | |||
| 2008 |
→ | 14 | (4) | |||
| 2008-2009 |
→ | 36 | (13) | |||
| 2009-2013 |
| 68 | (12) | |||
| 2011-2012 |
→ | 22 | (2) | |||
| 2013-2014 |
| 29 | (19) | |||
| 2014-2016 |
| 22 | (5) | |||
| 2015 |
→ | 4 | (0) | |||
| 2016-2017 |
| 22 | (5) | |||
| 2017-2018 |
| 3 | (0) | |||
| 2017-2018 |
→ | 8 | (3) | |||
| 2018 |
→ | 13 | (8) | |||
| 2018-2021 |
| 42 | (8) | |||
| 2021 |
| 16 | (1) | |||
| 2021-2022 |
| 3 | (1) | |||
| 2022- |
| |||||
| 代表歴 | ||||||
| 2007 |
| 5 | (2) | |||
|
1. 国内リーグ戦に限る。2021年7月13日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
マウロ・マティアス・サラテ・リーガ(Mauro Matias Zarate Riga, 1987年3月18日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。
キャリア初期
母国アルゼンチンのCAベレス・サルスフィエルドの下部組織で育ち、17歳の時にトップチーム昇格。2004年4月21日のアルセナルFC戦でデビュー。2006年前期リーグでは19試合12得点でロドリゴ・パラシオと共に得点王に輝いた。
2007年6月18日、カタール・リーグのアル・サッドへ2年契約で移籍。FIFA U-20ワールドカップで9番を背負った優勝メンバーが、欧州やメキシコではなくカタール行きを決めたことに、アルゼンチンでは懐疑的な声が相次いだ[要出典]。わずか6試合に出場した後の2008年1月、プレミアリーグ・バーミンガム・シティFCへレンタル移籍した。
バーミンガム
2008年1月29日のサンダーランドAFC戦でデビュー。3月22日のレディングFC戦で初ゴールを決めた。シーズン終了後にバーミンガムは2部に降格。レンタル期間終了に伴いサラテも新天地を求めた。
ラツィオ
2008年7月5日、セリエA・SSラツィオへ完全移籍オプション付きのレンタル移籍を果たす。8月31日のカリアリ・カルチョとの開幕戦でデビューし、2得点を挙げる活躍を見せる。5月13日に行われたコッパ・イタリア決勝ではUCサンプドリア相手にゴールを奪い、チームの優勝に貢献した。シーズン終了後、移籍金2000万ユーロでラツィオに完全移籍した[1]。
インテル
2011年8月31日、買い取りオプション付きのレンタル移籍でインテルナツィオナーレ・ミラノに入団した[2][3]。ここではリーグ戦22試合出場でわずか2ゴールと結果を残せなかった。インテルが買い取りオプションを行使しなかったため、シーズン終了後ラツィオへ復帰した。
ラツィオ復帰
ラツィオ復帰後は出場機会はほとんどなく、2013年1月にウクライナ・プレミアリーグのFCディナモ・キーウへの移籍が確実視されたが、破綻となり、自身のTwitterでクラウディオ・ロティート会長を批判した[4]。
ウェストハム
2014年5月28日、ウェストハム・ユナイテッドFCに移籍し、6年ぶりにプレミアリーグに復帰した[5]。
QPR
2015年1月6日、クイーンズ・パーク・レンジャーズFCへレンタル移籍した[6]。
フィオレンティーナ
2016年1月21日、ACFフィオレンティーナに移籍した。
ワトフォード
2017年1月25日、ワトフォードFCと2年半の契約を結びプレミアリーグに復帰した[7]。加入後はスタメンに名を連ね続けたが、2月25日に行われたウェストハム戦において前半終了間際に膝を負傷。痛みによって意識を失い酸素マスクを装着し搬送された。その後自身のInstagramで前十字靭帯断裂の診断を受けたことを明かした[8]。
翌シーズンには復帰を果たすもマルコ・シルヴァ新監督の下では出場機会を得られず、10月2日にアラビアン・ガルフ・リーグのアル・ナスルへのシーズンローンが決定した[9]。翌年1月にワトフォードが呼び戻せるオプションが付帯している。
ボカ・ジュニアーズ
アメリカ・ミネイロ
代表歴
代表としてはU-20アルゼンチン代表として2007 FIFA U-20ワールドカップに出場し優勝した経験があるが、A代表からの招集はない。母がカラブリア州カタンザーロ県出身でイタリア国籍も有しているため、イタリア代表入りを望む声もあったが、本人はアルゼンチン代表入りを目指していた。
しかし、アルゼンチン代表にはリオネル・メッシやセルヒオ・アグエロ等の優秀なFWがいたため一度も招集されず、2014年10月に祖父の祖国であるチリ代表でプレーすることを決意した[12]。
人物
ブエノスアイレスの裕福なサッカー一家で育つ。祖父のフベナルはチリ代表としてプレー、父のセルジオはCAインデペンディエンテやアンコーナ・カルチョでプレーした元プロサッカー選手。また、サラテ自身を含め、5人いる兄弟のうち4人がサッカー選手である[13]。9歳上の兄ロランド・サラテは現在CAウラカンに所属。17歳上の兄セルヒオ・サラテもCAベレス・サルスフィエルドなどでプレーし2003年に引退、現在はサラテの代理人を務めている。
メトロセクシャルであることをカミングアウトしている。フェイス用のクリームやボディークリームをいくつも使っており、コロンもTPOに応じて使い分けている。また、全身のむだ毛処理にも余念がないという。
タイトル
クラブ
- ベレス
- プリメーラ・ディビシオン : 2004-05C
- ラツィオ
- コッパ・イタリア : 2008-09, 2012-13
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 2009
- ボカ・ジュニアーズ
- プリメーラ・ディビシオン : 2019-20
- コパ・アルヘンティーナ : 2019-20
- スーペルコパ・アルヘンティーナ : 2018
代表
- アルゼンチン U-20
個人
- プリメーラ・ディビシオン得点王 : 2006-07C, 2013-14F