ミチェル・エンリケス
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ラグナ・ユニオン・コットンファーマーズ 打撃コーチ #48 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 |
|
| 出身地 | 青年の島ヌエバ・ヘローナ |
| 生年月日 | 1979年2月11日(47歳) |
| 身長 体重 |
175[1] cm 90 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 三塁手 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
|
派遣歴 | |
| |
| 国際大会 | |
| 代表チーム |
|
| 五輪 | 2004年、2008年 |
| WBC | 2006年、2009年 |
この表について
| |
| オリンピック | ||
|---|---|---|
| 男子 野球 | ||
| 金 | 2004 | 野球 |
| 銀 | 2008 | 野球 |
| ワールド・ベースボール・クラシック | ||
| 銀 | 2006 | 野球 |
ミチェル・エンリケス・タマヨ(Michel Enríquez Tamayo , 1979年2月11日 - )は、キューバ共和国青年の島ヌエバ・ヘローナ出身の元野球選手(三塁手)。右投右打。
1997-1998シーズンに、キューバ国内リーグであるセリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルのトロンヘロス・デ・イスラ・デ・ラ・フベントゥでリーグデビュー。いきなり打率.331、101安打を記録した。
金属バット使用最終シーズンとなった1998-1999シーズンに、打率.391、シーズン最多安打記録を更新する152安打を放った。
2001年9月に台湾で開催された第34回IBAFワールドカップのキューバ代表に選出された。この大会では衰えたオマール・リナレスからキューバ代表の正三塁手の座を実力で奪い取った。
2004年8月に開催されたアテネオリンピックの野球競技のキューバ代表に選出された。この大会でh、正三塁手として全9試合に出場した。
2005年9月に開催された第36回IBAFワールドカップのキューバ代表に選出された。この大会では、打率.500・20打点の好成績を残した。
2006年3月に同年から開催されることとなったワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のキューバ代表に選出された[2]。この大会では、8試合に出場したものの、決勝戦の日本戦で5打数無安打に終わるなど、大会通して打率.194と全くの期待外れに終わった。
国内リーグでは、2005-2006シーズンに5年連続の首位打者だったオスマニー・ウルティアを抑え、初の首位打者を獲得した。
2008年8月に開催された2008年北京オリンピックの野球競技のキューバ代表に選出された。全9試合に出場し、決勝戦の対韓国戦では柳賢振から1点差に迫るソロ本塁打を放った。
2009年3月に開催された第2回WBCのキューバ代表に選出され[3] 2大会連続2度目の出場となった。国内リーグでは2008-2009シーズンに打率.401を記録し、2回目の首位打者を獲得した。
2009年9月の第38回IBAFワールドカップでは、対チャイニーズタイペイ戦で手首を直撃する投球を受け、全治2ヶ月の怪我を負った。
2012年11月6日に、「侍ジャパンマッチ2012」のキューバ代表に選出された[4][5]。同日、台湾で行われたサンダーシリーズのため来台した[6]。サンダーシリーズ終了後の14日に来日した[7]。
2013年6月12日に、当時のキューバ選手としては異例となる、メキシカンリーグのカンペチェ・パイレーツでの8月までのプレーが許可されたことが明らかになった[8]。
2017年-2018年シーズンに、リーグ史上22人目となる通算2000安打を達成した。
2019年7月にメキシカンリーグに所属するラグナ・ユニオン・コットンファーマーズの打撃コーチに就任することが発表された[9]。
選手としての特徴
外角を右方向に流し打ちしたり、センター返しをする打撃技術が高く、三振も非常に少ない。三塁守備は肩が強い上に反射神経に優れ、打球に対する瞬時の反応を見せている。