ミン・アウン・フライン

ミャンマーの軍司令官・軍事政権の最高指導者 From Wikipedia, the free encyclopedia

ミン・アウン・フラインあるいはミン・アウン・ラインビルマ語: မင်းအောင်လှိုင်, ALA-LC翻字法: Maṅʻʺ ʼOṅʻ Lhuiṅʻ, ビルマ語発音: [mɪ́ɰ̃ ʔàʊn l̥àɪɰ̃]; 1956年7月3日 - )は、ミャンマー軍人政治家。大統領[1]。階級はミャンマー国軍最高の上級大将。国軍総司令官、国家行政評議会議長、暫定首相、国家安全保障・平和委員会委員長を歴任した。

任期2024年7月22日 現職
2026年4月10日までは大統領代行)
首相ミン・アウン・フライン(兼務)
ニョーソー
任期2025年7月31日 2026年4月10日
概要 任期, 第一副大統領 ...
ミン・アウン・フライン
မင်းအောင်လှိုင်


任期 2024年7月22日 現職
2026年4月10日までは大統領代行)
第一副大統領 ミンスエ
ニョーソー
首相 ミン・アウン・フライン(兼務)
ニョーソー

任期 2025年7月31日 2026年4月10日
副委員長 ソーウィン
大統領 ミン・アウン・フライン(兼務)

任期 2021年2月2日 2025年7月31日
副議長 ソーウィン
大統領代行 ミンスエ
ミン・アウン・フライン(兼務)

任期 2021年8月1日 2025年7月31日
大統領 ミンスエ(代行)
ミン・アウン・フライン(兼務)
内閣 暫定政府

任期 2011年3月30日 2026年3月30日
大統領 テイン・セイン
ティンチョー
ミンスエ(代行)
ウィンミン
ミンスエ(代行)
ミン・アウン・フライン(代行、兼務)

出生 (1956-07-03) 1956年7月3日(69歳)
ビルマの旗 ビルマ連邦 マグウェ地方域ミンブー
政党 無所属国軍
(1974年 - 2026年)
連邦団結発展党
(2026年 - )
出身校 ヤンゴン大学
ビルマ国軍士官学校英語版
配偶者 チュー・チュー・フラ英語版
子女 キン・ティリ・テ・モン英語版
(1981年 - )
アウン・ピェー・ソン英語版
(1984年 - )
宗教 上座部仏教
署名
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軍歴 1974年 - 2026年
最終階級 上級大将
指揮 国軍総司令官
概要 ミン・アウン・フラインမင်းအောင်လှိုင်, 所属組織 ...
ミン・アウン・フライン
မင်းအောင်လှိုင်
ミン・アウン・フライン(2017年撮影)
所属組織 ミャンマー陸軍
軍歴 1974年 - 2026年
最終階級 上級大将
指揮 国軍総司令官
戦闘 ミャンマー内戦
除隊後 大統領(2026年 - )
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2021年2月1日に発生した軍事クーデターの首謀者であり、政権転覆によって失脚した国家顧問アウンサンスーチーに代わってミャンマーの事実上の最高指導者にあたる国家行政評議会議長となった。また同年8月1日からは暫定首相[2]、2024年7月22日から大統領代行をも兼任した[3]。国家行政評議会は2025年7月31日に解散して国家安全保障・平和委員会に再編され、その委員長となり、同時に暫定首相を退任した。

2025年12月から行われた「総選挙」で国軍系の連邦団結発展党(USDP)が大勝したのを経て2026年3月にミャンマー連邦議会が再開されたのを受けて国軍総司令官を3月30日に退任。4月3日に上下両院の民選議員と軍人議員による投票によって第11代大統領に選出され、同月10日に就任宣誓を行った。

経歴

タニンダーリ地方域ダウェイ出身[4][5]。建設省技師ウー・タウン・フラインの子。1972年、ラタ第1基礎教育高等学校英語版に合格[6]。しかしヤンゴン芸術工科大学法学部に入学。さらに1974年、軍人の道を選び、国軍士官学校に入学。在学中、内向的な性格のため同期からは忌避されていたという[7]。卒業後は駐モン州部隊長を経て2002年に三角軍区司令官に昇進し[注釈 1]ワ州連合軍ミャンマー民族民主同盟軍(コーカン族)との交渉で中心的役割を果たした[7]2007年ミャンマー反政府デモでは鎮圧に尽力。

2008年、カレンニー族やシャン州での反乱対策を目的とする第2特別作戦室(BSO-2)室長に就任[5]

国軍総司令官として

2009年コーカンでのミャンマー民族民主同盟軍との紛争英語版を指揮。この功績により[5]、2010年6月、トゥラ・シュエ・マンの後任として陸海空軍統合参謀長に抜擢され[8]、2011年3月にタン・シュエの後任として総司令官に指名された。

民政に移管したとはいえ、憲法上国軍総司令官は大統領に次ぐ大きな政治的権限を持っており、テイン・セイン大統領との距離も近いフラインはミャンマー情勢のキーパーソンとなっている。

民主化には基本的に前向きな姿勢を示しているが、未だ抵抗を続ける武装組織の鎮圧など国内の治安向上と秩序の維持が不可欠であるとし[9]、「政党政治への偏重は国を不安定にする。ゆとりあるペースの改革が適切な発展をもたらす」と「規律ある民主国家」のためには軍の影響力を維持する方針を続けており、憲法改正をはじめとする早急な民主化の進展には消極的である[10][11]。しかし、2015年11月予定の上下両院選でNLDが勝利した場合であっても、選挙の結果を支持すると発言した[12]

一方で、イラワジなどの反政府系メディアからは、少数民族武装勢力や反政府活動の鎮圧に携わった経歴や、反政府勢力鎮圧に中国からの軍事的支援を受けているとの批判がある[5]

ミャンマーの趨勢と同様に、ロヒンギャの存在を認めておらず、バングラデシュからの不法移民、「ベンガル人」と認識している。2017年9月1日、ロヒンギャの武装勢力「アラカン・ロヒンギャ救世軍」(ARSA)の「掃討作戦」に際して、「ラカイン州で1942年の危機を再び起こさせはしない」と主張した。これは、太平洋戦争(大東亜戦争)におけるビルマの戦いで、「ベンガル人」はイギリスに味方し、ビルマ(当時)独立を妨げた裏切り者という意味の発言である[13]。また、9月15日にはFacebookで、「過激派のベンガル人」は「ミャンマーでは決して民族集団では無かった、(にもかかわらず)ロヒンギャとしての認知を求めている」と改めて主張し、「ミャンマーの全ての市民[14]は、愛国心で連帯し、メディアは団結すべきである」と述べた[15][16]

国際連合によると、2017年初めにはミャンマー国内のロヒンギャはおよそ80万人と推計されていた[17]国際移住機関によると、9月19日現在、8月25日からの「掃討作戦」で、家を追われバングラデシュに逃れたロヒンギャは42万1千人に上っている[18]。アメリカはロヒンギャ迫害を理由にフラインを経済制裁の対象とした[19]

2021年2月1日2020年11月の総選挙での国軍系の政党のUSDPスーチー率いるNLDに大敗した事を受け、選挙の不正を理由に[20]ミャンマー国軍の政権奪取を牽引し、三権を掌握した(2021年ミャンマークーデター[21]。8月1日には暫定政権の首相に就任し、すでに無効とした2020年総選挙の再選挙を2023年8月までに実施することを表明した[2]

2024年7月22日末梢神経障害の治療中であった大統領代行のミンスエは、フラインに大統領代行の職務を委ねた[22]

同年11月27日、国際刑事裁判所カリム・カーン英語版主任検察官は、ロヒンギャを迫害したとして人道に対する罪の疑いでフラインの逮捕状を請求したと発表した[23]

2025年3月8日、ベラルーシの首都ミンスクにてアレクサンドル・ルカシェンコ大統領と会談した直後の記者会見にて、総選挙を2025年12月か2026年1月に実施すると表明した[24]

2025年7月31日に国軍が非常事態宣言を解除し、国家行政評議会は新たに発足した国家安全保障・平和委員会(State Security and Peace Commission)に置き換わったが、トップは引き続きフラインが務めるため、ミャンマーの統治に大きな変更はなかった[25]。また新たに連邦政府が発足し新たな首相が任命されたため、フラインは暫定首相を退任した[26]

2026年3月30日に国軍総司令官からの退任が発表され、後任には側近のイェウィンウー陸軍司令官が就任した。同日、議会下院の協議にて大統領選出に向けた候補者に選出され[27]、翌31日に下院にて副大統領に選出された[28]。同時に上院、上下両院の軍代表グループでも副大統領が選出されており、3人の副大統領から大統領を選出する選挙英語版が4月3日に行われ、ミン・アウン・フラインが584票中429票を獲得し当選した[29]

大統領として

2026年4月10日、大統領に就任した[1]

4月16日に発表された国連の総会・会議管理局(DGACM)の各国元首・外相名簿において、国連が2021年2月のクーデター前の体制を正統政府とし、国連の枠組みでは親軍政権の正統性を認めない姿勢が改めて示された[30]

他国に対する姿勢

クーデター以前

インドナレンドラ・モディ首相(右)との会談時(2015年)
2017年8月4日日本首相官邸にて安倍晋三総理大臣

軍事政権のもと停滞しがちだった欧米諸国との関係修復にも努め、東南アジアでも高まりつつあるISILへの脅威に対し、「多くの機関や国と連携して対処する必要がある」と国際的協調の姿勢を強調した[31]

本人はタイ王国の要人と良好な関係を築くなど、欧米や中国に関係なく非同盟中立的・全方位外交の姿勢を示している他、「目立つ形での武器の供与は周辺国に懸念を生みかねない」とも発言している[9][32]

日本との接近も大きい。2013年1月3日、ミャンマーを訪問した麻生太郎副総理および笹川陽平日本財団会長と会見[33]2014年9月23日には、同年5月の岩崎茂統合幕僚長(当時)の訪問への返礼として公式訪日。菅義偉内閣官房長官、岩崎統合幕僚長と会見した。ミャンマー国軍総司令官の訪日は初のことであった。

年譜

  • 1972年3月 - ヤンゴン芸術工科大学法学部
  • 1974年1月 - 国軍士官学校入学、教育班軍曹
  • 1977年12月 - 少尉任官
  • 2002年 - 三角軍区司令官
  • 2008年6月 - 第2特別作戦室長
  • 2008/2009 - 少将
  • 2009年末 - 中将
  • 2011年始 - 大将
  • 2011年3月30日 - 国軍総司令官
  • 2012年4月3日 - 次級大将
  • 2013年3月 - 上級大将
  • 2021年2月1日 - ミャンマーの事実上の最高指導者
  • 2021年2月2日 - 国家行政評議会議長
  • 2021年8月1日 - 暫定首相
  • 2025年7月31日 - 国家安全保障・平和委員会委員長

人柄

タイの軍人・元首相プレーム・ティンスーラーノンと親しく、父のように尊敬していると発言している[34][35]

小柄な体格で丸い縁なし眼鏡を掛けていることが多く、軍の司令官というよりは事務員を思わせる風貌である。また、ロイターの報道によればフェイスブックを愛用しているほか、仏教寺院への寄付を重ねるなど、軍人というより政治家のような振る舞いを意識して行っていたとみられる[36]

栄典

サイド・ビジネス

ミン・アウン・フラインは、米国により制裁中のミャンマー国軍系企業グループの「en:Myanma Economic Holdings Limited(ミャンマー経済ホールディングス(MEHL))」[37]の大株主として、10年前の時点で、約3000万円(年間)の配当を得ていたとされる[38]

脚注

関連項目

外部リンク

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