ヤスメイロ・ペティット

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生年月日 (1984-11-22) 1984年11月22日(40歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
250 lb =約113.4 kg
ヤスメイロ・ペティット
Yusmeiro Petit
サンディエゴ・パドレス (マイナー)
オークランド・アスレチックス時代
(2019年4月10日)
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 スリア州マラカイボ
生年月日 (1984-11-22) 1984年11月22日(40歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
250 lb =約113.4 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 アマチュアFA
初出場 2006年5月14日
年俸 $2,250,000 (2021年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ベネズエラの旗 ベネズエラ
WBC 2017年

ヤスメイロ・アルベルト・ペティットYusmeiro Alberto Petit , 1984年11月22日 - )は、 ベネズエラスリア州マラカイボ出身のプロ野球選手投手)。右投右打。MLBサンディエゴ・パドレス傘下所属。愛称はユースYus[1]。発音指示によると、姓名はユースメイロ・ペティート(use-MAY-ro peh-TEET) と読むのがより近い[2]

2022年現在、46打者連続アウトのMLB記録保持者である[3]

プロ入りとメッツ傘下時代

2001年11月15日にアマチュア・フリーエージェントでニューヨーク・メッツと契約してプロ入り。

2003年は傘下のアパラチアンリーグのルーキー級キングスポート・メッツ英語版とA-級ブルックリン・サイクロンズでプレー。A-級ブルックリンでは2試合に先発登板して1勝0敗、防御率2.19、20奪三振を記録した。

2004年はまずA級キャピタルシティ・ボンバーズでプレーし、15試合に先発登板して9勝2敗、防御率2.39、122奪三振を記録した。7月にA+級セントルーシー・メッツへ昇格した。9試合に先発登板して2勝3敗、防御率1.22、62奪三振を記録した。8月にAA級ビンガムトン・メッツへ昇格。2試合に先発登板して1勝1敗、防御率4.50、16奪三振を記録した。

2005年はAA級ビンガムトンでプレーし、21試合に先発登板して9勝3敗、防御率2.91、130奪三振を記録した。8月にAAA級ノーフォーク・タイズへ昇格。3試合に先発登板して0勝3敗、防御率9.20、14奪三振を記録した。オフの11月18日にメッツとメジャー契約を結び、40人枠入りを果たした[4]

マーリンズ時代

2005年11月24日にカルロス・デルガドとのトレードで、マイク・ジェイコブスと共にフロリダ・マーリンズへ移籍した[5]

2006年3月22日にマーリンズと1年契約に合意。同日にAAA級アルバカーキ・アイソトープスへ配属され、そのまま開幕を迎えた。5月13日にメジャーへ初昇格し[6]、翌14日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビュー。6点リードの9回裏から登板し、1回を1安打無失点2奪三振に抑えた[7]。3度目の登板となった5月19日のタンパベイ・デビルレイズ戦では、同点の延長10回裏から登板。しかし、先頭打者のオーブリー・ハフからサヨナラ本塁打を打たれ、メジャー初黒星を喫した[8]。6月18日にAAA級アルバカーキへ降格した[9]が、7月3日にメジャーへ再昇格[10]。メジャー初先発となった7月5日のワシントン・ナショナルズ戦では、6回を11安打5失点と苦しんだが、18得点の援護もあり、メジャー初勝利を挙げた[11]。7月17日に再びAAA級アルバカーキへ降格し、登録枠が拡大された9月1日に再昇格した[12]。この年メジャーでは15試合(先発1試合)に登板して1勝1敗、防御率9.57、20奪三振を記録した。

2007年3月2日にマーリンズと1年契約に合意した。

ダイヤモンドバックス時代

アリゾナ・ダイヤモンドバックス時代
(2009年4月15日)

2007年3月26日にホルヘ・フリオとのトレードで、アリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍[13]。4月1日にAAA級ツーソン・サイドワインダーズへ異動した。4月22日にメジャーへ昇格し[14]、同日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で先発起用され、7回を4安打2失点と好投したが、打線が1得点に終わり、負け投手となった。4月24日にAAA級ツーソンへ降格。7月3日に昇格後は先発ローテーションに定着したが、8月4日にAAA級ツーソンへ降格。8月19日に再昇格した。この年は14試合(先発10試合)に登板して3勝4敗、防御率4.58、40奪三振を記録した。

2008年3月9日にダイヤモンドバックスと1年契約に合意し[15]、開幕ロースター入りした[16]。開幕後はリリーフを任されたが、6試合中4試合で失点し、4月27日にAAA級ツーソンへ降格[17]。7月1日に再昇格した[18]。この年は19試合(先発8試合)に登板して3勝5敗、防御率4.31、42奪三振を記録した。

2009年は開幕ロースター入りしたが、5月8日のナショナルズ戦で右肩を故障し、翌9日に15日間の故障者リスト入りした。7月4日に復帰した[19]。この年は23試合に登板して3勝10敗・防御率5.82・74奪三振の成績を残した。

マリナーズ傘下時代

2009年11月5日にウェイバー公示を経てシアトル・マリナーズへ移籍[20]

2010年2月6日にDFAとなり[21]、2月10日にマイナー契約で傘下のAAA級タコマ・レイニアーズへ配属された[22]。3月17日に放出され[23]、26日にマリナーズとマイナー契約で再契約した。この年はAAA級タコマで24試合(先発6試合)に登板して4勝2敗、防御率6.89、55奪三振を記録した。オフの11月6日にFAとなったが、23日にマリナーズとマイナー契約で再契約した。

2011年は登板のないまま、5月1日に放出された。マリナーズ退団後はメキシカンリーグオアハカ・ウォーリアーズに加入した。7試合(先発6試合)に登板して1勝2敗、防御率4.17、28奪三振を記録した。

ジャイアンツ時代

サンフランシスコ・ジャイアンツ時代
(2014年7月10日)

2012年1月18日にジャイアンツとマイナー契約を結んだ。開幕から傘下のAAA級フレズノ・グリズリーズでプレーし、28試合に先発登板して7勝7敗、防御率3.46、28奪三振を記録した。9月7日にジャイアンツとメジャー契約を結んだ[24]。この年は1試合の登板にとどまった。

2013年3月17日にマイナー契約となってAAA級フレズノへ降格した[25]。7月23日にジャイアンツとメジャー契約を結び[26]、同日のシンシナティ・レッズ戦で登板したが、1試合の登板に終わり、28日にDFAとなった[27]。8月4日にAAA級フレズノへ降格した。8月23日に再びジャイアンツとメジャー契約を結んだ[28]。8月27日のコロラド・ロッキーズ戦から先発に復帰した。9月6日のダイヤモンドバックス戦では、9回裏2死まで無安打無失点無四球だったが、27人目のエリック・チャベスが右翼前安打を放ち、完全試合を逃した。続く28人目のA.J.ポロックは三塁ゴロに抑え、メジャー初完封を記録した[29]。この年は8試合(先発7試合)に登板して4勝1敗、防御率3.56、47奪三振を記録した。

2014年1月17日にジャイアンツと1年契約に合意し、開幕ロースター入りした。8月28日のコロラド・ロッキーズ戦で46打者連続アウトの記録を達成し、マーク・バーリーの持つメジャー記録を更新[30]した。なお、続く47人目の打者である投手のジョーダン・ライルズ二塁打を打たれた。

2015年12月2日にノンテンダーFAとなった[31]

ナショナルズ時代

ワシントン・ナショナルズ時代
(2016年8月23日)

2015年12月14日にナショナルズと1年300万ドルの契約(2017年は300万ドルの球団側選択オプション付き)を結んだ[32]

2016年は36試合に登板し、うち1試合が先発登板だった。3勝5敗1セーブ、防御率4.50、WHIP1.32という成績であり、過去3シーズンと比すると防御率とWHIPが悪化して、やや低調だった。オフの11月3日にFAとなった[33]

エンゼルス時代

ロサンゼルス・エンゼルス時代
(2017年8月20日)

2017年2月8日にロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[34]。同日に第4回WBCベネズエラ代表に選出された[35]。4月2日にメジャー契約を結び、開幕ロースター入りした[36]。この年は先発1試合を含む60試合に登板して5勝2敗4セーブ、防御率2.76、WHIP0.95と自身初の防御率2点台・WHIP1.00未満を記録した。オフの11月2日にFAとなった[37]

アスレチックス時代

2017年11月29日、オークランド・アスレチックスと2年総額1000万ドル(3年目は年俸550万ドルの契約延長・100万ドルのバイアウトの球団オプション付き)の契約に合意したと報じられ[38]、12月7日に正式に契約を結んだ[39]

2018年オフには日米野球のMLB選抜に選出された[40]

2020年オフの10月28日にFAとなった[41]が、2021年2月19日にアスレチックスと1年225万ドルで再契約した。オプションとして最大45万ドルの出来高が含まれる[42]

2021年オフの11月3日にFAとなった[33]

パドレス傘下時代

2022年5月2日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ[43]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2006 FLA 1510001100.50012926.1467910200028289.572.09
2007 ARI 14100003400.42924357.058121810400130294.581.33
2008 1980003500.37522956.145121421423129274.311.05
2009 231700031000.23140789.2102193410743062585.821.52
2012 SF 110000000----224.270400110223.862.36
2013 871114100.80019648.04641110470019193.561.19
2014 39121015500.500461117.0971222511330051483.691.02
2015 4210001110.50031676.075111521593032313.671.18
2016 WSH 3610003511.37526562.067121530493133314.501.32
2017 LAA 60100052415.71435491.169918411010032282.760.95
2018 OAK 74000073016.70036893.076131840761032313.001.01
2019 80000053029.62530883.057111000712025252.710.81
2020 2600002107.6678821.21935001700441.661.11
2021 78000083222.72731378.069121211371035343.921.04
MLB:14年 515592125044890.5323699904.08331372052557671734143953.931.15
  • 2021年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



投手(P)












2006 FLA 1520001.000
2007 ARI 1405001.000
2008 1907001.000
2009 235810.929
2012 SF 102001.000
2013 815011.000
2014 397520.857
2015 4259001.000
2016 WSH 361410.833
2017 LAA 606410.909
2018 OAK 74511011.000
2019 80134011.000
2020 2631001.000
2021 7836001.000
MLB 515517153.961
  • 2021年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

  • 連続打者アウト:46人(2014年、歴代1位)

背番号

  • 45(2006年)
  • 50(2007年)
  • 48(2008年 - 2009年)
  • 52(2012年 - 2016年)
  • 36(2017年 - 2021年)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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