エンダー・インシアーテ

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生年月日 (1990-10-29) 1990年10月29日(35歳)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
165 lb =約74.8 kg
エンダー・インシアーテ
Ender Inciarte
アトランタ・ブレーブス時代
(2019年3月31日)
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 スリア州マラカイボ
生年月日 (1990-10-29) 1990年10月29日(35歳)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
165 lb =約74.8 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2008年 アマチュアFA
初出場 2014年5月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ベネズエラの旗 ベネズエラ
WBC 2017年

エンダー・デービッド・インシアーテ・モンティーエルEnder David Inciarte Montiel, 1990年10月29日 - )は、ベネズエラスリア州マラカイボ出身のプロ野球選手外野手)。左投左打。現在は、フリーエージェント(FA)。

プロ入りとダイヤモンドバックス時代

アリゾナ・ダイヤモンドバックス時代
(2014年7月6日)

2008年アリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約。ルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・ダイヤモンドバックス・レッズで62試合に出場し、打率.300・18打点・22盗塁だった。

2009年パイオニアリーグのルーキー級ミズーラ・オスプレイ英語版で66試合に出場し、打率.325・1本塁打・22打点・10盗塁だった。

2010年はA-級ヤキマ・ベアーズ英語版とA級サウスベンド・シルバーホークス英語版でプレー。A級サウスベンドでは66試合に出場し、打率.225・1本塁打・20打点・5盗塁だった。

2011年はA級サウスベンドで116試合に出場し、打率.262・1本塁打・25打点・26盗塁だった。

2012年はA級サウスベンドで65試合に出場し、打率.293・1本塁打・30打点・18盗塁だった。6月にA+級バイセイリア・ローハイドへ昇格。62試合に出場し、打率.319・1本塁打・17打点・28盗塁だった。オフの12月に行われたルール・ファイブ・ドラフトフィラデルフィア・フィリーズから指名され移籍[1]

2013年4月2日に戦力外となり[2]、4月4日にルール・ファイブ・ドラフトの規定によりダイヤモンドバックスへ復帰。この年はAA級モービル・ベイベアーズで127試合に出場し、打率.281・5本塁打・25打点・43盗塁だった。オフの11月20日にダイヤモンドバックスとメジャー契約を結んだ[3]

2014年3月3日にダイヤモンドバックスと1年契約に合意し[4]、3月9日にAAA級リノ・エーシズへ配属され、そのまま開幕を迎えた。AAA級リノでは26試合に出場。打率.312・2本塁打・12打点・7盗塁と好成績を残し、4月30日にメジャーへ昇格した[5]。5月2日のサンディエゴ・パドレス戦でメジャーデビュー。8番・中堅で先発起用され、4打数1安打1三振だった[6]。その後は怪我で欠場していた中堅手・A.J.ポロックの代役として出場するも、打率は1割台が続き、ポロック復帰後は守備要員としての起用が増えた。6月1日にポロックが故障者リスト入りすると、中堅の守備を奪取。6月下旬からは1番打者に固定された。9月にはポロックが復帰したため、左翼手へ転向した。この年は118試合に出場し、打率.278・4本塁打・27打点・19盗塁(成功率86.4%、リーグ3位)だった。

2015年は開幕ロースター入りしたが、右翼手のマーク・トランボや、インシアーテと同じメジャー2年目のデビッド・ペラルタとの外野手争いもあり、開幕後は定位置を確保できない日々が続いた。6月16日に右ハムストリングを痛め、15日間の故障者リスト入りし[7]、7月17日に復帰[8]。復帰後は三塁から右翼へ転向したヤズマニー・トマスが活躍していたため、右翼と左翼を兼任していたが、8月下旬から打率3割前後をキープし、9月中旬には右翼の定位置に就いた。この年は132試合に出場して規定打席に到達し、打率.303(リーグ9位)・6本塁打・45打点・21盗塁(成功率67.7%)、1三振あたりの打数が9.0(リーグ5位)だった。

ブレーブス時代

2015年12月9日にシェルビー・ミラーゲーブ・スパイアーとのトレードで、ダンズビー・スワンソンアーロン・ブレアーと共にアトランタ・ブレーブスへ移籍した[9]

2016年開幕から1番打者で先発出場し、出場した試合の半分以上(76試合)は1番として出場した。前年から打率は少し下げた(.291)ものの、出塁率は.351、3本塁打・29打点・16盗塁(成功率70.0%)・1三振あたりの打数は7.7(リーグ7位)。オフにゴールドグラブ賞(中堅手部門)を初受賞。

2017年開幕前の2月8日に第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ベネズエラ代表に選出された[10]。シーズンでは5月22日のピッツバーグ・パイレーツ戦で自己最多の1試合5安打を記録した[11]。6月6日のフィリーズ戦で通算500安打を達成した[12]。9月26日のメッツ戦で球団史上4人目となるシーズン200本安打を記録した[13]。シーズン終了後、2年連続のゴールドグラブ賞(中堅手部門)を受賞した[14]

2018年には3年連続のゴールドグラブ賞を受賞[15]

2019年は故障により65試合の出場にとどまった。

2021年7月24日にDFAとなり[16]、29日に自由契約となった[17]

レッズ傘下時代

2021年8月5日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだ[18]。9月7日に自由契約となった[19]

ヤンキース傘下時代

2021年12月15日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ[20]

2022年は傘下のAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースで開幕を迎えた。メジャーへの昇格がないまま、6月15日に自由契約となった[21]

メッツ時代

2022年6月20日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ[22]。28日にメジャー契約を結びアクティブ・ロースター入りした[23]。7月14日にDFAとなった[24]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2014 ARI 11844741854116182415027193402500533.278.318.359.677
2015 132561524731592756214452110252604588.303.338.408.747
2016 ATL 13157852285152247319929167524554688.291.351.381.732
2017 157718662932012751127157229344930948.304.350.409.759
2018 1566605978315827610227612814444916866.265.325.380.705
2019 6523019930491125792471012624411.246.343.397.740
2020 461311161722211291041121200250.190.262.250.512
2021 528979111720225101021700221.215.276.316.592
2022 NYM 11881100010000000000.125.125.125.250
MLB:9年 8683422312544787513828421195263118452119239111844735.280.333.382.715
  • 2022年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



左翼(LF)中堅(CF)右翼(RF)




































2014 ARI 3767220.97276198820.99011010.500
2015 4797421.9812244210.97977113431.975
2016 ATL 1019210.9551203321234.991-
2017 -156410730.993-
2018 -155380653.987-
2019 -63143210.993-
2020 -4670110.986-
2021 4000037581001.000-
2022 NYM 640001.00020000250001.000
MLB 104187851.975677163539168.99180119441.969
  • 2022年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 各年度の太字年ゴールドグラブ賞受賞年

表彰

記録

背番号

  • 5(2014年 - 2015年)
  • 11(2016年 - 2021年)
  • 22(2022年 - )

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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