ヨーテボリ市電
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| ヨーテボリ市電 | |
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ヨーテボリ市電の車両(左:M32形、右:M29形) (2015年撮影) | |
| 基本情報 | |
| 国 |
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| 所在地 | ヨーテボリ |
| 種類 | 路面電車 |
| 路線網 | 12系統(2025年時点)[1] |
| 開業 |
1879年(馬車鉄道) 1902年(路面電車)[2][3] |
| 運営者 | ヨーテボリ路面電車会社[4][5][2] |
| 路線諸元 | |
| 軌間 | 1,435 mm[6] |
| 電化区間 | 全区間[7] |
| 電化方式 |
直流750 V (架空電車線方式)[6] |
ヨーテボリ市電(スウェーデン語: Göteborgs spårväg)は、スウェーデンの都市・ヨーテボリの路面電車。19世紀後半に開通した馬車鉄道を始祖に持ち、スウェーデンで最大規模の路面電車の路線網を有している。2025年現在はヨーテボリ市が大半の株(全体の85 %)を所有するヨーテボリ路面電車会社(Göteborgs spårvägar、GS)が、ヨーテボリを含めた公共交通機関を管轄するヴァストトラフィーク(Västtrafik)から委託される形で運営を実施している[4][5][2][3]。
馬車鉄道から電化まで
スウェーデン第二の都市であるヨーテボリ市内へ軌道交通を敷設する計画が最初に提案されたのは1873年、カール・ヴェッターグレン中尉(Carl Wettergren)からの馬車鉄道の申請であったが、この計画は彼が求めていた長期に渡る路線の運営権が認可されなかった事から実現しなかった。その後1875年にはアーソン・フィリップソン(Aron Philipsson)から同様の提案があり、それを受けてヨーテボリ市は馬車鉄道の計画に関する委員会を設立した。アーソンも参加したこの委員会は、ヨーテボリ市内に3つの路線を建設する計画を立てていたが、それに対してコペンハーゲンのカール・クリスチャン・ユーエル大尉(Carl Christian Juell)はマヨルナ(Majorna)方面の区間に関しては当時の馬車鉄道が経由するには勾配が急であると考え、計画の変更を求めた。その後、1877年にヨーテボリ市議会はユーエル大尉の提案を承認し、彼に馬車鉄道を含めた路線網の営業権を付与した。しかし、予算の面で問題が生じた事によりユーエル大尉はこれらの権利をイギリスの軌道建設・運営業者であったウィリアム・バーフット(William Barfoot)へ売却した。そして彼はヨーテボリ軌道会社(Gothenburg Tramways Company Limited、GTC)を設立し、1879年9月24日からヨーテボリ市内の馬車鉄道(軌間1,000 mm)の営業運転が始まった[2][8][9]。
それ以降、ヨーテボリ市内では馬車鉄道網の延伸が行われた一方、1895年以降、これらの路線網を電化し路面電車を走らせる計画が本格的に検討され始めた。しかし、契約分の営業年数が残されていた事もあってヨーテボリ軌道会社とヨーテボリ市は電化に関する合意に至らず、最終的にヨーテボリ市がヨーテボリ軌道会社の資産や営業権を購入する形で路線を公営化する事が決定した。そして、1900年にヨーテボリ市が所有する事になった馬車鉄道網に代わる標準軌(軌間1,435 mm)の路面電車の建設が順次実施され、1902年から営業運転が開始された。その後、同年のうちにそれまでの馬車鉄道は撤去され、路面電車に置き換えられている[2][9][10][11]。
路面電車の発展
馬車鉄道から路面電車となったヨーテボリ市電は、それ以降も路線網の拡張を続け、1907年に開通した路線はヨーテボリを越えてメルンダルやランゲドラグ(現:ヨーテボリ)へ直通するようになった。また、車両についても1920年代以降大型ボギー車の本格導入が実施され、長距離系統を中心に輸送力の増強が行われた。1929年の時点で、ヨーテボリ市内には10系統の路面電車の路線が存在していた。その後も路線網の延伸は続き、1940年にはヒジンゲンに達している[2][9]。
第二次世界大戦後、モータリーゼーションの進展に加え、対面通行の左側通行から右側通行への変更措置(ダゲン・H)の影響で、首都・ストックホルムを始めスウェーデンの各都市では路面電車の廃止が相次いだ。しかしヨーテボリでは路面電車を残す選択が取られ、「ダゲン・H」実行へ向けて既存の車両(大型ボギー車)の乗降扉の付け替え工事や、バス停も含めた停留所の改良が実施された。また、これに合わせてワンマン運転(信用乗車方式)の導入や車掌業務の廃止も行われた[2][8][12]。
- 第二次世界大戦後初期のヨーテボリ市電(1946年撮影)
- 第二次世界大戦後初期のヨーテボリ市電(1948年撮影)
- 左側通行時代のヨーテボリ市電(1962年撮影)
- 「ダゲン・H」の実施に向けて導入された右側通行用車両のM28形(1984年撮影)
一方、それに先立つ1950年代から、ヨーテボリ郊外の住宅地の発展に合わせる形で路面電車の郊外への延伸が積極的に行われた。これらの路線は道路から分断された路面電車線用の線路(専用軌道)を有している他、高架道路やトンネルを設け踏切の設置を極力避ける事により、高速運転が可能となっている。そのうちアンゲレード(Angered)方面へ向かう路線(アンゲレード線)は開通当初他の路線と接続していなかったが、後年に延伸が行われ接続が実施されている。一方、ヨーテボリ市内中心部についても、地下トンネルを建設し郊外の専用軌道区間を結ぶ計画が存在したが、こちらは実現しなかった[13][14]。
- 専用軌道区間を走行する電車(2009年撮影)
- 専用軌道区間に設けられた電停(2012年撮影)
- ヨーテボリ市内の緑化軌道(2014年撮影)
- バス停と一体化し乗り換えが容易となっている電停(2024年撮影)
1990年代初頭には運営組織の財政難によりヨーテボリ市電の存廃に関する検討が行われる事態が生じたが、最終的に存続の方針が決定し、市内中心部の路線についても延伸が行われる事となった。これはヨーテボリ市内に環状線を建設するというものであり、「クリンゲン計画(Kringen)」と名付けられたこのプロジェクトに基づき、2002年から延伸が行われた。更に2023年にもフリハムネン(Frihamnen)とリンホルメン(Lindholmen)を結ぶ新たな区間の建設が始まり、2025年12月から営業運転が開始される他、今後も多数の延伸計画が立てられている。また、車両についても2000年代以降バリアフリーに適した超低床電車の導入が積極的に進められている。一方、路面電車の運営組織については、1989年に公営組織から有限責任会社の「ヨーテボリ路面電車会社」へ転換されている[2][13][15][16][17]。
系統
2025年現在、ヨーテボリ市内には12系統の路面電車の路線網が存在する。最新のダイヤ改正は同年12月14日に実施されたもので、延伸に伴い新たに「12号線」の新設が行われている他[注釈 1]、一部系統の延伸や経由区間の変更が実施されている[1][13][15][18]。
また、下記の系統に加え、路面電車の車両・施設の保存を目的とした非営利団体である「リングニリエン路面電車協会(Spårvägssällskapet Ringlinien、SSR)」が週末を中心に保存車両の定期運転を実施している。この系統は沿線の遊園地「リセベリ(Liseberg)」にちなみ「リセベリ線(Lisebergslingen)」と呼ばれている[19]。
| 系統番号 | 起点 | 終点 | 解説 |
|---|---|---|---|
| 1 | Tynnered | Östra Sjukhuset | |
| 2 | Högsbotorp | Biskopsgården | |
| 3 | Marklandsgatan | Kålltorp | |
| 4 | Mölndal | Angered | |
| 5 | Östra sjukhuset | Länsmansgården | |
| 6 | Kortedala | Länsmansgården | |
| 7 | Tynnered | Bergsjön | |
| 8 | Frölunda | Angered | |
| 9 | Kungssten | Angered | 夏季はSaltholmen - Angered間を運行。 |
| 10 | Lindholmen | Guldheden | |
| 11 | Saltholmen | Bergsjön | |
| 12 | Lindholmen | Mölndal | |
車両
ヨーテボリ市電に導入された車両は1951年以降形式名による区分が行われるようになり、1959年に実施された再編以降現在まで番号区分システムが維持されている。また、1963年には産業博物館により形式名が制定される以前に引退した車両についてもこのシステムに対応した形式名が付けられている他、一部形式について便宜的な改番が行われている。各形式の1 - 2桁の番号にはアルファベットが記されており、「M」は主電動機などの走行機器が搭載された電動車(Motorvagn)、「S」は主電動機が搭載されず各車両の後方に連結される付随車(Släpvagn)を示す[20][21]。
また、ヨーテボリ市電に在籍する一部車両については、ヨーテボリに関係した著名な人物の名前を有している。当初は1992年に実施された企画で、150両の路面電車車両に名称が付与されたが、その後1995年からは毎年1両に対してヨーテボリ市文化委員会(Göteborgs Stad kulturnämnd)と共同で選出した「文化賞(kulturpris)」が授けられた人物の名前が付けられている[22]。
現有車両
- M29形 - 右側通行に適した片運転台式ボギー式電動車「M28形」の同型車両で、製造企業が異なる。1969年から1972年にかけて60両が導入され、長期にわたって使用されたが、老朽化により2026年6月1日に営業運転を終了する[23][24][25][6]。
- M31形 - 1980年代に導入された片運転台式の連接車(2車体連接車)の「M21形」の中間にバリアフリーに適した低床車体を挿入した3車体連接車。改造は1998年から2002年にかけて実施された。2025年時点で79両が在籍しており、同年時点で2度の更新工事が実施されている。そのうち2度目の更新が実施された車両についてはM31B形という形式名で区別される事もある[23][24][6][26][27]。
- M32形 - イタリアのアンサルドブレーダ(現:日立レール)が開発した超低床電車「シリオ」。片運転台式の5車体連接車で、2004年から2013年にかけて製造された。2025年時点の在籍両数は62両であるが、後述する導入予定の新型車両による置き換えが検討されている[23][24][6]。
- M33形 - ボンバルディア・トランスポーテーション(現:アルストム)が開発した超低床電車「フレキシティ・クラシック」で、編成は3車体連接式。2019年から2023年にかけて製造された40両のうち、30両は片運転台、10両は両運転台である[注釈 2][23][24][6]。
- M34形 - アルストムが製造する超低床電車「フレキシティ・ヨーテボリ(旧:フレキシティ・クラシック)」で、愛称は「スーパーLRV(Super LRV、Superspårvagnen)」。M33形に車体を増結した片運転台式の5車体連接車である。2024年以降合計60両が製造される予定となっており、2025年から営業運転に投入されている[23][28][29][30]。
- M30形 - ノルウェーの首都・オスロの路面電車(オスロ市電)から譲渡された車両。チェコスロバキアで製造された「タトラカー」の1つで、営業運転には使われないイベント用車両で、2025年現在はリングニリエン路面電車協会が所有している[24][20][31]。
- M29形(2019年撮影)
- M31形(2019年撮影)
- M32形(2019年撮影)
- M33形(両運転台)(2022年撮影)
- M33形(片運転台)(2022年撮影)
- M34形(2025年撮影)
- M30形(2012年撮影)
導入予定の車両
- M35形 - ヨーテボリの人口増加や路線拡張による利用客増加への対応や旧型車両の置き換えを目的に導入が検討されている車両の形式名。2025年にヴァストトラフィークがヴェストラ・イェータランド県議会に対して調達の承認を勧告しており、最大65両を2030年から2031年にかけて導入する旨が検討されている[32]。
過去の車両
ヨーテボリ市電で過去に使用されていた車両の一部は2025年現在もリングニリエン路面電車協会が所有し、ヨーテボリ市電の線路を用いた動態保存が実施されている車両も多い[24][21][33]。
太字の形式名は、1963年に実施された改番時の車両番号に基づいており、一部はその時点で全車営業運転から撤退したため便宜的に与えられた番号も含まれる。また一部形式に付番されている「B」は、1951年の形式制定時に用いられたボギー車(Boggi)を示すアルファベットである[24][34][20][21][35]。
電動車
- M1形 - 1902年の電化開業時に導入された、運転台に窓がないオープンデッキの2軸車。1916年まで使用された。
- M2形 - 1903年に導入。運転台に窓がないオープンデッキの2軸車で、「冷蔵車(Förkylningsvagn)」とも呼ばれていた。1916年までに廃車。
- M3形 - 郊外方面の系統用に導入された、ヨーテボリ市電初のボギー電動車。1908年から1930年まで使用された。
- M4形 - 1908年に導入された2軸車。当初はオープンデッキであったが、1910年代以降防寒対策のため運転台部分に窓が設けられた。1943年まで使用。
- M5形 - M4形の車体を延長した2軸車。新造車に加え、一部はM4形や付随車(S2形)から改造され、1920年から1961年まで使用された。1951年の形式制定時は「M11形」とされたが、1959年に「M20形」、1963年に「M5形」へ形式名が変更されている。
- M6形 - ヨーテボリ市電初の連節車。「ツー・ルームス・アンド・ア・バス(Two rooms and a bath)」とも呼ばれる、台車が設置された車体の間に台車が無い短い車体を挟む形の編成を組んでいた。1922年から1949年まで使用。
- M7形 - 長距離系統向けに導入された大型のボギー車で、1922年から1967年まで使用。1951年の形式制定時は「MB01形」とされたが、1959年に「M21形」、1963年に「M7形」へ形式名が変更されている。
- M8形 - 長距離系統向けの2軸車で、1923年から1960年まで使用された。1951年の形式制定時に「M13形」とされた後、1959年に「M20形」、1963年に「M8形」へ形式名が変更されている。
- M9形 - 車内に転換式クロスシートを備えた2軸車で、1927年から1964年まで使用。1951年の形式制定時に「M12形」とされた後、1959年に「M20形」、1963年に「M9形」へ形式名が変更されている。
- M10形 - 1937年に1両が試作され、1957年まで使用された、片運転台式の近代的なボギー車。1951年から1963年までは「MB02形」と呼ばれていた。
- M11形 - M10形(←MB02形)の試験成果を基に導入された量産車で、1943年から1967年まで使用。その形状から「空飛ぶ要塞(Flygande fästningen)」や「マスタング(Mustang)」とも呼ばれた。1951年から1959年までは「MB03形」、同年から1963年までは「M22形」と言う形式名だった。
- M12形 - 1948年から1988年まで使用されたボギー車。M11形(←MB03形)の改良型車両で、付随車を後方に連結した運用を可能とした。愛称は「ヴァンパイア(Vampir)」。1951年から1959年までは「MB04形」、同年から1963年までは「M23形」と言う形式名だった。
- M13形 - M12形(M23形←MB04形)のうち5両については[注釈 3]、製造当初多段変速に対応しており、足踏みペダルを用いた速度制御に対応した機器が搭載されていたが、1958年にM12形と同等の機器に交換されたうえで編入工事が行われた。製造当初は「MB05形」、1959年から1963年までの便宜的な形式名は「M24形」であった。
- M14形 - M13形(←MB05形)で試験的に採用された多段変速機構を備えた量産形式。1958年から1997年まで使用された他、一部車両は1991年以降ノルウェーのオスロ市電へ譲渡された。製造当初は「MB06形」、1959年から1963年までの形式名は「M25形」であった[36]。
- M28形 - 対面通行の左側通行から右側通行への変更(ダゲン・H)に向けて導入された、製造当初から右側通行に対応した形式。1965年から1967年まで70両が製造されたが、老朽化の進行により2021年までに営業運転から離脱した[25][6][37]。
- M21形 - 1984年から80両が導入された片運転台の2車体連接車。2002年までに全車ともM31形への改造が実施された[38]。
- M1形(1902年撮影)
- M4形(2025年撮影)
- M5形(2019年撮影)
- M7形(MB01形)(2011年撮影)
- M8形(2013年撮影)
- M12形(M23形)(2010年撮影)
- M14形(M25形)(2014年撮影)
- M28形(2019年撮影)
- M21形(2000年撮影)
付随車
- S1形 - 馬車鉄道時代に使用された客車のうち、客室が設置されていた車両を改造したもの。1904年から1923年まで使用された。
- S2形 - 電動車のM1形に類似した外見を持つ車両で、電化開業時(1902年)に導入され1940年まで使用された。
- S3形 - オープンデッキの付随車で、通称は「冷蔵車(Förkylningsvagn)」。1903年から1925年まで在籍。
- S4形 - 馬車鉄道時代に使用された客車のうち、客席や壁がないオープンデッキの車両を改造したもの。1903年から1919年まで使用された。
- S5形 - S4形と同様、壁や乗降扉が無いオープンデッキの付随車で、夏季に使用された。1906年から1946年まで在籍。
- S6形 - 中央に2箇所乗降扉が存在した密閉型の付随車で、通称は「ツェッペリン(Zeppelinare)」。主にMB01形(→M7形)の後方に連結され、1923年から1951年まで使用された。現役時代の形式は「S24形」。
- S7形 - M5形と同型で、それまでの車両よりも大型の車体を有した2軸付随車。1924年から1955年まで使用され、現役時代は「S21形」と呼ばれていた。
- S8形 - 「S21形」のうち、S2形から改造された車両は1963年に「S8形」と区分されている。1928年から1955年まで使用。
- S9形 - M9形と同様、車内に転換式クロスシートを備えた2軸付随車。1930年から1953年まで使用された。
- S11形 - M6形と同型の2軸付随車。
- S10形 - 1931年から導入された、軽量型の2軸付随車。1951年に形式名が付けられた際には、製造時の姿を保つ車両は「S23R形」、車掌台の整備が行われた車両は「S23F形」と区別されたが、1959年に纏めて「S26形」に改められ、1963年から引退する1967年までは「S10形」とも呼ばれていた。
- S27形 - M12形(←M23形←MB04形)との連結を目的に製造された大型のボギー式付随車。1948年から1988年まで使用されており、1951年から1959年までは「SB25形」と呼ばれていた。