リッキー・グリーン
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| 引退 | |
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| ポジション | PG |
| 基本情報 | |
| 愛称 | Fastest of Them All |
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1954年8月18日(70歳) |
| 出身地 | イリノイ州シカゴ |
| 身長(現役時) | 183cm (6 ft 0 in) |
| 体重(現役時) | 77kg (170 lb) |
| キャリア情報 | |
| 出身 | ミシガン大学 |
| NBAドラフト | 1977年 / 1巡目 / 全体16位 |
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ゴールデンステート・ウォリアーズから指名 | |
| 選手経歴 | |
| 1977-1978 1978 1980-1988 1988-1989 1989 1989-1990 1990-1991 1991-1992 |
ゴールデンステート・ウォリアーズ デトロイト・ピストンズ ユタ・ジャズ シャーロット・ホーネッツ ミルウォーキー・バックス インディアナ・ペイサーズ フィラデルフィア・76ers ボストン・セルティックス |
| 受賞歴 | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
リッキー・グリーン(Rickey Green, 1954年8月18日 - )は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。身長183cm、体重77kg。ポジションはポイントガード。1984年にスティール王を獲得した。
シカゴ出身。高校時代にイリノイ州選手権を制覇した。卒業後、ヴァンセンヌ大学から名門ミシガン大学に転校し、2年間で平均19.7得点4.2アシストを記録した。1976年にNCAAトーナメント準優勝を果たし、1977年のオールアメリカ1stチームに選ばれた。
1977年、NBAドラフト全体16位でゴールデンステート・ウォリアーズに入団した。1年目は平均4.5得点に終り、デトロイト・ピストンズに移籍した2年目も存在感を発揮できずシーズン半ばで解雇された。そのため3年目はCBAで過ごした。
1980年にユタ・ジャズと契約し、エイドリアン・ダントリーとともに主力として活躍するようになった。入団3年目の1982-83シーズンに平均14.3得点8.9アシスト(リーグ3位)2.8スティール(2位)の好成績を残し、一流ポイントガードの仲間入りをした。翌1983-84シーズンは平均13.2得点9.2アシスト2.7スティールでスティール王を獲得し、キャリア唯一のオールスターに選ばれた。ジャズはこの年に球団初のプレーオフ進出を果たし、カンファレンス準決勝でフェニックス・サンズに敗れた。
翌年以降もジャズの司令塔としてチームのプレーオフ進出に貢献したが、1987年にジョン・ストックトンに先発の座を奪われ、1988年のエクスパンション・ドラフトでシャーロット・ホーネッツに移籍した。その後はロールプレーヤーとして計4チームを渡り歩き、1992年に現役引退した。
NBAでの成績は、946試合の出場で通算8,870得点5,221アシスト1,348スティール(平均9.4得点5.5アシスト1.4スティール)であった。ジャズで記録した通算4,159アシスト1,100スティールはいずれもストックトン、カール・マローンに次ぐ球団史上3位の記録である。
エピソード
- リーグ随一のスピードを誇り、ジャズの専属アナウンサーだったホット・ロッド・ハンドリーに"Fastest of Them All"というニックネームを付けられた。
- ジャズ時代の1988年、クリーブランド・キャバリアーズ戦の第3クォーター終了間際に決めたスリーポイントシュートが、NBA史上500万得点目となった。試合終了後にグリーンがサインしたボールがバスケットボール殿堂に展示されている。