中嶋勝彦

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リングネーム 中嶋 勝彦
本名 中嶋 勝彦
ニックネーム 令和の理不尽大王 [1]
狂気の革命児[2]
戦慄の蹴撃[3]
蹴撃王[4]
蹴撃戦士[5]
身長 175cm[4]
中嶋 勝彦なかじま かつひこ
プロフィール
リングネーム 中嶋 勝彦
本名 中嶋 勝彦
ニックネーム 令和の理不尽大王 [1]
狂気の革命児[2]
戦慄の蹴撃[3]
蹴撃王[4]
蹴撃戦士[5]
身長 175cm[4]
体重 87kg[4]
誕生日 (1988-03-11) 1988年3月11日(38歳)[4]
出身地 日本の旗 日本福岡県福岡市[4]
所属 フリーランス
スポーツ歴 空手[6]
トレーナー マサ斎藤[7]
長州力[8]
佐々木健介[9]
デビュー 2004年1月5日[10]
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中嶋 勝彦(なかじま かつひこ、1988年3月11日 - )は、日本男性プロレスラー福岡県福岡市出身[4]血液型AB型[4]

デビュー前 - デビュー後 - WJプロレス

3人兄弟の次男として生まれ、5歳から母子家庭で育った[6]。母親が家計を支えていたが、小学校高学年に入る頃から生活が苦しくなり、電気、ガスが止められたり、夕食がコーンスープだけという日もあり、修学旅行にも行けなかった[6]

小学校3年生より璞名館空手を始め、小学6年生の時に出場した大会で並み居る強豪選手を倒し優勝。賞品のコシヒカリ10キロを手に入れ、中嶋家の食卓に炊きたての白米が久々に並んだという[6]。中学1年生の時に全国空手道大会(極真会館松井派主催)で優勝、「天才空手少年」と呼ばれた[11]。この頃前田日明の目に留まる。前田は中嶋を総合格闘家として育てようとしており、周囲に「今から鍛えていけば、中量級として世界で通用する選手になるよ」と話していた[11]。中嶋は卒業後のリングスへ入団を約束されるがそれを待たずにリングスは活動休止となった[12]

2002年12月、中嶋は長州力率いるWJプロレスにスカウトされ入門、「苦労をかけた母親に恩返ししたい」というのが入門の動機であった[6]。練習と雑用で毎日が過ぎていく寮生活で辞めたいと思ったことも何度もあり、唯一の娯楽は自分の給料で買ったテレビのみだった[6]。ただ、どんなに苦しくても「白い米があるのが幸せ」で、それが一つの原動力となって厳しい練習に耐えられたと本人は振り返る[6]

2003年9月、WJ主催の総合格闘技興行X-1でプロデビューを飾り、金網バーリトゥード戦でジェイソン・"ゴールデンボーイ"・レイに勝利する[13]。2004年1月5日、後楽園ホール石井智宏戦でプロレスデビューした。中嶋はこのとき15歳9か月であり、男子では史上最年少デビューのプロレスラーとなった[6][10][14]

しかし2004年3月、WJ崩壊に伴い中嶋も退団となった[15]。母子家庭の中嶋にとっては、WJに「保険制度(保険会社の保険を指すのかプロレス興行会社としての負傷欠場中の保険=生活補償金を指すのかは不明)」が無いことが退団原因の1つであった[要出典]。中嶋は一旦実家に帰ったが、元WJの佐々木健介に弟子入りした[6]

健介オフィス / ダイヤモンド・リング

2004年4月より健介オフィスに所属する[14]。以後、中嶋は健介ファミリーの「息子」というギミックを得て、健介の付き人をこなしつつ各団体へも参戦した。試合を重ねるにつれ個人の評価も上がり、単独参戦も増加していった。なお、当時中嶋が上がるリングは「必ず保険を団体もしくは主催興行会社が掛けてくれること」を最低条件として健介の妻の北斗晶が交渉した[要出典]

2004年6月19日、みちのくプロレス札幌大会に参戦しプロレスのキャリア半年でザ・グレート・サスケを破り、シングルマッチ初勝利を飾った[14]

2005年3月、DRAGON GATEに健介と共に参戦[16]、同年12月、健介オフィスの法人化に伴い正式に健介オフィスに入団し、道場長に就任した[17]。健介ファミリーを名乗り始めた頃は、3か月の期間限定の所属で自分の所属団体を見つけてファミリーから巣立つ構想であったが、結局は健介ファミリーが自分の居場所であるという考えに至って、健介・北斗らと活動することとなった。

この頃より中嶋は全日本プロレスを主戦場とし始め、健介オフィス自主興行に参戦しながら全日本プロレスを中心にしつつ様々な団体へ参戦する。

その間に初代タイガーマスクとシングル[14]テリー・ファンクミル・マスカラスアブドーラ・ザ・ブッチャーともタッグで対戦[14]。2006年2月11日、健介officeの自主興行・佐々木健介デビュー20周年記念興行で天龍源一郎と組み、健介・小橋建太組とタッグマッチで対戦した[14]。2004年度のプロレス大賞・新人賞、2005年度は敢闘賞を受賞した[14]

2006年に定時制高校に入学した[18]

2007年2月11日、健介オフィス旗揚げ興行で健介とシングル初対決を行った[19]。2007年2月17日、近藤修司を破り、世界ジュニアヘビー級王座を奪取する[14]。18歳11か月での獲得は同王座最年少記録となった[14]。だが2008年3月1日、シルバー・キングに敗北し世界ジュニアヘビー級王者から陥落した[20]

2008年3月、健介オフィス自主興行以外の主戦場を全日本プロレスからプロレスリング・ノアへ移す。初参戦にして同月より開催された第1回グローバル・タッグ・リーグ戦に佐々木健介とのタッグチームでエントリー。敢闘賞を獲得した[14][21]

8月、第2回日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦飯伏幸太とタッグを組んで出場する[22]

2009年2月11日、GHCジュニアヘビー級選手権でKENTAを下し、第17代GHCジュニアヘビー級王者となった[14]。3月1日、初防衛戦でKENTAと再戦したが、KENTAにリベンジを達成され王座から陥落した[23]。7月には日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に宮原健斗とタッグを組んで出場する[24]

2010年7月、日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦に梶原慧とタッグを組んで出場する[25]

2011年9月23日、再びGHCジュニアヘビー級王者になった(対戦相手は鈴木鼓太郎[14]。しかし同月29日、急性虫垂炎を患い、自らの申し出でベルトを返上した[26]

11月27日、リッキー・マルビンとのGHCジュニアヘビー級王座決定戦を行いジャーマンスープレックスホールドで勝利し、第23代GHCジュニアヘビー級王者となった[14]

2012年2月11日、健介オフィスが団体名称を「ダイヤモンド・リング」に改称(運営企業名称は「健介オフィス」のまま)、中嶋はダイヤモンド・リング所属選手の扱いに変更となった[27]

6月11日、タレントの飯作あゆりと婚約したことを発表し[28]、8月11日に結婚披露宴を行った[29]

11月、ノアのグローバル・リーグ戦に初出場[30]

2013年2月、中嶋はタッグマッチで怪我のために欠場していた健介の復帰戦の相手を務めた(健介のパートナーは杉浦貴、中嶋のパートナーは大谷晋二郎[31]。この頃より、ヘビー級戦線に戦いの場を次第に移していく。

8月4日、中嶋はノアの旗揚げ記念大会で第5試合終了後、丸藤正道率いるBRAVEに加入したいと表明[32]。その場では加入は認められなかったが、この大会後からBRAVE加入のために試合でアピールを続ける。その後、8月24日にモハメド・ヨネとのシングルマッチを行い、試合後に晴れてBRAVEに正式加入した[32]

10月5日、横浜文化体育館においてKENTAの保持するGHCヘビー級王座に初挑戦し、壮絶な打撃戦を展開したが最後はgo2sleepに敗れたものの、ノアの頂点へ辿り着く第一歩となった[14]

2014年2月11日、中嶋は師・健介にシングルで初勝利する[14]。その後、健介が引退を表明したため、結果的に中嶋は健介に引導を渡す形になった[14]。また健介の引退と同時にダイヤモンド・リングはプロレス団体としての活動を休止[14]。中嶋も活動休止後の唯一のダイヤモンド・リング所属選手となる[33]

フリー - プロレスリング・ノア

2015年8月25日、自身のブログ上でダイヤモンド・リングを7月末で退団していたことを発表、フリーランスとして活動をすることになった[14][34]

12月24日、2008年から主戦場としてきたプロレスリング・ノアへの入団を発表[14]、2016年1月1日付でノア所属選手となった[14][35]

ノア入団後の2016年1月よりGHCヘビー級王者の杉浦貴への挑戦を狙うつもりでいた。しかし王者・杉浦への挑戦の条件として鈴木軍から鈴木みのるとのシングル戦の勝利(敗北の場合は鈴木軍加入)が提示された[36]。2月24日後楽園ホール大会のメインイベントで鈴木とシングル戦を行い、垂直落下式ブレーンバスター(この後「ヴァーティカル・スパイク」と命名)で鈴木を撃破し、3月19日の後楽園ホール大会で杉浦への挑戦が決定したが、敗北した[37][38]。7月、新日本プロレスG1 CLIMAXにも初出場[39]

10月23日、横浜文化体育館で杉浦の保持するGHCヘビーに挑戦、4度目の挑戦で悲願の奪取を果たし初戴冠した[14]。当時のキャッチフレーズ「NOAH the REBORN」の若き先導者と呼ばれ、2017年8月26日の後楽園ホール大会でエディ・エドワーズにタイトルを奪取されるまで、7度の防衛に成功する[14]

2020年8月30日、カルッツ川崎大会にて潮崎豪との「AXIZ」を抜け、拳王率いる「金剛」へ加入[40]

2021年10月10日、大阪府立体育会館で丸藤正道からタイトルを奪取し、2回目の戴冠を果たした[41]

2022年2月23日、名古屋国際会議場大会で藤田和之に敗れ、GHCヘビー級王座から陥落した[42]

2023年5月4日、両国国技館大会にて、長期欠場から復帰を果たした潮崎豪とタッグで対決、試合後に潮崎と握手を交わし「AXIZ」復活を宣言し、同時に「金剛」から離脱した[43]

9月30日をもって、プロレスリング・ノアを退団。同年10月まではノアの興行にも参戦する[44]

フリー

10月21日、全日本プロレス後楽園ホール大会のメインイベント・三冠ヘビー級選手権試の試合後に、スーツ姿で花束を持参し登場。青柳優馬に敗れた宮原健斗に花束を叩きつけて会場を後にした[45]

10月28日、ノア福岡国際センター大会にて潮崎豪と組み、丸藤正道・杉浦貴と対戦。中嶋が杉浦に敗れ、ノアラストマッチを終えた[46]

10月31日、全日本プロレス事務所を訪問し三冠挑戦を表明[47]。11月5日、北海道・ホテルエミシア札幌大会にて王者の青柳優馬に勝利し、自身初となる第71代三冠ヘビー級王座を戴冠する[48]。さらに共闘を志願した大森北斗と一方的にタッグを組まされ世界最強タッグ決定リーグ戦に参戦、優勝を飾った[49]

全日参戦後、中嶋は「闘魂スタイル」を掲げ、首に赤いマフラーを巻き、アントニオ猪木の側近だった新間寿に接近・入場曲「アリ・ボンバイエ」の使用許諾を得るなど、スタイルが様変わりしていく[50]。しかし12月31日国立代々木競技場第二体育館大会にて宮原を相手にした三冠初防衛戦に勝利した際、リング上で「1、2、3ダァー」と叫んだことから、猪木元気工場が保持する商標に抵触するとして警告書を送られ、以降は「XXスタイル」に改めることとなった[51]

2024年1月14日、大森とのタッグで斉藤ジュン&斉藤レイ組が保持する世界タッグ王座に挑戦するも、中嶋がレイに敗北[52]

三冠ヘビー級王座は4度防衛に成功するが、3月30日大田区体育館大会にて挑戦者の安齊勇馬に敗れ失冠[53]

6月9日、GLEAT名古屋大会に来場。関係者席にいる鈴木社長の隣に座り飲酒飲食をしながら試合を観戦、数試合で会場を後にした[54]

6月24日、リデットエンターテイメント事務所を訪問し鈴木社長との話し合いからGLEAT参戦が決定[55]

得意技

空手の腕前を生かした各種キックを得意としている[56]。軽量級からヘビー級にシフトした、アグレッシブなファイトスタイルが特徴で[57]、大一番ではフィニッシュ技のバーティカルスパイクの他、師でもある健介ばりのド根性ファイトを見せることもある[58]

フィニッシュ・ホールド

打撃技

各種蹴り技

投げ技

関節技、締め技

飛び技

合体技

  • 鬼嫁殺しシリーズ

戦績

総合格闘技 戦績
1 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
1 1 0 0 0 0 0
0 0 0 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
ジェイソン・"ゴールデンボーイ"・レイ1R 1:25 TKO(左フック→パウンド)X-12003年9月6日[85]

タイトル歴

プロレスリング・ノア
全日本プロレス
プロレスリングZERO1-MAX
  • WWA世界ジュニアライトヘビー級王座(プロレスリングZERO1-MAX版):1回[105]
みちのくプロレス
天龍プロジェクト
WRESTLE-1
GLEAT
プロレス大賞
  • 2004年度 新人賞[110]
  • 2005年度 敢闘賞[111]
  • 2016年度 敢闘賞[112]

入場テーマ曲

  • KICK START / K-FORCE
現在のテーマ曲[4]。2020年8月より使用。

テレビ出演

脚注

関連項目

外部リンク

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