五所塚
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| 五所塚 | |
|---|---|
| 町丁 | |
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五所塚公民館近くの長尾公園から西方向を見る | |
北緯35度36分17秒 東経139度34分27秒 / 北緯35.60475度 東経139.574039度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 行政区 | 宮前区 |
| 地区 | 向丘出張所 |
| 人口情報(2025年(令和7年)12月31日現在[1]) | |
| 人口 | 1,407 人 |
| 世帯数 | 645 世帯 |
| 面積([2]) | |
| 0.153992949 km² | |
| 人口密度 | 9136.78 人/km² |
| 設置日 | 1961年(昭和36年) |
| 郵便番号 | 216-0021[3] |
| 市外局番 | 044(川崎MA)[4] |
| ナンバープレート | 川崎 |
五所塚(ごしょづか)は、神奈川県川崎市宮前区の町名。現行行政地名は五所塚1丁目及び五所塚2丁目。住居表示未実施区域[5]。面積は0.154km²[2]。
面積
歴史
→「長尾 (川崎市) § 歴史」も参照
当地は、かつて武蔵国橘樹郡長尾村と同郡平村の各一部であり、ほとんどが畑で占められていた[8]。戦後昭和34年より川崎市によって山を切り崩し谷を埋める大規模な宅地造成が行われ、造成中は「長尾団地」[9]、分譲住宅地完成後には「五所塚団地」[10]と名付けられ、独立した町域となった[6]。
地名の由来
五所塚第1公園内にある南北に5つ並んだ塚に由来する[6]。この塚には平将門の乱の兵士、あるいは長尾景虎の従者の墓という言い伝えもあるが、十三塚と同様に、村境を鎮護する信仰施設という見方もなされている[11][12]。
沿革
- 江戸時代 - 当地は長尾村、平村の各一部に属した。
- 江戸時代の文化・文政期 - 「新編武蔵風土記稿」の長尾村の頁に「墳墓五ヶ塚」が登場。昔し塚より石の箱と真鍮の丸が掘り出され、古代の明器であろうが今は失われているという話しが記録される。[13]
- 1889年(明治22年) - 町村制施行に合わせて、長尾村・平村など4村が合併して向丘村が成立。当地は向丘村大字長尾と大字平の各一部となる。
- 1938年(昭和13年) - 向丘村が川崎市に編入。当地は川崎市大字長尾と大字平の各一部となる。
- 1961年(昭和36年) - 宅地開発により、五所塚一丁目・二丁目が成立[14]。
- 1972年(昭和47年) - 川崎市が政令指定都市に移行。当地は高津区五所塚となる。
- 1975年(昭和50年) - 長尾の一部が多摩区に編入され、住居表示が施行されるのに伴い、五所塚一丁目の一部が多摩区長尾二丁目・三丁目の各一部となる[15]。
- 1982年(昭和57年) - 高津区から宮前区が分区。当地は宮前区五所塚となる。
名所・旧跡
世帯数と人口
2025年(令和7年)12月31日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 丁目 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 五所塚1丁目 | 278世帯 | 592人 |
| 五所塚2丁目 | 367世帯 | 815人 |
| 計 | 645世帯 | 1,407人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[17] | 1,454 |
| 2000年(平成12年)[18] | 1,475 |
| 2005年(平成17年)[19] | 1,504 |
| 2010年(平成22年)[20] | 1,444 |
| 2015年(平成27年)[21] | 1,380 |
| 2020年(令和2年)[22] | 1,422 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[17] | 525 |
| 2000年(平成12年)[18] | 550 |
| 2005年(平成17年)[19] | 585 |
| 2010年(平成22年)[20] | 570 |
| 2015年(平成27年)[21] | 560 |
| 2020年(令和2年)[22] | 595 |

