井幡政等

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ラテン文字 Masatoshi Ibata
国籍 日本の旗 日本
井幡 政等
いばた まさとし
選手情報
ラテン文字 Masatoshi Ibata
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技
種目 長距離走
大学 山梨学院大学商学部
生年月日 (1972-08-20) 1972年8月20日(53歳)
出身地 富山県の旗富山県南砺市
身長 173cm
体重 55kg
自己ベスト
5000m 13分49秒46(2005年)
10000m 28分23秒56(2005年)
ハーフマラソン 1時間02分30秒(2004年)
マラソン 2時間13分26秒(2001年)
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井幡 政等(いばた まさとし、1972年8月20日 - )は、日本陸上競技選手。専門は長距離走富山県出身。高岡向陵高等学校山梨学院大学商学部卒業。その後、鐘紡(現・花王陸上競技部)を経て、2004年より愛三工業陸上競技部に所属し、引退後、同監督を務め、現在はアドバイザー。身長173cm、体重55kg。弟に元大塚製薬陸上競技部所属の井幡磨。

高岡向陵高校時代は、3年連続で全国高校駅伝に出場、いずれも1区を任され、1年時は区間最下位に終わったが、2年時は区間21位、3年時は区間5位に入った。

1992年山梨学院大学に進学。当時の山梨学院大は、2学年上の広瀬諭史、1学年上の黒木純、1学年下のステファン・マヤカ尾方剛、藤脇友介、2学年下の中村祐二など、早稲田大学と並ぶ強力なメンバーが揃っていた。 1年時の第68回箱根駅伝では、1区を任され、区間5位と健闘、その後、ジョセフ・オツオリ等の活躍で山梨学院大は悲願の初優勝を飾る。[1]


2年時、第4回出雲駅伝5区(7.0km)では区間賞を獲得し、山梨学院大の連覇に貢献した。第24回全日本大学駅伝でも、2区(13.2km)で、当時学生最強と言われた早稲田大学の渡辺康幸を抑えて、区間賞を獲得した。渡辺は学生三大駅伝において出場した11回中7回区間賞を獲得し、残り4回は区間2位であったが、その内の1回は井幡であり、渡辺に勝った唯一の日本人選手であった(あとの3回は全てマヤカである)。第69回箱根駅伝では4区を走り、区間3位と健闘したが、早稲田大学に優勝を許した。[2]

3年時、第5回出雲駅伝では5区を任されて、前年よりペースが落ちながらも2年連続の区間賞を獲得し、山梨学院大の3連覇に貢献した。第70回箱根駅伝では1区を走り、渡辺に激しく喰らい付き、最後は離されたものの、渡辺が驚異的な区間新記録をマークしたにもかかわらず、井幡も区間新記録の好走を見せ、渡辺とわずか27秒差に抑え、2区に襷を渡した。その後、2区でマヤカが花田勝彦を抜くと、山梨学院大はそのまま2年ぶりの総合優勝を飾り、史上初の11時間を切るタイムを記録した。

4年時、第6回出雲駅伝では、3年連続の5区を任され、またしても区間賞を獲得し、山梨学院大は4連覇を果たした。なお、現在まで出雲駅伝で4連覇以上を成し遂げたのは、山梨学院大のみである。1995年第71回箱根駅伝では4区を任され、区間2位ながらも区間新記録の好走を見せ、山梨学院大は最終的に9区で逆転して優勝を飾り、箱根駅伝2連覇を達成した[3]。この年を最後に、山梨学院大の総合優勝は無い。 なお、井幡は箱根駅伝で3年時、4年時と連続して区間新記録を樹立したものの、いずれも早稲田大学がそれ以上のタイムを出したため、区間賞を逃しており、また1年時、2年時でも井幡が走った区間で早稲田大が区間賞・区間新記録を樹立している(1年時1区・武井隆次、2年時4区・花田、3年時1区・渡辺、4年時4区・小林雅幸)。

同年の東京シティハーフマラソンでは、33m下り坂という参考記録ながらも、1時間00分55秒の学生記録(当時:2014年に村山謙太が更新)を樹立した。

卒業後は、鐘紡に入社し、1997年の札幌国際ハーフマラソンでは、山梨学院大時代のチームメイトであったマヤカに次ぐ、2位となった。 2000年、第55回びわ湖毎日マラソンでマラソンデビューを飾り、2時間16分40秒を記録し、21位となった。翌2001年、2年連続でびわ湖毎日マラソンに出場し、自己ベストとなる2時間13分26秒を記録し、11位となった。

2004年、愛三工業に移籍する。同年の札幌国際ハーフマラソンで、自己ベストとなる1時間02分30秒を記録した。

主な戦績

自己記録

脚注・参考文献

外部リンク

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