上原琉翔
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2025年 | |||||||||||||||
| 選手情報 | |||||||||||||||
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| 競技 | 陸上競技 | ||||||||||||||
| 種目 | 長距離走 | ||||||||||||||
| 所属 | 富士通陸上競技部 | ||||||||||||||
| 大学 | 國學院大學 | ||||||||||||||
| 生年月日 | 2003年5月5日(22歳) | ||||||||||||||
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| 身長 | 161cm | ||||||||||||||
| 体重 | 47kg | ||||||||||||||
| 自己ベスト | |||||||||||||||
| 5000m | 13分45秒58 | ||||||||||||||
| 10000m | 28分16秒76 | ||||||||||||||
| ハーフマラソン | 1時間00分30秒 | ||||||||||||||
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| 編集 | |||||||||||||||
上原 琉翔(うえはら りゅうと、2003年5月5日 - )は、沖縄県那覇市出身の陸上競技選手で、國學院大學人間開発学部健康体育学科を卒業し[1]、現在は富士通陸上競技部に所属している。
仲井真中学校時代
- 中学校は野球部に所属していた。2025年夏の甲子園で優勝した沖縄尚学高校末吉投手と同じ恩師で、実際に丸太を抱えて走っていたという。当初は、別の高校に進学予定だったが、学校の部活動見学をして、北山高校の進学を決めた。
北山高校時代
- 高校時代は國學院大學同級生の嘉数純平と同じ沖縄県立北山高等学校に通っていた。全国高校駅伝での目立った活躍は無かったが3年次の九州高校駅伝で1区・区間3位になっている。高校1年次の冬に沖縄県国頭村で合宿中の國學院大駅伝ブロックの練習に参加し、体幹トレやポイント練習に参加し、前田監督から13分台出るから、一緒に箱根を目指そうと嘉数純平と誘われた。北山高校駅伝部顧問・大城昭子が開発した「北山ドリル」という動的トレーニングで走りの効率化・スプリント力が向上した。3年次のインターハイ南九州大会で、沖縄県勢史上初の1500m5000mの2冠を獲得した。5000mでは沖縄県在住の高校生として初の13分台となる13分56秒84を記録した。在籍中に1500m、3000m、5000m、1万m、高校駅伝の県記録を全て更新している。
國學院大1年
國學院大2年
- 2年生では三大駅伝初戦の出雲駅伝から起用される。1区区間3位の走りを見せた。
- 全日本大学駅伝対校選手権大会では区間3位の走りで順位を1つ上げる活躍を見せた。
- 第100回箱根駅伝では起伏に強いタフな選手として山登りの5区に起用されたが雨の影響で区間17位の走りとなり、ゴール後に寒がる様子もあった[3]。
- 玉名ハーフでは1時間3分12秒の走りで3位に入った[4]。
國學院大3年
- 出雲駅伝では5区で走り、青学大・若林宏樹と駒澤大・島子公佑を抜きトップに立つと、そのまま逃げ切り自身初の区間賞を獲得[5]。その後キャプテンの平林清澄が青山学院・駒澤大から逃げ切り2回目の優勝を果たした[6]。
- 全日本大学駅伝対校選手権大会は最終8区の起用となる。7区では平林清澄が太田蒼生と競ってそのまま襷を受ける。青学大・塩出翔太を抜き1位に躍り出る。区間9位ながらも力強い走りで初優勝を飾った[7]。
- 箱根駅伝では復路・9区を任される。8区・佐藤快成から4位で襷を受けると創価大をかわし、そのまま勢いよく早稲田を追い、追い抜くが後半に急失速[8]。早稲田大と接戦になるところで最終10区に繋ぐ。チームはアンカー・吉田蔵之介が早稲田に競り勝ち、総合3位に食い込んだ[9]。
- 箱根駅伝後、國學院大陸上長距離のキャプテンになることが決まった。
- 日本学生ハーフマラソンでは3位、國學院歴代1位の記録を叩き出す見事な走りを見せた[10]。
- 3月に行われたEXPO駅伝では最長区間の3区を任され、区間2位の走りで青学大・飯田翔大とGMO・吉田祐也をかわし4位から2位に順位を押し上げた。チームはその後富士通にかわされるも3位、大学1位の成績を収めた。
國學院大4年
- 7月のワールドユニバーシティゲームズではハーフマラソンに出場し、銅メダルを獲得[11][12]。団体の部では2大会ぶりに金メダルを獲得した。
- 10月に行われた出雲駅伝では4区の辻原輝が区間新記録で区間賞の走りを見せ、トップに立ち、そのままの勢いで先頭で襷を受ける。早稲田大学の工藤慎作に迫られる場面もあったが順位をキープし29分53秒の区間4位でレースを終え、國學院大學は初の大学三大駅伝2連覇を達成した[13]。
- 11月に行われた全日本大学駅伝対校選手権大会では最終8区に起用。國學院大學は2区終了時点でトップの中央大と31秒差の7位と、苦しい展開になる。7区の青木瑠郁が区間9位と苦しみ、4位で襷を受け取る。前半、前方の青山学院や中央を追うため、かなりハイペースで突っ込んで入り、度会橋の時点では渡辺康幸の持つ日本人最高記録を上回るタイム。その後、青山学院の小河原陽琉を抜き去るが、最終的には差し込みの影響もあり抜き返され、そのまま4位でフィニッシュ。出雲駅伝に続き区間4位だった。國學院大學は連覇を逃し、4大会連続の表彰台を逃すという結果になった[14]。
- 1月に行われた第102回東京箱根間往復大学駅伝競走ではエースの集う「花の2区」に起用。トップで襷を受け取る。鶴見中継所をスタートして500メートル地点付近で中央大学の溜池一太に追いつかれるとしばらく並走するが、溜池は相当なハイペースで走っていたため、自分のペースでレースを進める。しかし、後半にかけてもペースが上がらず、早大の山口智規と城西大のヴィクター・キムタイに抜かされ4位に。最終盤では駒大の桑田駿介や山学大のブライアン・キピエゴにも抜かされて6位まで後退し、その順位で3区の野中恒亨に襷を渡した。1時間7分8秒の区間12位だった[15]。この失速の原因としては上原本人が「焦りから練習超過の疲れが出た」と語っていた[16]。チームは3区と4区で順位を上げるも往路4位。復路でも順位は上げたが青山学院の牙城を崩せず総合2位だった[17]。
主な戦績
自己ベスト
- 5000m - 13分45秒58(2024年4月13日、第312回日本体育大学長距離競技会)
- 10000m - 28分16秒76(2024年5月9日、第103回関東学生陸上競技対校選手権大会)
- 10マイル - 47分17秒(2022年12月4日、第48回熊本甲佐10マイル公認ロードレース大会)
- ハーフマラソン - 1時間00分30秒(2025年2月2日、第77回香川丸亀国際ハーフマラソン)