六反勇治

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愛称 ロク
カタカナ ロクタン ユウジ
ラテン文字 ROKUTAN Yuji
国籍 日本の旗 日本
六反 勇治
名前
愛称 ロク
カタカナ ロクタン ユウジ
ラテン文字 ROKUTAN Yuji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1987-04-10) 1987年4月10日(38歳)
出身地 鹿児島県霧島市
身長 188 cm
体重 80 kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2011 アビスパ福岡 40 (0)
2012-2014 横浜F・マリノス 2 (0)
2015-2016 ベガルタ仙台 45 (0)
2017-2020 清水エスパルス 78 (1)
2020 横浜FC (loan) 23 (0)
2021-2024 横浜FC 15 (0)
2024 FC琉球(loan) 5 (0)
2025 藤枝MYFC 0 (0)
代表歴2
2015 日本の旗 日本 0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2025年12月17日現在。
2. 2016年1月30日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

六反 勇治(ろくたん ゆうじ、1987年4月10日 - )は、鹿児島県霧島市[1]出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー (GK) 。元日本代表

プロ入り前~アビスパ福岡

幼少時にサッカーを始め、熊本国府高校時代に本格的にゴールキーパーに転向[2]。両親とも教師という家庭に育ち自身も教師となるため大学進学を考えていたが、Jクラブの練習に参加するうちにプロ入りへの意欲を持つようになり、2006年にアビスパ福岡に加入[2]

福岡に加入して4年目、2009年9月2日のJ2第37節ファジアーノ岡山戦でJリーグ初出場[3]。それまで正GKだった吉田宗弘から定位置を奪い[4]、このシーズンは15試合に出場した。

2010年も開幕戦から第7節まで先発出場[5]。その後は長期の負傷から復帰した神山竜一の控えに回った[5]

クラブがJ1に昇格した2011年、当初は神山の控えとしてベンチに座っていたが[6]、シーズン途中からは六反が正GKとしてJ1リーグ戦17試合に出場した[6]。しかしシーズン終盤は負傷により戦列を離れ、チームも1年でJ2降格となった[6]

横浜F・マリノス

2012年、横浜F・マリノスに完全移籍[7][8]。2013年、第1GKである榎本哲也の負傷によりJ1リーグ戦2試合に出場[9]。しかし、榎本と飯倉大樹の壁は厚く、横浜FMに在籍した3年間でリーグ戦の出場はこの2試合に留まった[10]

ベガルタ仙台

2015年、ベガルタ仙台に完全移籍[11][12][13]。リーグ開幕戦は関憲太郎に正GKを譲った[10] ものの、移籍後初出場となった3月18日のナビスコ杯・横浜FM戦では伊藤翔PKを止めるなど無失点勝利に貢献[10]。以降は関からポジションを奪い、残りのリーグ戦32試合すべてでスタメン起用された。また、同年5月には日本代表候補トレーニングキャンプメンバーに初招集されると[14]、7月には東アジアカップ2015代表メンバーに追加招集され[15]、初のA代表入りを果たした[16][17]。2016年は開幕スタメンを勝ち取ったものの[18]、1st第2節のFC東京戦で負傷し離脱[19]。その後復帰したが、2ndステージは関にポジションを奪われ、結局この年はリーグ戦13試合の出場に留まった[18]

清水エスパルス

2017年、清水エスパルスに完全移籍[18][20][21]。同年は開幕戦から先発出場を続け、リーグ戦全34試合にフルタイム出場を果たした。

2018年11月24日、J1第33節・ヴィッセル神戸戦で、スコア2-3の後半90+14分に清水がCKを得た場面で相手ペナルティエリアまで上がると、キッカーの石毛秀樹が蹴ったボールにヘディングで合わせ、同点弾となるゴールを挙げた[22][23]。J1リーグでのGKによる得点は、1996年11月9日に田北雄気浦和レッズ)が横浜フリューゲルス戦でPKにより記録して以来、22年ぶり2人目、Jリーグ全体でも9人目の快挙であった。ナビスコカップやJ2、J3、J1昇格プレーオフなどでもGKによるゴールが記録されたが、J1では22年間例がなかった[24]。昨シーズンに引き続きリーグ戦全試合出場を果たした。

2019年も開幕から第10節までは先発出場を続けていたが、6月の練習中に左足甲を負傷し離脱。西部洋平大久保択生にポジションを奪われ、8月に改めてオーバートレーニング症候群と診断され、シーズン中の復帰は絶望となった[25]。10月末からは清水に籍は置いたまま、藤枝MYFCでトレーニングを行った[26]

横浜FC

2020年、清水エスパルスより横浜FC期限付き移籍で加入[27]。 開幕スタメンを勝ち取るなどと即レギュラーに定着したが、ベテラン南雄太もまだ健在であり、ポジション争いを繰り広げた。出場数は南を上回るなどと、横浜の勝利に大きく貢献した。

2020年12月23日、横浜FCに完全移籍することが発表された[28]。この年も開幕スタメンに抜擢されたが、5失点と不調なスタートを切り、以降は南や若手の市川暉記とポジションを争いながら出場を続けていたが、夏にオリンピックドイツ代表スベンド・ブローダーセンが加入すると一気に出場が限られポジションを奪われる形となり、セカンドキーパーに降格した。2023年は出場はなかった。

FC琉球

2024年1月6日、FC琉球に期限付き移籍が発表された[29]

藤枝MYFC

2025年、藤枝MYFCに完全移籍。[30]

2026年1月9日、現役引退を発表[31]

人物・エピソード

  • 「僕の知識の9割は本からです」と話すほどの読書家で、キャンプ中でも読書を欠かさない[2]。「ゴールキーパーとして見方は多い方が良い」という考え方から、ジャンルに捉われず多くの本を読む。
  • 横浜FM時代、毎日のように居残りで元日本代表・中村俊輔のシュート練習に対応し技術を磨いた[32]。なお、仙台移籍後の中村との初対戦(2015年のJ1・2ndステージ第13節)で直接フリーキックを決められている[33]
  • 横浜FMを退団する際、「キーパーは出場機会が限られているポジションです。今年はいつもよりも2割り増しでいいので、椋大、潤人を応援してあげてください」と、当時の同僚であった鈴木椋大田口潤人を気遣う優しさを見せた[13]
  • 仙台在籍時の2015年J1リーグ1stステージ第12節・新潟戦で、味方の茂木駿佑に注意した際の一連の言動が、主審の佐藤隆治によって反スポーツ的行為と見なされ、警告を受けた。味方に対する反スポーツ的行為での警告は珍しいが、六反は「(茂木の)成長のためと思えば、安いもんですよ」と答えている[34]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2006福岡30J100000000
2007J200-0000
20082300-0000
2009150-10160
201080-20100
2011J11700000170
2012横浜FM3000101020
201320201050
201400002020
2015仙台13202010350
20161301000140
2017清水133400010350
20183410000341
20191002000120
2020横浜FC4423010-240
20211002010130
2022J250-1060
2023J100000000
2024琉球1J35000-50
2025藤枝J200000000
通算日本J1 1751110701931
日本J2 280-40320
日本J3 50000050
総通算 20811101102301
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2014横浜FM3000
通算AFC 00

タイトル

クラブ

横浜F・マリノス

代表・選抜歴

出演

MV

脚注

関連項目

外部リンク

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